二十四の瞳 [映画]
MOVIXで『二十四の瞳』デジタルリマスター版(木下惠介監督・1954年)を観ました。
日本映画屈指の名作と言はれ、これを観てゐないと映画に興味があるとは言へない、また日本人とも言へない、ともいはれるこの作品。私は本日初めて観ましたので、昨日まで日本人ではありませんでした。ははは。すいません。
さて、この文章を読んでをられる方は大概日本人でせうから、『二十四の瞳』がどの様な話なのかは御存知でせう。(私も子供の頃に壷井栄による原作の方は読んでゐるので、辛うじてセーフ?)が、最近はグローバリズムの嵐が吹き荒れてをりますので、もしかしてこの話を知らない日本人の方も現れてゐるかもしれません。そんな方のために簡単に説明しますと、これは小豆島にある小さな学校の12人の生徒と、その子らの担任である大石先生の、戦前から戦後に渡る交流を描いた作品です。最初は幼く、無邪気で可愛かつた子供たちが、社会に揉まれ、戦争といふ大きな時代の激流に翻弄され、ほとんどの子たちが過酷な運命を辿つていく。それを見つめる美しい大石先生(高峰秀子演じる。ホントに美しいです!)、といふ、ハッキリ言つて大泣きの作品なのです。
原作が昭和27年(1952年)で、作者が壷井栄なので、原作の方はかなり左翼的な反戦思想が滲んでゐます。私は映画館を出たあと、本屋に寄つて原作を買ひ求め、何年振りかで再読したのですが、この左翼的反戦思想の部分がどうにも薄ッぺらで辛かつた。が、映画の方は、もちろん原作に忠実なのでそれらしき所は随所にありますが、原作に較べるとかなりこの“左翼的”な部分を削り落とし、人生の過酷さ、といふ部分に焦点をあててゐます。その分、今の目で観ても違和感が少なく、普遍性を兼ね備へてゐると言へるでせう。
まづ、昔の日本映画の名作と言はれるものは往々にしてさうですが、子供の顔が素晴らしい! ホントこれだけでも観る価値があると思ふのですが、さらに風景が美しい。高峰秀子が輝いてゐる。そして、全編に流れる唱歌が陶然とするほど素敵です。現代の我々がこの様な美しい師弟関係、といふか人間関係を失つてしまつたのは、唱歌が失はれたからではないか? と、深く考へこんでしまふ程です。
(だつて、我々日本人を繋ぐ歌が現在あるであらうか? 私が“心を繋ぐ歌”といはれて思ひ出すのは……・『チェンジ・ゴナ・カム』。なんで英語の歌やねん!)
子供たちが成長していくにつれ、ある者は貧乏のため、ある者は病気のため、そして全ての者は戦争のため、過酷な運命に巻き込まれていきます。この後半部は、もう泣きッぱなしです。私以外のお客さんは、大抵ご年配の方々だつたのですが、場内は終始すすり泣く声が聞こえてゐました。私も大いに泣きました。
とはいへ、この映画に関して(原作に関しても)よく言はれる事ですが、これだけ悲惨で過酷な事柄が描かれても、全体としては不思議な明るさに満ちてゐるのです。これが名作といはれる所以でせうか。2時間半を超える長尺。泣きに泣いたあと、不思議にサッパリした気持ち良さで映画館を出ました。
あ、もしまだ観てゐない方がをられたら、是非。DVD化もされた様ですし。
Comments
投稿者 酔仙亭 : 2007年05月08日 13:24
>だつて、我々日本人を繋ぐ歌が現在あるであらうか?
店主様。またまた、お邪魔いたします。
誠に宜なるかな。
昔は、流行歌や童謡といった、老若男女を問わず口ずさんだ歌がありましたが、今は・・・。日放協の紅白歌合戦の凋落ぶり、国民の紐帯としての歌の役目が失われたことを良く著しているように思います。
以前、エジンバラに行った時に、パブにてお客さんが皆で「埴生の宿」などなど、いわゆるスコットランド民謡を歌うのを聞いた時、わが国の地域コミュニティ・家族の消失・分裂を思い、なんとも言えぬ気分になったものです。
投稿者 店主 : 2007年05月09日 04:33
酔仙亭さん こんにちは
さうなんですよね。だから私も、演歌サバイバーズをやつたり俳句チェンバーズをやつたり色々してみるんですが、どうも、無理といふか、そもそも関係ないといふか・・・。
厳しいです。
投稿者 酔仙亭 : 2007年05月09日 09:54
ん~む、なかなか難しいですねぇ・・・。
いっそのこと、歌仙でも巻いてみては如何でしょうか。
石川淳・丸谷才一・安藤次男・大岡信らによる、歌仙の本、なかなか興味深いものがあります。
いかにも、大人の遊びという感じです。
投稿者 店主 : 2007年05月10日 08:15
歌仙ですか。
とはいへ私は文人気質ぢやないもんで、どうも気恥ずかしさが・・・。
本の方は面白さうなんで読んでみようかと思ひます。
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