ドーダ [読書・文学]
東海林さだお『もっとコロッケな日本語を』(文春文庫)を読む。東海林さだおと言へば、もちろん漫画家さんな訳だけれど、文章の方でも評判が高く、それも目利きや通人の様な人々からも絶賛されて居る人である。
私は昔は東海林さだおの面白さがよく分からず、うーむ、自分は文章読みとして未熟・粗野・下郎なのだらうか、などと思つた事も少しはあつたのだけれど、ある日突然その面白さが分かる様になり、今では大ファンである。この新刊も頭から尻尾まで、それこそ骨までしやぶり尽くす勢ひで堪能した。つまり、私も文章読みの達人になつたといふ訳である。ドーダ。
で、この最新エッセイ集。頭に『ドーダの人々』といふエッセイが3連続で収められて居る。これは人々が密かに様々な事を「ドーダ!」と自慢して生きて居る、といふ事を研究・報告した文章で、東海林さだおは自分の事を「長年にわたってドーダ学を研究してきた学究の徒」と呼び、「ドーダ学の祖」と称して居る。ニヤニヤしてしまふこと必至のエッセイだが、ここで少し気になることがある。実は私は先日『本日の論点〈1〉』鹿島茂・福田和也・松原隆一郎(飛鳥新社)といふ本を読んだのだが、そこで鹿島茂が「ドーダ理論」といふのを提唱して居るのだ。内容は東海林さだおの「ドーダ学」とほぼ同じ。が、どうやら鹿島茂は「ドーダ理論」を自分の発明として居る様なのである。果たしてどちらがオリジナルなのか。それとも別々に全く同じ発想に至つたのか。むろん、さういふ事はあるだらうが、その名称に「ドーダ」を冠するのはどうだらうか? 「ドーダ」ッて、そんなにポピュラリティのある言葉なのか? 私はあんまり使つた事がないけれど。
「ドーダ学」「ドーダ理論」そのものの起源に関する、真摯な研究・報告を待ちたい。
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