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2015年04月15日(Wed)

ヤゲオ/スチームパンク/劇場版 etc

4月7日〜4月13日

ヤゲオ財団コレクション

京都国立近代美術館にて開催中の「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展」に行って参りました。しかし、この題名・・・なんか行く気がちょっと失せる様な感じですが、実は今回の展覧会、台湾の電子機器メーカー「ヤゲオ・コーポレーション」の会長、ピエール・チェン氏のコレクションを展示するものである、と聞いて、俄然興味が沸いたのです。いや、別に私はピエール・チェン氏とか知りませんが(世界的に有名なコレクターらしい)、やっぱ個人のコレクションとかには興味が沸くでせう。そもそも美術館なんて近代になってできた制度だし、本来は個人のコレクションの方が王道。様々な世間的な思惑が渦巻く美術館のコレクションより、個人が自らの哲学に基づいて集めたコレクションの方が面白いのでは・・・と思ってしまふのです。むろん、その基づく哲学によっては相当退屈なコレクションもあるでせうが、現代美術が対象となれば、やっぱ興味が沸く。現代美術の個人コレクションとなれば、さうは退屈なものにはならないであらう、と。

やはり、相当興味深い。基本、絵と写真が多いのですが、これはピエール・チェン氏が、アートは生活の中に取り込むもの、といふ哲学を持ってゐて、実際に自らの家や別宅に飾ってゐるものばかりである、といふ事に起因する様です。だってインスタレーションとか家に飾りやうがないもんね。私も、“アートは生活の中に”派なので、凄く共感できる。ゲルハルト・リヒターの絵とか杉本博司の写真とか、家に飾りたいもん(そんなスペースはないですが、当然)。
実際に、チェン氏の家に飾ってある様子も写真に収めてあって、これがまた興味深い。風呂場に飾ってあるマン・レイの絵とかねー。
それから、ちょこちょこっとたまに落札価格とか書いてあるのも興味深い。普通、美術館の絵に値段は書いてないからねぇ。まぁ、藝術的価値と商品価値は違ふので、それは当然なんだけれど、コレクターともなれば、その二つとガップリ組んでアートに取り組むことになる。これがまた面白い所なんだなぁ。
いや、私はコレクター気質はないんで、コレクションはしないんだけど、結果として集まってしまふものはある。本とかレコードとか。で、最近はアニメ関連のグッズとか。これに関してはトモコの方が積極的で・・・我々はさっきも言った様に“アートは生活の中に”派なんで、アニメグッズも基本は使へるものが多い。コップとかTシャツとか、まぁ、フィギュアとか。しかし・・・こんな巨大なほむらちゃんの布とかどーすんねーん!「なによ、可愛いでせう!」確かに可愛いけど、飾るとこないやーん!!「欲しくないの?」ほ、欲しいけど、欲しければ買ふってもんぢゃないだろー・・・とか、さういふ問題も多々あり、そんな事ともこの展覧会は関係あるかと・・・いや、ないか。

5月31日の日曜日まで。オススメです!

