秀山祭 [歌舞伎]
歌舞伎座に『秀山祭』夜の部を観に行きました。
“秀山”とは初代吉右衛門の俳号らしく、つまりは『秀山祭』とは「吉右衛門祭」のこと。だから夜の部では『二条城の清正』といふ、初代吉右衛門のために書かれた芝居がメインになる訳ですが、私のお目当ては何と言つても玉三郎の『阿古屋』。これが観たいがために、わざわざ東京までやつてきたのですよ。そして、観にきた甲斐がありましたー!
やー、昨晩に『ドラクル』といふ**な芝居を観た後だつたんで、もう『阿古屋』の素晴らしさが引き立つてゐました。やッぱ歌舞伎は素晴らしい!
歌舞伎といふのは、極度に様式化されてゐる訳です。『仮面の告白』と言ひますが、仮面=様式を身につける事によつて、ものごとはその真実と美を顕現する。これは大前提でせう。『ドラクル』はそこが全然分かつてゐない。一神教の厳しさと無縁な日本人たちが、中途半端なコスプレをして、「信仰」だの「懺悔」だの大真面目にやるから、をかしな事になるのです。さすがに『仮面の告白』を書いた三島はそこら辺をよ〜く分かつてゐましたよ。『サド侯爵夫人』は、日本人がフランス人を演じる、といふ滑稽さを“込み”で書かれた戯曲でした。それなのに……ッて、もういいですか、『ドラクル』の事は。しつこいですね。すんません。そんな事より、『阿古屋』ですね、『阿古屋』。
実は歌舞伎にも色々あつて(当たり前ですか)、様式化の度合ひも様々です。『二条城の清正』は、昭和に書かれた戯曲だけあつて、(歌舞伎的)様式化の度合ひは少ない。恥ずかしながら、私は途中で寝てしまひました。はははー。いや、地味なんですよ、お話自体が。それに較べて、『阿古屋』はバリバリに様式化されてゐます。実をいふとお話自体は『二条城の清正』に負けず劣らず地味で単調なのですが、様式化が凄い。阿古屋=玉三郎の花道の出から、もう息を呑むばかりです。
この『阿古屋』といふ芝居は、もともと文楽だつたものを歌舞伎にした訳ですが(歌舞伎はこのパターンが多い)、文楽の様に演じてゐる、といふのが特色です。悪人の岩永左衛門は“人形振り”と言つて、後ろに黒衣がついて動きは完全に人形で、口は閉じたまま、眉毛は仕掛けでピョコピョコ動きます。つまり文楽人形を演じてゐるのです。他の出演者はそこまでではありませんが、それでも人形を意識した動き。この様に複雑な様式化が施されてゐるので、他愛も無いことが一々いいんですよねー。歩くとことか、笑ふとことか。
衣装も凄くて(特に玉三郎のは圧巻!)、正に眼福、眼福。観に来て良かつたー、と真に思はせてくれました。
あ、あと『身替座禅』も観ました。なんと! 今年3回目の『身替座禅』。そんなに何度もやらんでもいいやろ…、と、観に行く方としては相当脱力しますが、やる方には何らかの事情があるのでせう。私はワイン片手になんとか乗り切りました。山蔭右京役は、團十郎。私が今年観た勘太郎、仁左衛門もそれぞれ良かつたですが、やはり團十郎が最高かな。下手だとか、天然だとか、白血病の後遺症だとか、色々言はれてゐますが、いや、そんなのを全部含めても“大きい”ですよ、團十郎は。息子が吸血鬼の役をやつてゐる時に、父親は山蔭右京。お父さん、偉いなァ。
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