ツリー・オブ・ライフ [映画]
MOVIXにて「ツリー・オブ・ライフ」テレンス・マリック監督を観てきました。
テレンス・マリックは、「地獄の逃避行」(’73)と「天国の日々」(’78)で映画史に名前を残す、伝説の映画監督です。伝説の・・・と言っても、それ以降も「シン・レッド・ライン」(’98)、「ニュー・ワールド」(’07)と寡作ながらも作品を撮り、今回の新作も発表された訳で、十分現役の監督さんではある訳です。まー、その存在が伝説化されたカルト監督、とでもいった位置づけでせうか。
一発強烈な奴を放って、あとは寡作、となると、どうしてもカルト化しやすいですよね。ジャコ・ヴァン・ドルマルとか。(・・・にしても、なんで「ミスター・ノーバディー」はそれほど騒がれてゐないのか?)
ちなみに私は、テレンス・マリックの作品を観るのは初めてです。
で、初めて観て、どうだったか。
トンデモナイ作品だなぁー、といふのが第一印象。むろん、この「トンデモナイ」は褒め言葉です。私は、トンデモナイ作品が好きですから。
とはいへ、トンデモなければなんでもいい、といふ訳でもありません。この作品に対しては、面白いけれどそれを凌ぐ大きな違和感が残った、といふのが正直な感想でもあります。では、その違和感とは何か。
うーん、テキサスでの生活を美しくノスタルジックに撮ったところとか、妙に仰々しく神掛ってゐる所とか、色々とあるのですが、最大の違和感はここ。それは、ショーン・ペンの子供時代の回想がなんでひとつの時期に集中してゐるのか、といふ事です。
この映画は、ショーン・ペンの回想によってほとんどが占められてゐるんですが、その回想の時期が、10歳くらゐかなぁ、その時期に集中してゐるのです(それより小さい頃の映像も、少しあります)。その時期の、どーって事ない生活が、延々と描かれます。その映像はとても美しいのですが、なんでこの時期ばかり回想するの?といふ疑問が沸き起こります。この映画の主軸として、ショーン・ペン(演じるジャック)とその父親(ブラピ演じる)との葛藤がある訳ですが、別にその事に関して、なにか決定的な事がこの時期にあった訳ではありません。それどころか、壮年に至った現在でも、父親とは葛藤を抱へてゐる様で、ならもっと様々な時期の回想をするんぢゃないの?と思へてならないのです。あるひは、もっと何か決定的・象徴的な事件のあった時期、とか。
この“決定的・象徴的な事件”を敢て推理するなら、それは“弟の死”と“テキサスの家からの引っ越し”でせう。ショーン・ペンの回想も、“弟の死”から始まり、“家の引っ越し”で終はるからです。これに“父親との葛藤”といふ項目を容れて、この三つがなにか有機的にからまった事件がこの時期にあった、といふのなら分かります。が、そんな様子はない。むしろ、“弟の死”と“家の引っ越し”は無関係っぽいです。
そもそも弟の死に関しては、死因も語られません。引っ越した後の生活も語られないし、この時期以外の父母の様子も語られない。それなのに、最後には彼岸みたいな所で、ショーン・ペンは“あの”時期の弟や父母と再開します。そして抱き合ふ・・・。なんぢゃそりゃ。
この映画、恐ろしく独りよがりなんではないでせうか(私はさう思ふ)。普通、独りよがりな映画って、酷くて観られたもんではないのですが、さうでもないのがこの映画の変な所で。その点に価値があるかなぁ、とちょっと思ひました。
あと興味深かったのは、私にとって、この映画の描く世界は“地獄”っぽいんですよ。地獄・・・といふと言ひ過ぎかもしれませんが、美しく描かれたテキサスでの生活は、私にはちょっと勘弁だし、ブラピ演じる父親も嫌ですが、それ以上に母親が苦手です。なにかいっちゃってる。映画では、神の恩寵(グレイス)に生きる人、ってな感じになってましたが、日本でいへば、新興宗教に走る母親って感じに思へました。
全編にアメイジング・グレイスが鳴り響いたりして、なにか荘厳な感じを演出してるのですが、私には寒々しい限り。閉塞感も感じて、息苦しい。彼岸の様子も、なんだかもう・・・。
これでカンヌパルムドールですからね。提示される世界観の受け取り方の落差!これが、興味深かったです。
あと、まぁ、偉さうな事を言ひますが、この映画を観てゐるとき、劇場内でけっこう失笑が起きてゐたんですね。私が思ふに、これは映画が理解できない事に対する失笑です。自分の中で、理解不能な事を持ちこたへる事ができないんでせう。それでは、ダメだらうと思ふ訳です。理解不能なものをしっかり受け止めないと。成長も何もあったもんではないですよ。なーんてね。この映画を20回観直せ!!(←ブラピオヤジ風)
かういふ変な映画がないと、ハリウッドは救はれないよなぁ、と思ひました。
Comments
投稿者 uno : 2011年09月01日 14:35
こんにちは。今日観てきました。弟は19歳で死んだようなので、引っ越しと弟の死は無関係です。父親は引っ越し後、特許で一儲けしたのでしょう。映画冒頭の家は立派です。不思議な映画ですね。
投稿者 元店主 : 2011年09月02日 00:07
あ、やっぱりさうだよな。弟、死んだ話が冒頭だったので、いくつで死んだのか、うろ覚えだったのです。うーん、やっぱ訳わからんやん。
私の印象では、この監督、敢て詳しい事情は語らずに観客の想像に任す、といふよりは、自分ひとりで納得しちゃってる度合ひの方が高い様な気がするのです。つまり、独りよがり。
でもまぁ、いき具合が半端でなく、それを観てるのがそれなりに面白いのも事実なんだけどね。
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