私の財産告白 [読書・文学, リバータリアン]
本多静六著『私の財産告白』(実業之日本社)を読みました。
本多静六は、貧窮の中から身を起こした学者でありながら、金儲けもうまく、大富豪となつた人です。この本は、最高のお金持ち哲学! と賞賛されてゐる、伝説の名著です。
私が本多静六の名を知つたのは、確か渡部昇一の本(『続・知的生活の方法』だつたかな?)からです。そこでは、知的生活を全うした人生の達人、として紹介されてゐました。知的生活を送るためには、財産が必要です。なぜなら、もし財産がなければ人は様々な事に振り回され、時間や労力を浪費し、精神的にも安定しないからです。孟子のいふところの「恒産なければ恒心なし」です。ベンジャミン・フランクリンいふところの「An empty sack cannot stand upright」です。だからしつかりお金を稼いで、まづ自主独立しなければならない、と本多静六は言ひます。
もちろんあくまで目的は“自主独立”であつて、“お金儲け”ではありません。そこを間違へると、今度は“お金”に振り回されて、知的生活を送ることができなくなります。だから、本多静六は、晩年に至つて莫大な財産を全て寄付してしまひました。子孫に美田を残さず、といふ奴ですね。親から莫大な遺産を受け継ぐと、子供は“自主独立”の気概を失つてしまふから、といふのがその理由です。私はここに、本多静六の“リバタリアン”としての凄みを見てしまひました。さうです。私にとつて本多静六は“リバタリアン”なのです。“自由”を至上価値とするが故に、“自主独立”を絶対条件とし、その経済的基盤をしつかりするために金儲けを疎かにしない。あくまで自分の手で稼ぎ、他人の懐をあてにしない。といふのがリバタリアンです。
また、リバタリアンには“引退”といふ文字はありません。死ぬまで勉強と仕事を継続します。それも大いなる楽しみを持つて、やり続けるのです。本多静六も、老人になつてから、英会話を始めたり(ドイツ語はペラペラだつたのですが)、当時最新の知識であつた相対性理論や量子力学に興味を持つて、その勉強に取り組んでゐます。仕事に関しても、後輩の指導のため、著述や講演活動をやり続けました。正に理想的なリバタリアン。こんな人が日本に居たなんて!!! …ッて、そら居ますよね。この本多静六を私に教へてくれた渡部昇一もリバタリアン的な人ですし、同じく最近その著書『個人的な愛国心』で本多静六を紹介してゐた日垣隆も、リバタリアン的な人です。なんでもかんでも“寄らば大樹の陰”“長いものには巻かれろ”的な現在の日本で、リバタリアンを目指す私としては、この様な人たちの存在は非常に心強い。頑張らねばー!!! と、自らの身を奮ひ立たせてみたりしました。
「なんでもよろしい、仕事を一所懸命にやる。なんでもよろしい、職業を道楽化するまでに打ち込む。これが平凡人の自己を大成する唯一の途である。」by本多静六
ドワー! 仕事に行かねばー!!
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