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2010年02月07日(Sun)

インビクタス 映画

MOVIXでイーストウッドの新作「インビクタス」を観ました。

なんちゅーか、これはまた、随分とストレートな映画やなぁー、といふのが第一印象です。イーストウッドの映画は、常に一種の不透明な翳り、といふか、引っ掛かり、といふか、謎めいて奇妙な所があるのですが、今回のはあまりそれらが感じられず、ほんと、ストレートによく出来たエンタテインメントといふか、面白いのは面白いけれど、でも、こんな事でいいのか?と、一瞬ボーゼンとするような作品でした。

まあ、イーストウッドがネルソン・マンデラを題材に撮る、と聞いた時から、これは畢生の大暴き系映画になるのではないか!と、無闇に一人で盛り上がってゐた私が悪いのです。ネルソン・マンデラといへば、アパルトヘイト廃止後の南アフリカで初めて黒人の大統領になった人で、黒人たちや人権活動家たちの間ではキング牧師と並んで英雄扱ひされてゐる人物。
私もブラックミュージックファンですから、訳も分からず「マンデラ、マンデラ」言ってたのですが、あるとき副島隆彦の「『実物経済』の復活」を読んでゐて、マンデラは南アフリカの金(ゴールド)利権を英国から奪い取るためにアメリカ(ロックフェラー財閥)が放った刺客だった、といふ指摘にぶち当たり、ビックリして椅子から落っこちた事があったのです。
これは凄い事実だ、誰か他に指摘してる人は居ないかな?と思ってゐた所に、イーストウッドがマンデラを扱った映画を撮る、との速報。これは・・・・・・と、勝手に妄想を逞しくしてゐたんですね、私は。
うーむ、アホみたいだ。

むろん、映画は以上の“驚くべき真実”とは全く関係なく、ストレートなスポーツ映画、ナショナリズムを高揚させる感動大作、となってゐたのでした。・・・・・・と、いや、これは正しくないな。

私が思ふに、この映画は“いかにして憎しみの連鎖を止めるか”といふ点にフォーカスして撮られたのではないでせうか。或は、“いかにして最善の決断を下すのか”。それならば、前作「グラン・トリノ」からの連続面もみえやすい。
私にとって「グラン・トリノ」は、いかにして最善の決断を下すか、といふ映画です。これはリバタリアンとしての哲学にも関はってくる。答へは簡単で、“憎しみ(といふ強烈な感情)を捨てる”といふ事です。如何にも、簡単だ。しかし、実際に実践するとなれば、これほど難しい事はないでせう。
これは、仏教における“悟り”に近いと私は考へてゐます。私の理解では、“悟り”とは“愛欲”“怒り(憎しみ)“怠惰”といふ人間にとって最も強烈な感情を捨てることです。さうすれば、物事がクリアにみえる、と。
最善の決断を下すには、物事がクリアにみえてゐないといけない。物事をクリアにみるためには、強烈な感情を捨てなければならない。とはいへ、これはなかなか難しい。“悟り”が難しい所以です。

ネルソン・マンデラは、南ア初めての黒人大統領として、最善の決断を下さうとした。そのために、自分及び同胞を酷い目にあはせてきた白人たちに対する憎しみを捨てた。その時に、マンデラは別に仏教に頼った訳ではありません。ウイリアム・アーネスト・ヘンリーといふ英国の詩人が、難病に掛かって苦しみのどん底に居る時に書いた「インビクタス」といふ一編の詩から力を得ました。それが、まー、この映画の要だと思ふのですが、イーストウッド、あまりにさりげなくそこらを撮り過ぎてゐて、うっかりするとスルーされてしまふかも。さういふのが、イーストウッドっぽいと言へば、さうなんですが。

マンデラは、この後、たった1期で大統領を辞めてしまひます。それを、権力に執着しないマンデラの人格の高潔さ、と讃へるむきもある様ですが、もしマンデラがアメリカの放った刺客なら、英国から金利権を奪った米国が、用済みになったマンデラを辞めさせた、とみる事もできます。
たとへマンデラがアメリカの刺客だったとしても、マンデラのやったこと、白人との連立政権やラグビーワールドカップでも国民感情の統一、などの偉大さは、些かもケチはつきません。マンデラは、自分が利用されてゐる事は自覚しつつ、その中で自分のできる最善の決断を下し、実行したのでせうから。(オバマだって、さうではないか?)
政治とは、といふか社会とは、人生とは、さういふものでせう。映画の中で言ってゐた通り、パーフェクトな状態で闘へるものではない、といふ事です。

深読みすると、アメリカに利用されて捨てられたマンデラの偉業を映画にする事で、イーストウッドは密かにオバマにエールを送ってゐるのかもしれません。オバマも、ニューヨーク財界に大統領にして貰ったけれど、それに逆らいつつ、なんとか改革を進めようとしてゐる様子。となれば、いずれ捨てられる(最悪の場合は殺される!)のは必至。が、頑張れよ!たとへお前が捨てられても、オレがお前の偉業を映画にして後世に残してやるから!・・・と。
・・・って、イーストウッド、いつまで生きるつもりやねん。

Comments

投稿者 てらりー : 2010年02月15日 22:17

久々に書き込みを

前作がまだ消化不良の僕にとっては、ものすごくストレートな映画で気持ちがよかったです。

あまりに長い収監を経ての大統領就任、冒頭のシーンですでに涙をボロボロ流してしまいました。
その裏にロックフェラーの意思が働いていたとは!!
たとえそうであっても、偉大さは全く損なわれないとの考えに同感です。

3月にお店に伺います。

投稿者 元店主 : 2010年02月16日 04:58

まー、テラリーは絶対にこの映画で感動してると思ったよ。

いい映画だけどね。でも、あまりに分かりやすいものは警戒した方がいい。それが騙されないコツ。そして、様々な深読みを行ひ、迷走に迷走を重ね、さらに深い瞑想に至る・・・。

3月に待ってます。

投稿者 オイシン : 2010年03月07日 07:50

やっと見ました。

うーん、なんでイーストウッドがわざわざ作ったのか
謎です。オバマを応援するとかそういう意図でも
みないと褒めようがないというか。

まあ、たまにはこういうこともあるでしょう!

では今度はバッドルーテナント見に行ってきます。

投稿者 元店主 : 2010年03月07日 14:09

さうだなー、モーガン・フリーマンに頼まれたから作ったんぢぁないか?穏当に考へると。
それか、私の深読みした様に、オバマ応援のためだな。

なんにせよ、すでにイーストウッドは次の作品を撮り始めてる(もう終はってる?)のだし、彼にとったら、これぐらゐの作品、チョチョイノチョイなんだよ。そこが、凄い。

私は・・・「渇き」が観たいなぁ。(京都でやるのだらうか?)

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