ハロルドとモードの霊歌 [映画]
昔から観たかった映画が続々とDVD化され、ちょっと嬉しい昨今です。
最近観た中で良かったのはハル・アシュビー監督の「ハロルドとモード」と加藤泰監督の「みな殺しの霊歌」。特に前者は初ソフト化のはずで、この名のみ高かった名作を観る事ができて、ほんと良かったです。
「ハロルドとモード」は1971年の作品。19歳の少年と79歳の老女の恋愛もので、その年齢差60歳!はっきり言って加藤茶なんて目ぢゃない。しかも、世間にままある年上の方が金持ちといふパターンではなくて、この映画の場合、少年の方が金持ちです。さらにいへば、伊太利亜あたりでままあるマザコン故の恋愛、といふのでもなく、完全に対等な関係の恋愛。老女モードは、母性といふより少女性の溢れるチャーミングな人なのです。
かういった真に過激なものを含んだ映画って、最近はあんまり観ない様な気がするんですよねー(あ、韓国映画に結構あるかな)。70年代特有のもったりした質感もいい感じ。また、お金持ちの邸宅や調度が素敵で・・・なんか、最近のハリウッド映画とか、豪華なシーンでも薄っぺらいんですよ。なんでかな?CGとかで補正してるのか?うーむ。
またこの映画は、様々なカルト映画に影響を与へたカルトズ・カルトな映画と言はれてるんですが、私的には「さらば青春の光」への影響が気になる所・・・と思って観てゐたら・・・、まんまやん!と、思はず叫んでしまひました。
全編キャット・スティーブンスの歌が流れてるんですが、別にキャット・スティーブンスなんて好きではないものの、この映画にはバッチリあってゐて、いい感じでした。
やー、死ぬまでに観る事ができて良かった。と、しみじみ思った次第。
「みな殺しの霊歌」は1968年の作品。五人の有閑マダムに輪姦された少年が自殺し、それに憤った主人公がこのマダムたちを次々惨殺していく・・・といった内容の映画です。当時から問題作だった様で、大の男(年齢でいへば高校生くらゐかな)が女性に輪姦されたぐらゐで自殺するのはどうか?とか、本人が復讐するならともかく、赤の他人がするのはどうなのか?など。
この様な疑義が呈されるのは、分からないでもない。が、私は100%この映画を支持します。特に、昨今の愚劣化を進行させてゐる日本に於いてはなおさら、この映画を支持するべきである、と思ふのです。
私が今、念頭に置いてゐるのは国旗国歌法案の事です。そもそも、これは私の昔からの強固な確信ですが、日本には全くと言っていいほど個人主義がありません。個人主義といへば、ワガママ主義の事だと思はれてゐる。違ひます。個人主義とは、個を尊重する事です。つまり、当然他人の“個”も尊重する訳だから、他人の“個”を侵す様なワガママなど許される訳ありません。そして、個人主義は民主制の前提条件です。個人主義のないデモクラシーは、単なる弱いもの苛めの多数決に堕してしまひます。だから、個人主義のない日本でデモクラシーなんてあり得ないし、小沢一郎がいくら頑張ったって、日本は前近代で野蛮で愚劣な国のままなのです!(無実の小沢一郎をなんとか罪に陥れようと、マスコミが音頭をとって騒いだ一連の“小沢事件”なんて、愚劣の極みでせう。ホント、日本に住むのが嫌になりましたよ)
あれ、なんか話が脱線しましたが・・・、あ、さうさう。レイプといふのは個人の尊厳を踏みにじる行為で、絶対に許されるものではありません。犯されるのが男だらうが、女だらうが関係ない。男といふのは、そもそも勃たないとできない訳だから、犯されたと言っても、楽しんだ事には変はりがないだらう、などといふ意見がきかれます。違ひます。個の尊厳が踏みにじられた事が問題なのであって、生理的快楽を呼び起こされようがどうだらうが、そんな事は関係ありません。個の尊厳とは、主に精神に関はる事柄です。
国旗国歌法案も同じ。自分の思想・良心に背く歌を歌はせるのは、個の尊厳を踏みにじる行為です。レイプと同じです。なんか、ここらが分かってない日本人が多過ぎる(まぁ、個人主義がないんだから当たり前かもしれませんが)。
公立校で国家を歌ふのは教員の義務、などといふバカな意見もきかれます。公立校は、国家主義者を養成する所ではありません。公立校は(むろん私立校も)、デモクラシーの前提となるよき個人主義者を育てる所でせう。だからむしろ、もし国歌に納得できないのだったら断じて歌ふべきではない(しかし他人が歌ふのも邪魔してはいけない)、といふ事を教へるのこそ、先生の義務だと思ひます。自他の個の尊厳を守ること、思想・信条の自由を守ること。
(むろん私は“君が代”も“日の丸”も好きですから、それらが尊重されるに越した事はありません。が、強制されたものに真の尊重などうまれる訳がない。だからこの法案は、“君が代”や“日の丸”に対する大いなる侮辱だと思ひます。さういった意味でも、私はこの法案を唾棄します)
赤の他人による代理報復に関しては、微妙です。現実問題としては、間違った行為でせう。が、だからと言って、この映画の価値はちっとも下がりません。間違った事を、ある種肯定的に描くのも、映画の力だからです。
この映画も、「ハロルドとモード」と同様、真に過激なものを含んだ素晴らしい作品だと思ひました。
にしても、加藤泰のローアングルって、やっぱ笑ってしまふんだよねぇ。
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