痛い/傷物語/ボウイ [etc]
1月7日〜1月17日
痛い
2016年が始まったけれど、今年もますますアニメに深入りしさうな予感です。昨年末にたうたうアニメの雑誌を購入する様になりまして・・・やー、雑誌とか買ひ始めるとヤバいよね。とりあへず「アニメスタイル」と「New type」の2誌を買ってるんだけど・・・めっちゃオモロい!めちゃめちゃオモロいんだけど、なにせ私は観てるアニメの数が少ないんで、観てないアニメの記事が満載で・・・ああー、これ全部観なきゃならんのかー、ってか観たい!!!といふ気持ちが沸々と沸いてきて大変です。まぁ、そんなこんなで、今年もアニメアニメの年になりさうなのです。
ところでサブカルチャーにはスタイルが付きものですが、アニメファンにもスタイルがあるのだらうか。うん、ある、と私は思ふ。と言へば、あー、なんか太っててメガネかけててちょっと時代外れな格好で大量の紙袋持って歩いてるやつー、と連想するでせう。うーん、確かにそんな人も未だに居るんだけど、あれは無自覚に結果としてなってゐるだけなので、スタイルとは呼び難い。いまだ顕在化してないかもしれないけれど、幻視すれば、アニメファン独自のスタイル、美意識が見えてくる。それは「痛い」といふ美意識だと思はれます。
普通「痛い奴」と言へば軽蔑語だけれど、アニメファンの「痛い」はむしろポジティブな意味です。これは、まぁ、「パンク」が本来は「ゴミ、カス、しょうもない奴」みたいな意味なのを、敢て逆手にとって自らの呼称・美意識にしたのと似た事情でせう。つまり、アニメファンにとって「痛い」とは「ドープ」といふ意味なのです!
それ、凄くわかる。私も痛車(いたしゃーアニメの絵がボディ一面に書いてあるクルマ)とか観ると、「おお!めっちゃドープ!」と興奮するし。そこで、私も今年はなるべく「痛く」ならうと決意しました。どうするのか。手始めは、やっぱシールと缶バッジでせう!
さういった点、トモコはさすがに早くて、すでにパソコンはシールだらけ、リュックも缶バッジだらけ、と化してゐて、羨ましいかぎり。むむー、私もはやくやりたいんだけど、なんでもいいって訳ではないから難しいんだなぁ。気に入ったシールや缶バッジぢゃないと。確かに、「まどマギ」に嵌ってゐた時期に、大量の「まどマギ」のシールと缶バッジは手に入れてゐるけれど、こんなのはファッションだから、旬のものでないと意味ないよなぁー、とか思ってしまふ。うーむ、旬のアニメ。やっぱ「傷物語」か・・・。
傷物語
といった訳で、「傷物語」をTOHOシネマ二条に観に行きました。
最初に言っておくと、劇場でのグッズの販売はなかった!(売り切れてゐたのかもしれない)。ネットで買ふ事ができるみたいだけど、パソコンで観るかぎり、あんまいいものがない・・・。
それはともかく、映画の方は「さすがシャフト!」と唸らされる先鋭的な映像表現に満ちてゐて、2010年に制作が発表されてから長くファンを待たせてゐた事もあってか、気合ひの入り過ぎた感もなかなかで、期待通り楽しめました。ただ・・・、これ三部作の一作目なんですよね。しかも第二部が夏公開予定って・・・長過ぎ!引っ張り過ぎ!はっきり言って、この第一部「鉄血編」では、物語はまだ何も始まってないに等しいので、この状態で夏まで待って「熱血編」、さらに待って「冷血編」といふのは・・・酷い、と思ふ。まぁ、冷血なんだから仕方ないか、とも思ひますが。
・・・う〜ん、ぱないのー。
ボウイ
1月11日。カズ16が来店して「デヴィッド・ボウイが死にましたねー」と言ふので、何を言ってるのだこいつは、と不審に思ひました。実を言ふと、私がボウイの訃報を聞くのはこれで二度目だったのです。一度目は忘れもしない1983年12月。私の父が「デヴィッド・ボウイが溺れ死んだらしいぞ」と言ったので、飛び上がって驚きました。が、それはビーチボーイズのデニス・ウィルソンの間違ひで、その直前にボウイが来日して連日騒ぎになってゐたことから父は勘違ひした様子。しかし、全然違ふやん・・・。
といった事があったので、今度は誰と間違ってゐるのか、と怪しんだのです。
ところが直後にコータローくんも来店して「あ、それホントですよ。息子がネットで呟いてゐたので間違ひないっしょ」と言ったので、愕然としました。
デヴィッド・ボウイが死んだ・・・まだ若いだらうに・・・病気、ガンか?なんのガンなんだ?いつ頃からそれが分かってゐたのか・・・あんま意味のある事が考へられない・・・。
デヴィッド・ボウイは、私が若い頃に最も影響を受けたロックアーティストのひとりです(他はジョン・レノンとポール・ウェラー)。かと言って、今に至るまでファンであった訳ではない。ティン・マシーンの頃までは聴いてゐましたが(来日公演行ったよー)、その後、徐々に聴かなくなって、なんかテクノみたいなアルバムを出した頃に完全に離脱しました。もうダメだ、と。私の中では、その頃にすでにデヴィッド・ボウイは死んでゐた、とも言へる訳ですが・・・。
数年前に、半ばの引退状態からボウイが復活してきた時、私も一応聴いてみたのですが、やっぱダメ。なんか世間では絶賛状態でしたが、私はちっともいいとは思はなかった。下らない、とさへ思ひ、怒りさへ沸いてきたほど。やはり私にとってボウイは死んでゐるんだ、これはボウイのゾンビなんだ、と思ひ、今回の新作にも何の興味も沸かなかったのですが・・・まさかこんな事態になるとは・・・。
ボウイは様々に自らのスタイルを変へてきた事で有名でした。そのことは、確実に私に影響を与へてゐると思はれます。故に、アニメファンになったら、アニメファンとしてのスタイルを自分なりに模索してしまふんだよなー。などと言ふのは牽強付会でせうか。
この日、オパールでのボウイ追悼盤は「ジギースターダスト」と「ロウ」でした。
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