『二十四の瞳』について [映画]
ババさん来店。『二十四の瞳』について語り合ひました。
「いやー、ボクは今回で4か5回目だけれど、いつ観てもやはり素晴らしい! 特に今回はデジタルリマスターで画面も随分きれいだつたし。もう、何回も観てるもんだから、最初に大石先生が自転車で現れるシーンでいきなり涙ぐんでしまつて…」
でせうねー。私は初めてで、しかもあまり予備知識なしで観に行つたので、あんなに長い映画とは思つてゐなかつたんです。せいぜい1時間半くらゐかなー、と思つてゐて、映画館を出たら考へてゐたより1時間以上も時間が経つてゐる! ビックリしました。全く時間の長さを感じなかつた。圧倒的な156分でした。
「ボクは今、『天才監督・木下惠介』長部日出雄(新潮社)を読んでるんですが、面白いですよ。木下恵介ゲイ疑惑、とか」
あー、あり得ますねー。本人の写真を観ると、あまりに(それッぽい)オシャレですもんね。
「とにかく子供の頃からもの凄いオシャレだつたさうです。異様に美意識が高い、と。ま、作品を観れば、それは分かりますけどね。もの凄く高い美意識が貫徹された作品です」
私の個人的な感想を言へば…。パンフレットなんかで、みんなが“これは反戦映画だ”とやたら言つてるのに違和感があるんですよねー。確かに、反戦といふテーマはありますが、それはワンオブゼムに過ぎない、と思ふんです。実際に原作を読むと、この映画は非常に原作に忠実に作られてゐるんですが、削られたエピソードといふのが、左翼的反戦平和思想の部分なんですよね。だから“反戦”は中心テーマではないだらう、と。むしろ私は、学校といふ疑似等質空間の残酷さ、といふのを感じましたね。本来、出自や環境によつて差のある子供たちを、学校といふ空間で擬似的に平等・等質に扱ふ事によつて、かへつて差が際立つてしまふ、といふ。修学旅行に行けない子や、進学できない子、途中で学校を辞めなくてはならない子…。
「マッチャン!」
マッチャン、可哀相でしたよね。でも、一番勉強ができたのに進学できなかつたコトエも可哀相でしたよ。
「コトチャン!」
…学校といふのは、近代の装置ぢやないですか。つまりこの学校の持つ残酷さは、近代の持つ残酷さに通じるんです。だからこの映画は、学校・近代の持つ残酷さを照射する、といふ大きな視点があると思ふんですよね。
「なるほど。ボクの私的な感想を言へば…、やはり優れた映画といふのは、原作に忠実に作られてゐると思ふんです。『フルメタルジャケット』にしても『赤ひげ』にしても。むろん原作付きの映画の場合なんですが…練りに練つて、でも原作には凄く忠実、といふのが優れた映画の条件ではないか、といふのがボクの年来の持論なんです。で、この『二十四の瞳』も、それを裏付けてくれてゐる、といふ感じです」
なるほどねー。それにしても、やはりといふか、あまり若い人が観に来てないのが勿体ないですよね。
「んー、この映画は、学校での上映を義務づけるべきでせう。それこそ、真の愛国教育なのではないか? ババーン!」
ははは、それぐらゐやつて丁度かもしれませんね。……あ、テラリー、ちやんと『二十四の瞳』は観に行つたか?
「すいません。行けませんでした。」
はい、テラリーは落第!
Comments
投稿者 power : 2007年05月09日 22:42
店主! おひさし出世魚(ぶり)です。
二十四の瞳は最強の自転車映画であることは聞いて知っては
いるのですが、見たことがありません。
そんな私は日本人でもないし、サイクリストでもありません!
ましてやスポンジボブでもありません! (店主はスポンジボブを
ご存じですか?)
さっそくMOVIXにダッシュして日本人サイクリストスポンジボブを
めざしに・・・もうやってないYO!!!!
投稿者 店主 : 2007年05月10日 08:24
powerくん こんにちは
あー、それは、また。最初にね、大石先生がサーッと自転車に乗つて島を駆け抜ける、それを自転車なんか見た事もない島民たちが茫然と見つめるシーンの素晴らしさ!そしてラスト。・・・・・・あのシーンをみて泣かない人はとてもサイクリストとは呼べないでせう。
てか、そもそも映画を見てないなら話になりません!
といふより、大体オパールに通つてゐれば見逃すこともなかつたのです。
つまり、来店お待ちしてゐるよん。(スポンジボブッて何?)
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