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2007年06月07日(Thu)

大日本人 映画

 MOVIXで『大日本人(松本人志監督)を観ました。

 私はテレビを観ないので、松本人志とか、よく知らないのですね。そりゃ、ダウンタウンのデビュー時は知つてゐますし(まだテレビを観てゐた)、「松本人志論」みたいな本も読んだ事があるので、大体の感じは分かります。彼がポストたけしの位置に居るお笑ひ界のカリスマである、とか、福子らしい、とか。とはいへ、やはりそれぐらゐでは何も知らないに等しく、この彼の初映画監督作を観て、へー、松本人志ッて、こんな人なんだー、と感心する所が多々ありました。まづ、それから述べてみませう。

 第一に、映画がかなり知的に構成されてゐること。なんとなく、もつと感覚的に話や笑ひを作る人なのかと思つてゐただけに、意外でした。

 次に、愛国心に溢れてゐたことです。へー、松本ッて、こんな人なんやー、と感心。もつと醒めた人なのかと思つてました。

 …と、まとめたら2点になつてしまひましたが、残念に思つた点も述べておきませう。

 まづ、話が分かりやす過ぎること。風刺が安易すぎるかな、と。ま、かういつた風刺は私は好きではあるのですが。

 そしてなにより、映画といふよりテレビ的であつた、といふ事です。これが最大の問題点でせう。

 映画とテレビはどこが違ふのか。といふ問題はなかなか難しいですが、とりあへず、普遍性の有無、と言つておきませう。映画は作品としての独立性が高く、普遍的です。簡単に言へば世界に出しても通用する、といふのが映画。世界に対して開けてゐるのです。対して、テレビは作品としての独立性が弱く、地方的です。その国の国情や国民性、民族的な偏見や感覚に拠る所が大きい。世界に対して閉じてゐる。つまり自らに対する相対化、意識化が弱い、といふのがテレビだといへるでせう。

 私にはどうもこの『大日本人』は、テレビ的だと思へました。お金をかけたテレビ番組、といふ感じがしたのです。その点が、たけしの映画と違ふ。なんやかんや言つても、たけしの映画は映画として成立してゐます。

 面白い、面白くない、ではないのです。確かに、映画として成立してゐても、面白くない作品はいくらでもあります。面白くない映画は星の数ほどある。逆に、面白いテレビ番組もいくらでもあるでせう。しかし、普遍性の有無、独立性の有無、といふのはもつと大切な事なのです。面白ければいい、といふ人は、テレビを見続ければいいでせう。でも、面白いだけではダメだ! といふ人も居て、その人たちが映画を観るのです。そして、映画を名乗るからには、やはり映画として成立してゐないといけません。だから、『大日本人』は惜しかつた。面白く、志も高く、タイムリーな作品であつただけに…。

 なんだか残念な点ばかり強調された様ですが、誤解を避けるために言つておきますと、私の『大日本人』に対する評価は、基本的に「good!」です。

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