ミスター・ノーバディ [映画]
映画強制起訴シリーズ。6月の起訴映画は「ミスター・ノーバディ」。ジャコ・ヴァン・ドルマル監督の作品です。
★
- ヤマネ
- いやー、良かったですねー!
- 元店主
- うん。久しぶりに映画らしい映画を観たって感じだった
- マツヤマ
- もう、最高だよ!オレはこの映画、大好きだよ!
- 元店主
- あ、マツヤマさん、大好きでしたか。私は・・・、まぁ、凄く良かったんですけど、『大好き!』といふのはなんだか憚られる、といった感じです。ちょっと表現するの、難しいですが
- ヤマネ
- 分かる、分かる!ボクも、もしかしたらこの映画、今年のベスト1に選ぶかもしれないですけど・・・、でもさうしたら、なんだか頭で選んぢゃった、といふ気がします。
- マツヤマ
- オレは何の躊躇もないよ。大好き!最高!もっと時間があれば、あと2、3回は観に行ったのに!
- ヤマネ
- どこがそんなに良かったんですか?
- マツヤマ
- え?それは、もちろん、全て良かった。設定、世界観、ファッション、街並、音楽、登場人物、未来世界の造形・・・全て良かったけれど、敢て言ふなら・・・アンナだよ! 15歳のアンナ!
- 元店主
- ああ、ジュノー・テンプルですね。確かに、メッチャ良かったですよね!
- ヤマネ
- あの娘、ジュリアン・テンプルの娘なんですよね。あんな可愛い娘が居たんですねー。びっくり!
- マツヤマ
- むろん、アンナが最高なのは当然として、15歳の頃のニモも良かった。あの二人の話は、もう何といふか、胸が・・・
- 元店主
- 確かに。私はニモの顔はちょっと苦手ですけど・・・、でもそんな事は関係なく、凄く良かったですよね、あの話!・・・・・・えー、この映画は、一応、医学の進歩によって全ての人が不死となった世界で、唯一不死ではない、なんらかの理由で不死の処置をされてないが故に死ぬべき運命にある唯一の人間、ミスター・ノーバディー=ニモが、自分の死を前にして、自分の生きて来た人生を記者に語る、といふ形で構成されてゐます。で、このニモの語る人生がですねぇ、矛盾だらけ。といふか、様々な人生が交錯して語られるといふ訳です。離婚した母親に附いて行ったバージョン、父親と共に残ったバージョン、アンナと結ばれたバージョン、結ばれなかったバージョン・・・・。んで、私がいいと思ったのは、これら全ての話し、どれが真実か、といふのが決して定められない、といふ所です。はっきり言って、医学の進歩によって不死が達成された未来社会・・・といふ大枠の世界自体、真実ではないかもしれない
- ヤマネ
- さうなんですよね!だって、途中で未来社会の街が崩れて消えていくシーンがありますもんね。例へば・・・、孤独で彼女もいなくて部屋で小説を書いてゐるニモが出て来るぢゃないですか。彼の書いた小説が、その未来社会かもしれない訳ですし。・・・となれば、少年時代のエピソードも、彼の考へたものなのかな?
- 元店主
- うん、確かに、さういった可能性もある。でも、やはりそれだって、可能性のひとつであって、決めてがある訳ではない。私は、やっぱ様々なバージョンが共存してゐて、唯一真実のバージョンがある訳ではない、と採りたいけど。
- ヤマネ
- “シュレディンガーの猫”ですね!
- 元店主
- え?ああ、さうだね。生きてる猫と死んでる猫の共存、だね。ニモも、何度か死んでる訳だし。・・・ところで、ヤマネくんは“シュレディンガーの猫”に関しては、どういった解釈をとってるの?私は、多世界解釈をとってるから、問題ないんだけど
- ヤマネ
- ボクは、多世界解釈とコペンハーゲン解釈の共存=重ね合はせです!
- 元店主
- なんだそりゃ?なんかずるいなぁ
- ヤマネ
- テヘ。・・・でも、確かに多世界解釈の方が論理的ですけど、なーんか、いまいち納得できないんですよねぇ・・・。で、ケンタロウさん的には、この映画は多世界解釈的だと?
