11月11日〜11月17日 [etc]
華麗なるジャポニズム展
京都市美術館で「華麗なるジャポニズム展」を観ました。
平日なのに凄い人!・・・なんで?テレビででもやったのかな。さういへば最近のテレビは、日本人がどんだけ凄いか、日本がどんだけ素晴らしいか、といふ番組が多い、といふ噂をチラッと聞いたんだけど・・・もしかしてその文脈でジャポニズムに人気が集まってるとか。まぁ、フランスの印象派に浮世絵とかが影響を与へた、といふ話だからねぇ。自己愛をくすぐりますか。でも、だとしたら、なーんかヤな感じだわー。
まぁ、フランスで浮世絵がもてはやされてゐた時、日本では「こんなの国の恥だ!」といって浮世絵を捨てまくってたといふ話もありますから。今現在も似たような愚行が行はれてゐるのでは、といふ危惧の方が強いですよ。なんて。
それはともかく、ジャポニズムの絵の横に、それに影響を与へた浮世絵を並べて展示するといふ、ベタだけど分かりやすい方針で、なかなか楽しかったです。例へば、浮世絵では、太い柱を描いて画面を縦にいくつかに区切り、そこに水平のものを何個か描いて格子柄の様に画面構成をするやり方があるのですが、それの影響を受けた絵として、印象派でそっくりな画面構成をしてゐる絵が何枚も並んでゐると、可笑しくて笑ってしまひます。なーるほどねぇ。
ちなみに本展覧会の目玉はモネの「ラ・ジャポネーズ」といふ、西洋人女性がキモノを着てゐる作品なのだけれど、それのリラックマバージョンが会場限定販売。思はず、買ってしまひました・・・。
ホイッスラー展
京都市美術館の向かひにある京都国立近代美術館では「ホイッスラー展」をやってゐたので、ついでに観に行きました。(つーか、ホントはこっちを観にきた)
ホイッスラーは、アメリカ生まれでイギリスで活躍した画家。ジャポニズムの先駆者ともいはれ、唯美主義を主導した事で有名・・・って、ふーん、さうなのかー、いや、よく知りませんでした。
ホイッスラーの主導した唯美主義とは、主題を物語るために絵を描くのではなく、色と線が織りなす美的効果・視覚的快楽のために絵を描く、といふもの。なるほど。確かに絵がちょっとデザインっぽくて、妙なモダンさがあります。が、そこはかとないアメリカ臭さがあって・・・、どこがどうと指摘はできないのですが・・・なんか、うーむ、ちょっと微妙。ノーマン・ロックウェル的といふか、後に思ひっきりポップアートに振れるアメリカとは違ふ、古き良きアメリカ的な匂ひが・・・。うーむ。
こちらには、リラックマは居ませんでした。
映画史のなかの太秦
日文研で行はれた講演会「映画史のなかの太秦」に行ってきました。これは「太秦ライムライト」といふ、もともと切られ役者として有名な福本清三さんを主役にした映画がありまして、この映画は、まぁ、今や日本において時代劇がかなりヤバい事になってゐるらしいのですが(「水戸黄門」が終了して、時代劇のドラマが一本もない状況らしい)、その状況に対してなんとか時代劇の復興を!といふ願ひを込めて作られたものらしく、そもそも福本さんを招いての講演会、といふ趣旨で企画されたらしい。が、この映画が海外で賞をとり、福本さんも賞を穫ってしまったので、忙しくて来られない事になってしまひ・・・急遽、殺陣師の上野隆三さんを迎へての会に変更。それプラス、「太秦ライムライト」の脚本・プロデュースを手掛けた大野裕之さんの講演といふ事になったのだけど、このままだとあんま人が来ないかもー、と妹に訴へられたので、オパールにて宣伝、及び、私とトモコも出陣するハメになったのです。・・・あ、ちなみに私の妹が上野隆三さんの話の聴き手をやるのね。妹は一応、日文研の出身で、時代劇の研究をやってゐる人間なので。
まぁ、さういった次第で日文研に行ったのだけれど、えらい遠いなぁー。阪急桂の駅からタクシーで結構かかる。こんな辺鄙な所に、平日の17時に来る人なんて居るんかいな?と思ってゐたら、割と居たのでビックリ。むろん、ご年配の方ばかりではあるが。
講演会の方は、やはり上野隆三さんの話が抜群に面白い。私はあまり時代劇に興味はないのだけれど、上野さんは現代劇(「仁義なき戦い」とか)もやられてゐるので、それらも取り混ぜて興味深い逸話がポンポン飛び出す。また、上野さんは喋りも上手で、所々で立ち上がって実際に所作を見せながら殺陣の説明をする。結構お年で、座って喋ってゐる時は“どっこいしょ”ってな感じで飄々としてゐるのだけれど、動くといきなり切れが良くて、おお!かっこえー!と痺れました。
思ってたよりずっと楽しめた講演会でした。
UN-GO
アニメ「UN-GO」全11話を観ました。これは坂口安吾の「安吾捕物帖」をベースに、舞台を近未来の日本、それも第三次世界大戦(?)後の日本、つまり近未来の戦後日本に移して翻案されたアニメです。この翻案がなかなかに秀逸で。いや、私も「安吾捕物帖」は読みましたが、なにせ学生時代の事で、内容はほとんど覚えてゐません。だからストーリーをどこまで踏襲してゐるのかは分かりませんでしたが、明らかに「白痴」を思はせる映画を撮るシーンがあったり、探偵・新十郎が「堕落論」らしきセリフを喋ったり、新十郎の助手が人外のものと人工知性だったりと、かなり大胆に翻案してゐる様です(「夜長姫」といふアイドルグループまで出て来る!)。そして(私の記憶が確かならば)最大の違ひは、「安吾捕物帖」では勝海舟がまづ間違った推理を披露し、それに対して新十郎が正しい推理をして、勝海舟をギャフンと言はせる、といふ形式だったと思ふのですが、この「UN-GO」では、勝海舟にあたる“海勝燐六”が間違った推理をするのは同じなのですが、実はそれは正しい推理が分かった上で敢て間違った推理をしてゐる、といふ形になってゐる事です。つまり、真実は危険なものだから、敢て“美しい嘘”で世の中を収める、と。これに対して、新十郎はいくら醜くても、危険でも“真実”を求める、といふ形で、海勝燐六に対抗する図式になってゐるのです。これがこのアニメの肝、独創ではないでせうか。
美しい嘘に対して、醜くても危険でも真実を求める、といふのはとっても安吾的です。とはいへ、それ故に、実は新十郎の描き方が弱い、と感じてしまひました。確かに、一見、彼は美しい嘘を暴き、真実を求めてゐる様に振る舞ってゐますが、どーも本当はさうでもないんぢゃないか、と見える。むしろ、美しい嘘を憎むが故に、醜い嘘を求めてしまってゐるだけなのでは?といふ様に見えたりするのです。真実を求めるには、あまりに精神が硬直的に見えるのです。とても「堕ちていく」人間には見えない。堕ちていく人間は、もっと自由でせう。
むろん、その事実が突きつけられるシーンは何カ所かあるのですが(つまり、制作側はその事実には自覚的)、かといってそれが解消される事はなく、故に堕ちて行く人間の自由さを欠いた新十郎が堕落論めいたセリフを口にすると、少々白々しく聞こえてしまひます。
だから、是非ともこの続きを描いて、この問題を突き詰めて欲しい、と切に思ふのです。助手であるインガと風守があまりに魅力的な故、彼ら(彼女ら?)にまた会ひたい!といふ気持ちも大いにある事ですし。
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