スチームパンク

「スチームパンク・バイブル」ジェフ・ヴァンダミア&S・J・チャンバース著(小学館集英社プロダクション)を読みました。
実は私、スチームパンクって、いまひとつピンと来なかったんですね。そら一応、19世紀英国ヴィクトリア朝の美意識+当時の蒸気(スチーム)テクノロジーが超ハイテク化した世界観、といった程度のイメージはあるし、私が読んだ事のある小説で言へば「ディファレンスエンジン」、映画で言へばガイ・リッチーの「シャーロックホームズ」とか、そんなんが“スチームパンク”と呼ばれてゐるのは知ってゐました。だから大体のイメージはある。ただ、それがサブカルチャーのジャンルのひとつとして自立してゐる・・・といふのがよく分からなかったのです。そんな、独立するに足る様な何があるのか?と。
それが、この本を読んでなんとなく分かりました。この“パンク”の部分が肝だったんですね。つまり、ここで言ふ“パンク”とは、現行の体制・価値観に対する反抗+DIY精神、といふ意味。19世紀英国は産業革命の真っただ中、テクノロジーが今までにあり得なかったほど従来の世界を変へ尽くしていく最中。それが今の世界に繋がる訳ですが・・・その過程で失はれてしまったものはあまりに大きい。その失はれた可能性を夢見るのが「スチームパンク」なのであらう。
これは当時のアーツ&クラフト運動とも通底すると思ふのですが、当時のテクノロジーは、まだ自分で色々と弄る事が可能だった。自分で何でも作る事ができる!といふ夢を持つことができた。全てが機械化・オートメーション化していく中で、自分で作り、改良できる機械。テクノロジー。それがスチームパンクの夢見たもの。一体中がどうなってゐるのか、一般人には分かり様がない現代のパソコンとかと違って、歯車やピストンが組合はさり、頑張れば理解して作る事ができさうなテクノロジー。
それから、全てが効率化・カジュアル化してゐる現代と違って、ヴィクトリア朝ではシルクハットにコルセット、ゲートル、動きにくいドレスやゴテゴテしたアクセサリー類、とファッションもデコラティブでスタイリッシュ。かういった美意識も、失はれたものであり、彼らの求めるもの。この美意識はテクノロジーにも共通してゐて、彼らのテクノロジーは象型や鳥型とか有機的なボディを持ってゐたり、ロボットを作ったりする。いや、ホントに作ったりしてるんですよ、象型の乗り物とか。
そして彼らにはイベントがある。スチームパンクバンドのライブを観たり、みんなでティーパーティーをしたり、各自の作ったスチームパンクグッズの販売があったり・・・で、そこにはみんな気合ひの入ったスチームパンクファッションで来る。コアな連中はそれぞれスチームパンクな人格“スチームソナ”を備へてゐる。これは、まぁ、キャラの“設定”である。つまり・・・君ら中二病やったんか!
うーん、わかるわー。

劇場版

「劇場版 境界の彼方(過去編)」をMOVIXにて観てまいりました。まぁ、これはテレビ版の総集編なのですが・・・なんつーか、まんま総集編。ってか、時系列に沿って映像を繋げただけの代物です。つまり、テレビ版を観てない人にはイマイチ訳が分からんだらうし、楽しむ事は不可!といふ代物なのです。うーむ・・・実は私は「中二病でも恋がしたい!」の劇場版を、テレビ版を観ることなく観に行ってしまった事がありまして・・・、あん時は、なんぢゃこの粗雑な代物は!こんなもん、作品として成立してへんやん!と憤ったものですが・・・もしかしてアニメの劇場版って、こんなパターンが多いの?完全新作ならともかく、テレビ版の総集編はこんなのが普通なのでせうか。
まぁ、今回の場合も、完全新作である「未来編」に繋げるため、一年ほど前にテレビ版を観てゐた人たちに、テレビ版を思ひ出させる縁としてある代物、といった感じです。
いやね、私が最初に観た深夜アニメの劇場版って、「まどマギ」だったから。「始まりの物語」と「永遠の物語」。あれは、もの凄い完成度だった。テレビ版を観てない人でも十分理解して楽しめる内容だったし、映画作品として、細かい部分が全部作り直されてゐた。あれを最初に観てしまったもんだから、もちろん他の劇場版も同じ様なもんだらうと思ってしまったんだけれど・・・なんか、位置づけ、存在様式が違ふのかも。テレビ版を観るのが前提で、それのオマケ/祭りとして劇場版がある感じ。
さういへば、私は未だ観た事がないけれど、テレビのバラエティ番組の劇場版も存在する様で・・・すでに、映画館でかかってゐるものは当然映画である、といふ常識は通用しなくなってゐるのかもしれません。

あ、ちなみに「劇場版 境界の彼方(過去編)」は楽しめましたよ。今回は、テレビ版観てたし。「未来編」が楽しみだー。・・・と、この様に楽しめてしまふので、、まぁ、こんなのもアリなのかな。

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