- 元店主
- うん、さう思ふけど。起こらなかった事も起こった事と同じ様に意味がある・・・BY テネシー・ウィリアムズ、だよ
- ヤマネ
- う〜ん、でも・・・、さっき言った様に、これは一人のニモによる様々な創作、といふ風にもとれますし、ボク的には、やっぱひとつの話に収斂して行ってる様に感じるんですけど・・・波の収縮・・・
- マツヤマ
- あああ!もう! 二人ともなに難しい話してんだよ!もっと、この映画そのものについて話し合おうぜ!・・・音楽も良かったよな、音楽。
- 元店主
- ネーナの『ロックバルーンは99』ですか(笑)
- マツヤマ
- あれもよかったけど、バディ・ホリーとか、オーティス・レディングとか。特に、オーティスに関してだけど、オレ、初めてオーティスって若いんだ!と実感した。オーティスは20代で死んでるから、はっきり言ってただの若造なんだけど、オレにとってはつい最近まで“永遠のオッサン”だったの。それが、実は若いやん!と実感できた。個人的に、凄く新鮮だった
- 元店主
- さういったロックやソウルだけでなく、サティの様なクラシックから、なんか私はよく分からないんだけどオペラまで、様々な音楽を使ってましたね。それがまた、よくあってゐた。話も交錯してるし、音楽も多様で重層的。映像的にも、色をとても効果的に使ってゐてカラフル、さらに、様々な映画的記憶が引用されてゐる・・・
- ヤマネ
- ははは、『ソラリス』でせう!
- 元店主
- うん、あのベンチから浮いてるシーンね。他にも、『ディーバ』とか、『2001年 宇宙の旅』とか『ZOO』とか。なんか、とにかく2時間17分の映画なんだけど、それこそ何年分もの映画体験をした!と思はせる、ギュッと詰まった濃密な映画だった。こんな映画体験、久しぶりだな
- ヤマネ
- 実際、監督はこの映画のシナリオに6年も掛けてますし。そもそも、この映画、13年振りですよ! 91年のデビュー以来、これでやっと3作目ですよ! ビクトル・エリセかい!
- 元店主
- エリセに倣はず、是非4作目を撮って欲しいよね。・・・で、ラストのシーンだけど、あれ、ビッグクランチになるのかな?とにかく、時間が巻き戻っていくぢゃない。あれ、なに?あれよく分からないんだけど。
- ヤマネ
- コホン。・・・えーとですね、ボクの考へを述べますとですねー、あそこでみんな逆向きに動いていく訳ですが、その時にニモだけが大笑ひしてるのがポイントだと思ふんです。つまり、ニモ以外の周りの人はみんな不死な訳で、不死といふ事は選択に意味がない訳で、それは人生に対する愛着なんてない、といふ事なんです。人生は、後戻りや取り替への効かない選択を重ねる事によって成る訳で、故に尊ひ。愛すべきものなんです。ニモは死を前にして、人生に於いては起こった事も起こらなかった事も同様に価値がある、といふ認識に達した訳で、だから自分の人生を全肯定できた。で、だからこそ、時間が巻き戻って自分の人生をもう一度辿ることに大いなる悦びを感じて笑ってゐる訳です。他の不死の人たちにとってはですねぇ、人生なんていくらでもやり直しがきくもんだから、愛着なんて沸かないし、今までの自分の人生をもう一度やっても楽しくないでせうよ。さういった監督の哲学が現れてると思ひますね!
- マツヤマ
- なるほどなぁ。そしたら、最初の鳩の話はなんなの?あれは、我々が意志的にやってる行為、選択なんかもさうだけど、それには意味がない、的外れ、と言ってる様に思へるけど
- ヤマネ
- ええ、それはその通りなんです。我々は全能の神ぢゃないんだから、究極的には正しい選択なんてできないし、我々の選択なんて全て的外れ、とも言へる訳ですよ。それでも!我々が選択すること、それ自体に意味がある!その選択の結果、どの様にならうとも全てそれらには意味が、価値があるんです!“正しい選択”とか“正しい判断”なんてまやかしなんだ!我々、有限の存在である人間に、そんな事ができる訳がない!でも、我々は人生を愛する事ができる。LOVE YOUR LIFE!みんなもっとこの映画観に行ってー!!!
- 元店主
- なんか・・・ヤマネくん、神懸かってきたなぁ・・・。で、マツヤマさんは、どうなんですか?お得意の“深読み”は?
- マツヤマ
- いや、正直に言って、この映画を深読みする気にはならないよ。ただ、もうそのまま、まるごと、全身で受け止めて、いつまでも浸ってゐたい・・・って感じかな
- 元店主
- ふむ。この映画に五官で感応したマツヤマさんと、頭脳で感応したヤマネくんの対比が興味深いですね
- ヤマネ
- なんかひとり外野からまとめに入ってますけど・・・さういふケンタロウさんは、どちらなんです?五官で感応?それとも頭脳?
- マツヤマ
- さうだよ。どっちなのか、はっきり答へて貰おうか
- 元店主
- ええっと、私は・・・、五官と頭脳の共存です。多世界解釈だし
- ヤマネ&マツヤマ
- なんだそりゃ!
★
7月の強制起訴映画は、「デビル」ジョン・エリック・ドゥードル監督です。ちなみに、シャマラン製作の映画でーす。
Comments
コメントしてください