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2009年11月24日(Tue)

イングロリアス・バスターズ 映画

観てまゐりました、タランティーノ最新作「イングロリアス・バスターズ」。
前作の「デス・プルーフ」が、個人的には生涯のベスト映画に入る程の傑作であったため、楽しみ半分・不安半分、といふ気分で臨んだ訳ですが、まー、前作には及ばないながらも、十分に満足できる作品で、映画を観る悦びにビッタリと浸されながら、帰ってきたところです。

タランティーノといへば、過去の作品からシーン、ストーリー、曲、なんかを引用しまくって、それらを使ってひとつの作品を造り上げてしまふ、といふ、非常にDJ的な監督さんです。だから私は大好きな訳ですが、今回の作品に関しては、それが故に些か心配でもありました。だって、私は戦争映画なんてほとんど観てないんだものー。
世の中の多くの男の子たちと違って、少年時代にほとんどプラモデルに興味の持てなかった私は、当然の事ながらメカ、つまり銃や戦車や飛行機なんかにも興味がなく、従って戦争映画にはほとんど興味が持てませんでした。
むろん、戦争映画はメカや制服や戦闘シーンを楽しむだけのものではないですが、いはゆるオタクと呼ばれる人たちはそんなものをこそ、戦争映画に求めてゐる。非常にオタッキーであるタランティーノももしや・・・、と少しばかり危惧してゐたのです。が、杞憂でした。
なんと、ナチを扱った映画であるにも関はらず、兵器に関する偏愛はほとんどなし!戦闘シーンもほとんどなし!代はりにあるのは、ストーリーに関係のない会話と、(戦闘ではない)暴力と、女性の足と、“映画”の話。つまりはいつも通りのタランティーノで、かつてこんな戦争映画があったであらうか?と、戦争映画をほとんど観てないので判断を下せない私にとって無意味な質問を呟きながら、いたく感心・感動したといふ次第です。

ここで、タランティーノの作品を貫く“思想”とは何ぢゃろ、と考へてみました。
すると、やはり、それは「細部にこそ神が宿る」といふ事ではないか、と思ふ訳です。
すでにタランティーノ作品のトレードマークの様になった、“ストーリーと関係なく不必要と思はれるほど長く挿入される会話のシーン”に、その事は端的に顕はれてゐるでせう。世の中には、大文字の大問題・重要事があります。人権や差別や平和や格差や正義や環境や戦争・・・等々。しかし、一見重要なそれらの事は、本当は大して重要ではない。本当に大切なのは、本筋に関係のない会話や女の人の足や映画なんだよ、といふのがタランティーノ作品の思想だと思ふのです。そして、私はこの思想に圧倒的に共感いたします。
タランティーノは一貫してこの事を描いてきたのですが、空回りすれば「キル・ビル」の様になり、奇蹟が起これば「デス・プルーフ」の様になる。で、今回は、如何にも堂々としたもんです。
なんといっても、扱ってるテーマが、戦争!ナチ!!ユダヤ人差別!!!・・・と、泣く子も黙る大問題ばかり。それで居て、見事なまでに自分の思想を貫徹してゐる。すげー、こんなこと、さうさう出来ないよ、普通。
また、この映画が世界的に大ヒットしてゐる、といふから驚きです。こんな不道徳な映画なのに。こんな真理を描いちゃった映画なのに。みんな・・・・・・、ちゃんと映画を観てないんだらうね、多分。

それにしても、アントニオ・マルゲリーティ、私も知らなかったよ。

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