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2007年03月18日(Sun)

パフューム 映画

 MOVIXで『パフューム ある人殺しの物語』を観てきました。

 これは、まァ、世に二つとない究極の「鼻」を持つた主人公が、究極の「匂ひ」、つまりは究極の「香水」を作る話なのです。

 となれば、焦点は“匂ひをどの様に映像化するか”といふ事になつてくると思ひます。いや、さう考へない人もゐるでせうが、“表現形式としての映画”といふものに真摯な人であれば、まぁ、さう考へると思ふのですね。そしてこの作品の監督さんは、実に“表現形式としての映画”といふものに真摯な人であつたのです。

「匂ひといふ目に見えないものを映像で表現してやるぜー!」といふ意気込みがビンビンと伝はつてきます。(いや、プンプンと臭つてきます。か)

 まづ最初にいきなり、真ッ暗闇の中にポツンと浮かぶ“鼻”が映ります。鼻。そして、それがヒクヒクッと動く。となれば、同様に映画館の暗闇の中に居る我々も、ヒクヒクッと鼻を動かさずにはゐられません。すると隣の人の体臭が気になる……といふ様な事には、最前列にひとりで座つてゐた私には起こりませんでしたが、とにかくここで、“匂ひ”に対する自覚が決定的になる、といふ仕掛けです。

 続いてしばしのイントロの後に現れる、悪臭芬々たる中世のパリの町並み。とにかくグロイ。エゲツナイ映像がタブーなしで現れます。ゴミ、汗、垢、泥、魚、裂かれる動物、血、内臓、赤ん坊。なるほど、悪臭にはグロイ映像、と。対して、良い匂ひには、きめ細かな女性の肌、滴る様な細密な果実の断面、などが映されます。ははぁー、匂ひを映像化する基本戦略はこれかー、と思はれるでせう。さう。それはその通りなのですが、監督は決してこれだけで満足した訳ではありません。究極の“匂ひ”に向けて、様々な映像表現を駆使していくのですが…、これから先は、まだこの映画を観てゐない人のために黙つておきませう。ラストの“究極の匂ひ”お披露目シーンは必見です。唖然とします。

 それでもあとひとつだけ言つておくと、この映画ではジョン・ハートが渋いナレーションをきかせてゐるのですが、このナレーションが肝心なこと、つまり匂ひとその効果については何ひとつ直接には語つてゐない、といふ事です。ここにも“匂ひを映像で表現する”といふ事に関する監督の強い意志がみられますね。

 それにしても私は思ふのですが、この映画は匂ひに関する究極の映画となつたのでせうか。それとも、やはりジョン・ウォーターズの『ポリエステル』は超えられなかつたかな? …なんて、的外れな疑問ですね。

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