12月24日〜12月30日 [etc]
鳥の謎
建仁寺さんの池の端に、しばしば大きな鳥が佇んでゐるのを見た事がある人は結構居ると思ひます。私はほぼ毎日そこを通るので、非常にしばしば鳥を見かけます。鳥はじっと水面をみつめてほぼ微動だにしないのですが、一体何をしてゐるのか。池にはたくさんの鯉が泳いでゐます。まさか、鯉を狙ってる?いや、いくら鳥が大きいと言っても、鯉だって相当でかいのです。無理やろ。それでも、鳥はじっと水面を、鯉たちがその下で泳ぎ回ってゐる水面をみつめてゐるのです。何をしてゐるのか。
私はずっとその事を謎に思ってゐたのですが、先日、その謎が解けました。
トモコがたうたう見たのです。鳥が食べてゐる所を。といっても、鯉ではありません。鯉の餌であるパン屑を、鯉と争って食べてゐたさうです。
やー、長い間の謎が解けてスッキリしたー。
京野菜の謎
オパールでお客さんが帰った後に、たまに色んなものを置いていく人が居ます。多分観光客の人たちで、先々で貰ったりしたチラシ類なんかを置いていくのですが、その中で先日、「京野菜くっさい」と書かれたものがありました。京野菜のちらしなのでせうが、「くっさい」とは・・・京野菜にそんなに臭いものってあったっけ?私はしばし考へ、トモコに尋ねてみました。すると「それ、『京野菜くっきい』よ」との答へ。私の謎はわずか30秒程で解けてしまひました。
演技について
フィンチャーの「ゴーンガール」を観た後、私が常連さんなどに「やっぱ結婚生活は演技が大事だよねー」とか言ふと、微妙な顔をされます。これは私の真意が伝はってゐないからで、つまりみんなは「演技」といふとイコール「嘘」と思ってしまふ様で、演技=嘘=仮面夫婦、とか思ってしまふ様なのです。いや、それは違ふ。
確かに嘘をつくための演技といふのはありますが、なにも演技は嘘をつくためだけのものではありません。真実を追求するための演技もあるのです。
三島やワイルドが言ってゐる様に、素のままの告白ほど信用ならないものはない。飾らず、真っ正直に自分の心情を吐露した、といふ時、人は自分でも気がつかない無意識の嘘をついてゐます。これは自分でも分かってない分、完璧な嘘といへます。が、彼に仮面を被せ、他人となって語って貰へばどうでせうか。今度は、自分でも気がつかない無意識の真実が露呈してしまふのです。演技も同じ。演じる事によって、我々には真実が見えてくるのです。
むろんこんな事は当たり前で、そもそも我々は演技なしで生きる事なんて出来ません。日々の生活で、多かれ少なかれ、意識すると無意識とに関はらず、我々は演技をしてゐます。要はそれにどこまで意識的となり、完璧な演技が出来るか、といふ事です。ワイルドも言ってゐます。人生の第一の義務は人工的になる事だ、第二以下の義務はまだ誰も発見してゐない、と。
「ああ、分かった。それで友だち夫婦ってうまくいかないパターンが多いのねー。なんか腑に落ちた」と、テンコさんは言ひました。
さうですね。それぞれが個人として、エゴをぶつけあって、夫婦としてやっていくのは難しいのかもしれませんね。やはり、個人と個人ではなく、夫と妻として、それぞれの役を演じる必要があります。それは、夫婦/結婚生活といふものに対して、それぞれがエゴを幾らか犠牲にし、それを負担ではなく喜びとすることです。それが演技です。
「ゴーンガール」において、エイミーは確かに極端過ぎますが、その事を本能的に理解してゐた。対して、夫の方はその事を理解してをらず、さうなると「こんな嘘の生活には耐へられない!」とか言って、浮気に走るんですよねー。でも、そんなのって単なる逃避で、嘘の結婚生活から真の愛ある生活へ、なんてそれこそ嘘っぱちなんですよ。
しかし、これもワイルドが言ってるんですが、芝居と違って現実の生活では、ローゼンクランツやギルデンスターンがハムレットを演じさせられる事がある、と。確かに、さういった問題はあるんですよねー。うーん。自分の役柄を正確に把握するのが大切な訳ですが、これがまた、ねぇ・・・。
BLACK MESSIAH
本年度最後の収穫はこれでせうな。ディアンジェロ14年ぶりの新作、「BLACK MESSIAH」。キター!!!!!!
・・・・・・って、興奮するのは実は演技でして、いや、確かにこれを待ってゐた。ディアンジェロの新作かドレの「デトックス」か、てな感じで、ずうっと待ってた。待ち過ぎた。毎年の様に「来年こそはでる!」といふ噂に振り回され、プロモ盤だか何だかを色々と買はされ、もう、はっきり言って、待ちくたびれてしまひました。正直、現物を見ても、フーンてな感じで・・・。
そして、聴いてみました。ふむ。黒い。カカオ99.999%のチョコレートといった趣き。実に黒い。とはいへ、音的には想像の範囲内。「ブラウンシュガー」や「VooDoo」の時の様な衝撃はない。が、それでも・・・やっぱ徹頭徹尾ディアンジェロで、聴いてゐてすこぶる気持ちがよい。美味・悦楽。思はず、何度もリピートして聴いてしまふ・・・。
実はこんな経験、つい先日もしました。エイフェックス・ツインの13年振りの新作「SYRO」。新作を出す度にテクノの概念を更新する様な革新的な作品を出し続けてゐたリチャード・D・ジェームスが、突然沈黙してから13年。久しぶりの新作は、とても保守的といふか、我々が想像するエイフェックス・ツインのまんま。革新も衝撃も、ない。が、それでもその音の気持ちよさは驚異的で、この一月ぐらゐ、憑かれた様に聴きまくってしまひました。至福・陶然。ディアンジェロの新作も、さうなるのか。
しかし、この二人の作品を聴いてゐると、ここ10年ぐらゐは時代が停滞してゐたのでは、と思はされます。煮詰められるか、削ぎ落されるか。そして、奇しくも二人が同時に新作を出す、といふ。新しい時代の胎動が、その中に宿ってゐるのでせうか。
とりあへず、「BLACK MESSIAH」で年越しです。
Comments
投稿者 はっさく : 2015年02月06日 12:32
ご無沙汰しております。もう節分過ぎてなんですが、あけましておめでとうございます。
私も、年末年始はどっぷりBLACK MESSIAHでした。ホント、気持ち良すぎて延々リピート、ちょっとほかのCDかけてみても、また戻って・・・と言うのを繰り返してました。
投稿者 元店主 : 2015年02月07日 02:59
お、はっさくさん、久しぶり。こちらこそあけましておめでたう。
はっさくさんもディアンジェロの新作はちゃんとチェックしてたんですね。どこかのオイシンとは大違ひだな。うん、やっぱいいよねー。私は未だに聴いてます。
ところではっさくさんは未だKダブは聴いてますか?実は昨年末にKダブとUZIが新曲を発表しまして・・・「韻」といふ曲なんだけど、PVがあまりに衝撃的なんで、よかったらチェックしてみて下さい。
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