役者と義務教育 [歌舞伎]
雑誌「演劇界」9月号に載つてゐる、片岡仁左衛門のインタビューを興味深く読みました。
私が「やはり!」と思つたのは、仁左衛門もどうやら“役者に義務教育は必要ない”といふ考へに辿り着きつつある様だ、といふ事です。そもそも役者にとつて子供時代といふのは、藝の基礎を作るのに決定的に重要な時期です。そんな時に、学校などで“無駄な時間”を過ごしてゐてよいものか? と、孫である片岡千之助の事に言及しながら自分の考へを暗示してゐると思へました。これは、自分の息子である片岡孝太郎の事も頭にあつての発言でせう。
仁左衛門は、自分が学校を中学しか出てゐない事から、自分の子供にはキチンと学校教育を受けさせようとした様です。が、その結果、どうも息子の孝太郎の藝は弱い、と感じてゐるのではないか。実をいふと、同じく上方の名門である成駒屋でも、似た様な事情はある様です。
坂田藤十郎の襲名式の口上を聞いて感じたのですが、そこには自分の息子たちにキッチリと教育を受けさせた結果、どうにも息子たちの藝が弱くなつてしまつた、といふ想ひがあるのではないか。だからこそ、孫の壱太郎には義務教育より藝の鍛錬だ、といふ考へがみてとれたのです。奇しくも、上方の二大巨頭は同じ考へに至りつつある様です。
山本夏彦は『インテリぎらい』といふ文章で(『世は〆切』文春文庫収容)、文部省による義務教育は、戦前「にせ毛唐」を量産した(そしてこれらの人は戦後「にせ日本人」になつた)と書いてゐます。が、職人と俳優の世界は(近代化が)遅れてゐて徒弟制度があつたから、義務教育は介入できず、偽物でない日本人が残つてゐた、と。
「昭和になっても頭と呼ばれるほどの職人には威風あたりを払うものがあった。それでいて旦那に対しては謙遜である。男は四十になれば容貌に責任があるというのはこのことかと私は思った。すべてを兼ねたからである。いま四十年会社員をつとめても容貌に威厳は生じない。分業になったからである。」(『インテリぎらい』山本夏彦)
私が何故ここまで歌舞伎に惹かれるのか、と考へてみるに、やはりそこには“偽物でない日本人の世界”が多少なりとも残つてゐるからでせう。その世界をもつとよく保存するために、やはり文部省と日教組による“義務教育”は、役者の世界には必要ないだらう、と私も考へてゐます。だからこそ仁左衛門、藤十郎の考へには感銘を受けざるを得ません。
ところで、山本夏彦はこんな事も書いてゐます。
「同じく昭和初年六代目菊五郎が野球に熱中してチームを作ったと読んで、これで歌舞伎も終りだなとぼんやり思った。名人といわれた六代目がニッカーボッカーのたぐいをはいて写真の中で得意そうだったからである。」
う〜む、すでに昭和初年に歌舞伎は終はつてゐたか…。いやいや、いつだつて物事は手遅れではあるが、だからといつて諦めるものではありません。我々は壱太郎、千之助の成長を見られるのだから、そこに期待を込めたい、と思ひます。
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