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2009年08月18日(Tue)

藤城清治展 アート

京都文化博物館に「藤城清治 光と影の世界展」を観にいきました。

藤城清治といへば、我々の様な昭和40年代生まれにとっては、「パルナス〜」とか、「ブライト〜」とか、すぐに浮かんでくるのですが、今の若い人たちはどうなんでせうか。

YouTube - パルナス YouTube - 1979 ネッスル ブライト

その他にも、「暮らしの手帖」の挿絵だとか、ケロヨンだとか、東郷健だとか。谷内六郎と共に、我々のノスタルジックな感情を喚起してやまない人な訳ですが、実は現在でもバリバリと御活躍中なのでした。
今回の展覧会では、昔の作品から、最近の作品まで、ドドーンと展示。私は、昔の作品はもちろんの事ですが、最近の清水寺や金閣寺を描いた影絵に、大いに感銘を受けました。

ところで、藤城清治といへば小人(こびと)です。藤城清治自身も、「ボクは小人が大好き」と公言し、全ての人がみんな自分の小人を持てばよい、みたいな事を言ってゐます。今回の展覧会でも、影絵から立体化した小人の人形があって、それが最高でした。
実をいふと私、小人を見た事がありません。そしてその事を、非常に残念に思ってゐます。
いや、世の中には小人を見た事のない人間の方が多いのは知ってゐます。が、小人を見た事のある人間も、案外多いのも知ってゐるのです。

高校時代、同級生のひとりは、私の家に泊まりに来た時に酔った勢ひで(あ、えーと、お茶に酔ったと解釈して下さい)、幼い頃に密かに小人と遊んでゐたといふ話を打ち明けました。私は頷くばかり、後に知ったのですが、幼い頃に小人と遊んだ事のある人間は結構居る様で、なによりトモコがさうです。トモコの場合は、祖母も交へて遊んでゐたとの事で、なかなかの強者といへるでせう。
また、ドラッグなどでトリップしてゐる人間が、しばしば小人をみる、といふのもよく知られた話です。
これはつまり、俗なる日常に幽閉された我々の意識に、時として介入する超世界からの侵入者が小人だ、といへるのではないでせうか。だからそれは、必ずしも小人である必要はなく、妖精であったり、天使であったり、宇宙人であったりするのだと思ひます。
私がこれらの者をみた事がない、といふ事は、私自身、俗なる日常に捕はれたプリズナーNo.6で、未だ脱出の契機さへ掴めてゐないのではないか、と考へられるので、残念に思ふのです。ああ、小人に会ひたい・・・。

「いつも会ってるぢゃない」

ええ?ど、どこで?

「ほら、そこで」

090818.jpg

あ、さうか・・・・・・。

藤城清治展は、9月23日までやってゐます。

Comments

投稿者 可能涼介 : 2009年09月19日 00:07

小川顕太郎様

コビトならぬ巨人の話を。
拙著を大西巨人氏にお送りしたところ、
「小説の執筆に専念したいので礼状は書けない。その代わり、本になったら送りたいので可能君の住所を教えてほしい」
と、某編集部に電話してくださったとのこと。
うーん、巨人ですよねえ・・・。

可能涼介

投稿者 小川顕太郎 : 2009年09月22日 02:14

可能涼介さま

御本「圧縮批評宣言」(論創社)届きました。
本の入った袋に「郵便料金不足のお知らせ」といふ紙が貼ってあって、献本にも関はらず、受け取る受け取らないを選択しなくてはならない、といふ所に、君の批評性を感じました。
私は即座に、70円不足の所に700円分の切手を貼って、郵便局に「お知らせ」の紙を返送してやりました。

御著書、これからじっくり拝読させていただきます。

投稿者 可能涼介 : 2009年09月22日 12:39

小川顕太郎様
失礼しました。

私、どうも最近、うっかりミスが多いようです。
なんか、遠からず地震が来そうな気がして、しょうがないので・・・。
もちろん、杞憂だとは思いますが。

まあ、拙著、ご笑覧ください。
可能涼介

投稿者 可能涼介 : 2009年10月14日 23:53

小川顕太郎さま
上記の拙著、
新連載 椹木野衣 美術と時評 第1回 大竹伸朗の現在はどこにあるのか
http://www.art-it.asia/u/admin_columns/2WqNcoSUBdteQfkpjrO6
で、とりあげていただいています。
ちょっとみてみてください。
可能涼介

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