歌舞伎とヒップホップ [音楽, 歌舞伎]
「最近はすつかりヒップホップから歌舞伎に興味が移つたんだねー」などと言はれる昨今の私ですが、いやいやそんな事はありません。むろん、歌舞伎にはグイグイと嵌りつつありますが、ヒップホップも依然、私の興味を惹き続けてゐます。と、いふか、私にとつて歌舞伎とヒップホップは同じ様なものなんですねー。
などと言へば、「どこが?」と疑問に思ふ人も多いでせう。最もです。それでは、説明いたしませう。
歌舞伎とヒップホップ。何が同じと言つて、体現してゐるものが同じなのです。あの無意味な絢爛豪華、大袈裟で大掛かりな“傾き(かぶき)”の精神。ヒップホップの人たちは服装を見れば分かる様に、基本的にかぶいてゐます。何サイズも上のダブダブの服を着たり、下着がスッカリ見えるまでズボンを下ろして穿いたり、顔半分が隠れるくらゐのビックサイズの帽子を被つたり、逆に赤ちゃん用か? と思ふほど小さな帽子をチョコンと頭に載せたり。Tシャツとジーンズなのに、何千万もするアクセサリーを身につけたりします。
この、財力の誇示、といふのも両者に共通するものですね。そもそも歌舞伎は、身分として侍の下に置かれ抑圧された町人たちが、圧倒的な財力をもつてこれに対抗した、といふ側面があります。江戸の芸術は“遊蕩”と“芝居”だと、確か岸田劉生も言つてをりました。同じ様にヒップホップは、人種的に差別され抑圧された黒人たちが、財力をもつて白人主流文化を脅かす、といふ側面があります。フランス人の誇るビンテージワインを買ひ占めてバラまいたりして、「下品な奴らめ! フランス文化が汚されるわ!」と、差別発言を誘発して問題になつたりしてゐます。が、そもそも歌舞伎を愛する江戸ッ子たちの誇る“粋”とは、上流階級からは“下品”といふ事です。ここでもまた、同じ美意識を共有してゐると言へるでせう。
さらに歌舞伎が圧倒的に江戸ッ子に支持されたのは、当時にあつては町奴と呼ばれるTHUGたちの精神を歌舞伎が体現してゐたからです。初代市川團十郎の父親は面疵重蔵と呼ばれる大親分でしたし、母親は遅蒔重兵衛といふ有名な町奴の娘でした。また海老蔵といふ名前が、唐犬十右衛門といふこれまた当時の大町奴によつてつけられたものだといふのは有名な話でせう。町奴は、今でいふギャングスタみたいなもので、太く短く派手にカッコ良く生きる事を理想とし、命を担保に意地づくしの人生を送つてゐました。ギャングスタラップがラップするTHUG LIFEですね。さういへば、初代市川團十郎は、舞台の上で刺されて死んだんですね、これが。ううーん、THUG LIFEですねー。
と、まァ、こんな所です。私が歌舞伎とヒップホップを同じ様なものだとみて、両方にゾッコンなのは分かつていただけたでせうか。こんな訳なので、ヒップホップファンの人は是非、歌舞伎を観て下さい。また、歌舞伎ファンの人も、ヒップホップを聴く事をオススメいたします。
Comments
投稿者 可能涼介 : 2007年03月04日 22:08
歌舞伎というか、演劇の始原に触れる催し、またやります。
「可能涼介パフォーマンス 頭脳演劇の現在Ⅳ」
3月18日(日)午後2時、京王線仙川駅改札前集合。
無料、雨天決行。
来てくださる人数によって内容が変わるので、要予約とします。kanouryousuke@yahoo.co.jpに、17日(土)までにお申し込みください。
自作の登場人物と化した私(可能涼介)が、その思想を開陳する、というものです。
駅前で集合して、近くの公園で、行います。天気がよければ富士山も見えます。よろしく。
投稿者 可能涼介 : 2007年03月18日 20:29
以上の件、無事終了しました。
ありがとうございました。
富士山もよく見えました。
しかし、打上で行った「柴崎」という駅の周りは圧巻でした。一見の価値ありです。
2007年3月18日20時30分可能涼介
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