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2015年01月22日(Thu)

1月13日〜1月19日 []

かぜの科学

ジェニファー・アッカーマン著「かぜの科学」を読みました。
風邪とは、最も身近でありながら、決定的な予防法も治療法も未だ見いだせてない、といふ、なかなか興味深い病です。その風邪に対する最近の知見(原著は2010年)をまとめた、とても読みやすくて面白い本。
ところで、この本の中で、風邪がウイルス感染ではなく細菌感染だと思ってゐる人が多い、いやそもそもウイルスと細菌の区別がついてない人が多い、といふ指摘があるのですが、へー、未だにさうなのかな。私の感覚では、今はかなりの人がこの区別がつく様になってゐるのでは、と思ってゐたので。だって、「風邪には抗生物質は効かないんだよね」とか「医者に行っても治らないんだよね」といふ人、増えてる様な気がしてたんだけど。
でも、まぁ、個人の主観なんかちっとも当てにならないので、多分、未だ世間の風邪に対する理解は大混乱なんでせう。

私も、これ読んでて、ああ、言はれてみれば、さうかも!と、虚を突かれる事がありました。例へば、寒さで風邪にかかる事はない、とか。
確かに、風邪はウイルス感染なので、寒さは関係ない。どんなに寒くても、極寒の所に放り出されてガタガタ震へても、ウイルスがなければ風邪にはかからない。言はれてみれば当たり前なんだけど・・・でも私も、お客さんが「風邪ひいたかもー」とか言ってれば、「さういへば最近、急に寒くなったからねー」とか答へてた。まぁ、あまりの寒さで身体が弱ってて、風邪ウイルスに感染した時に発症しやすくなる・・・とかいふ事はあるのかもしれないけれど・・・でもやっぱ不正確!
あと、免疫力をあげればいいってもんぢゃない、といふ事。風邪の症状って、免疫反応だから、免疫力があがれば却って症状がキツくなる可能性がある、とのこと。うーん、免疫力って難しいんだよなぁ。

風邪には治療法がない、といふのはその通りなんですが、それでも私は以前から、風邪の治療法ならこれだらう・・・といふ一つの考へがありました。それが、なんと、この著者のアッカーマンさんと同意見だったんですねー。やー、自分の考へが裏付けられた様で嬉しい。
で、その治療法とは何かと言ひますと・・・それはプラシーボです。
例へばビタミンCを採っても風邪が治るといふエビデンスはないんですが、それでもビタミンCは風邪に効く!と信じてゐれば、それは効く。これがプラシーボ。
だって、有効な治療法がないんだから、プラシーボに頼るしかないではないか。それは“効く”んだし。
だから、チキンスープを飲む、とか、甘いものを採ってひたすら寝る、とか、やけになって踊りまくる、とか、なんでもいい。それで自分が治った事があり、これやったら治るねん、といふのがあれば、それがその人にとってベストの治療法。私の場合は・・・やっぱひたすら寝ることかな。

予防法に関しては、やっぱ“手洗ひ”が最強みたいなんで、みなさんよく手は洗ひませうー。

マップ・トゥ・ザ・スター

クローネンバーグの新作「マップ・トゥ・ザ・スター」をテアトル梅田にて鑑賞。やー、最高だわ。やっぱミア・ワシコウスカはいい!ジュリアン・ムーアも凄かったけど、やっぱ私はミア・ワシコウスカだ。現代のハリウッドバビロンを描いた作品だけれど、それを浄化するのがミア・ワシコウスカ演じるアガサ。この映画に出て来るのは、どいつもこいつもどこかが壊れた/狂ってる人間の屑、みたいな奴ばっかりだけれど、その中で圧倒的に輝きを放つ“まともな”人間がアガサ。まぁ、人を殺したり放火したりしてるけど、それも全て圧倒的に“まともな”行為にみえる。だって彼女は浄化を司る火の女性なんだもの。
この映画の中で、キーとなるかの様に何度も出て来る「盗んだ水」といふ架空の映画があります。で、これの元ネタはロバート・ロッセンの「リリス」らしいんだけど・・・観てない。うーん、観なくちゃならんかなぁ。

若者たちの会話

諸事情があり、夜中にチェーン居酒屋に行くはめになってしまひました。すると、隣の席の若者二人の声が大きくて・・・一応しきりはあるのですが、筒抜け。耳元で怒鳴られてゐる様で結構参りました。
若い・・・んだらうな。顔は見えなかったけど。とにかく酔ってるのか、憂国談義に燃えてゐたのです。どんな感じかといふとですねぇ・・・日本は江戸時代には性に対して大らかだった、それが明治維新で西洋流の性のリゴリズムが入ってきて歪められた、とかいふ話で盛り上がって・・・
「だから明治維新がダメなんだよ!明治維新はいい所もあったけど、ダメな所も多いんだよ!だからオレは明治維新を超えた革命を目指してるんだ!坂本龍馬なんか、オレにとっては通過点なんだよ!」
「お前は、オレが歴史上で唯一尊敬してる人物を超えるといふのか」
「それぐらゐの気概が必要なんだよ!」
とか、そんな感じ。
まぁ、若いんだらうから、内容のイタさは別にいいとして、ちょっと気になったのは、彼らの憂国の情が、ともすると同世代の若者批判に転ずること。曰く「今の若者(大学生、と言ってゐたか)は熱さがない」「なにも考へてない」「疑問をもたなすぎ」「みんな一緒で個性がない」「政治に興味がない」・・・など。
ここから見えてくるのは、どうも彼らは仲間内でうまくいってないんぢゃないか、少なくとも満足できる友人関係を作れてないんぢゃないか、といふこと。それ自体は構はないけど、さういった個人的な事情を憂国の情にまで拡げるのはどうか。ろくでもないと思ふよ。革命!とかぶち上げる前に、まづ身近な友人たちとの関係を見つめ直すのがいいんぢゃないか。ってか、隣に座ってる人に気を使ふ事から始めた方がいいと思ひますー。

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