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2016年04月29日(Fri)

竹島/光りの墓 etc

4月19日~4月27日

竹島

皇紀2676年4月19日。不肖私めが長年の夢を叶へて、たうたう、妻・義母・叔母の三人を連れて竹島へ渡ることに成功いたしました!当日は波が高く、暴風が荒れ狂ってゐて、義母などは怖がって行くのを嫌がってをりましたが、これは日本国民たるものの務め。死を賭してでも決行しなければなりません!と、叱咤激励を繰り返して、島へと渡ったのです。
そこで我々を待ち受けてゐたものは・・・。

堂々たる偉容を誇る、八百富神社の鳥居でした。・・・って、分かる人には分かったと思ひますが、我々が渡ったのは島根県の竹島ではなく、愛知県蒲郡の竹島です。琵琶湖の竹生島の弁天さん(市木嶋姫命)を勧請して建てられた八百富神社は、日本七弁天のひとつに数へられるもので、竹島全体が八百富神社の境内になります。
島までは、約400メートルの竹島橋で繋がってゐて、その橋を渡るのですが、我々が渡った時はホント風が強くて!風に飛ばされない様に踏ん張りながら、よろめき、ふらつきながらの強行軍。あまりの風の凄さに、やー、こら歓迎されてるなぁー、と思はず笑ひが漏れてしまふ、といった感じでした。
海の彼方には風力発電(?)の風車が並んで回ってゐて、その風景を観るに思はず「アリア社長ー!」と叫んでしまひ、自らの脳がかなりアニメに侵されてゐる事を自覚したり・・・。
竹島は小さな島ですが、特殊な植物相があるらしく、天然記念物に指定されてゐます。小さな所に百段を超へる石段があり、それを登ると小さな神社群が犇めき、それらを囲む何百種かの豊かな植物相、海を臨む絶景あり、島の周りには小さな遊歩道もあって波打ち際をグルッと歩けます。箱庭的といふか、壺中天的といふか、かなり日本人好みの聖地。小さき所に神宿るーってね。アニメの“聖地”もいいですが、かういった聖地もまた、いいもんでした。

光りの墓

テアトルシネマ梅田で『光りの墓』を観ました。これはタイの天才アピチャッポン監督による最新作です。私はアピチャッポンの作品は初めてですが、前から観たいと思ってゐました。といふのも、“アピチャッポン”といふ名前が面白いのと、名前の前にしばしば“天才”と冠されるからです。天才バカボン、的な。そら、観てみたいわ。
で、観てみた感想ですが・・・まづ、予想通り、といった所。といふのも、アピチャッポンは美術作家でもあり、様々な美術作品も作ってゐるとの事でしたので、いはゆるアートフィルムっぽいものではないか、と思ってゐたからです。そしたら、まぁ、そんな感じ。語りの技術やスペクタクルなんかよりも、映像そのものを重視した作り、とでも言ひますか。要するに、固定(あるひはゆっくりした移動)の映像が延々と続く。音楽はほぼなく、むしろ音を積極的に拾ふ、など。かういった作りだと、娯楽作品としての映画なんかより、よほど集中力が要求されますので、しばしば眠気を催したりします。私も、2回ほど墜ちさうになりました(いや、墜ちたのか)。
お話は・・・元学校で、今は仮の病院となってゐる場所で、兵士たちに原因不明の眠り病が蔓延してゐる・・・といったもので、記憶や夢、非現実と現実を巡るものとなってゐます。我々の生きる現実世界といふ、一見一枚岩に見えるものが、実は何重にも重ねられた様々な世界によって成り立ってゐる事を示すのですが、それを語りの技術やスペクタクルに頼らず、固定されたペラリとした一枚の映像によって示すのです。つまり、死んだ人も生きてゐる人と同じ様に現れますし、遥か昔の王宮跡は現在の原っぱとして提示。夢の中も現実も、同じ様に描かれるので、我々は否応なく一枚のペラリとしたスクリーンの中に何重もの映像を幻視する他なく、映像のそこかしこから、ジワリと魔法的なものが滲み出る・・・といった寸法。
これはなかなかに悦楽的な映像体験で、途中で墜ちるのだって悪くない、と思はせます。そこにこそ、意識と無意識が重なる奈落にこそ、かへって豊かな体験があるのではないか・・・などと、素敵な屁理屈を呟かせる力もあります。
天才アピチャッポン、他の作品もぜひ観てみたいです。

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