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2005年12月16日(Fri)

告白 読書・文学

 町田康著『告白』を読了。各所で絶賛されてゐる模様のこの小説。もちろん、といふか、私も非常に面白く読みました。

 が、本音のところ、前作『パンク侍、斬られて候』の方が好きかな。

 理由は以下。まづ、『告白』はよく出来すぎてゐる。個人的には、よく出来すぎたもの、といふのは趣が少ない、とか思ふ訳で、『パンク侍』の随所にある破綻ぶりの方が好ましいのです。あまりにもこれぢやあよく出来た小説で、ああ、町蔵もとうとう完全に小説家になつてしまつたんだなァ、と感慨を覚えてしまひました。次に、先程の意見とチョイと矛盾するのですが、些か冗長に過ぎる、と感じたこと。なんか、実はこう、なんていふのか、この小説、読む前から全て内容が分かつてゐた、といふ感じなんですね。いや、私の得てゐた前情報といふのは、これが“河内十人斬り”を元にした作品であること、題名が『告白』であること、の二つだけですが、この二つだけで、大体どんな小説であるか予想ができてしまつた。そして、実際に読んでみて、この予想が裏書きされた、といふ感じなのです。故に、冗長に感じてしまつたのであらう、と。

 つまりですよ、日本における数少ない真のパンクスである町田康(町蔵)がですよ、“河内十人斬り”の熊太郎に仮託して、自らの内面を“告白”する、といつた小説。この熊太郎の内面の動き、世界との対峙の仕方、といつたもの、これがまた「うんうん、わかる、わかる! さう、さうなんだよ!!」といつた感じで素晴らしくよく書けてゐて、ババさんなんか「まるで自分の事を告白されてゐるみたいだ!」と驚嘆し、「今まで読んだ中で一番面白い小説です!」とまで私に断言したのだけれど、私もそんなババさんの気持ちはよ〜く分かりつつ、それでも個人的には「ま、分かつてゐるッて」といふ、些か冷静な反応だつた訳です。

 これは何故なのか、といふのを考へてみますと、私はすでにそのやうな経験を済ませてゐるからではないだらうか、と思ひ至つた訳で、それは何なのかといひますと、三島由紀夫の『仮面の告白』なのでした。『仮面の告白』、あれを読んだ時の衝撃は忘れられません。もちろん、ババさんが侠客もどきではないのと同様、私も同性愛者ではないのですが、あの小説の主人公の内面の動き、世界との対峙の仕方、といつたものが、「ああああ! さ、さうさう! これ、これだよ、この通りだよ! 自分の内面がここにさらけ出されてゐるよ!!」といつた感じで、あまりにも自分と同じだ、自分の事がここに告白されてゐる、と感じたのでした。つまりは、『仮面の告白』で『告白』体験を済ませてしまつてゐたので、『告白』を冷静に受け止めてしまつたのではないか、と。

 このやうに、個人的には色々と思ふところもあるのですが、近代人の内面を描くことが文学における本道だとしたら、この町田康『告白』はあまりに文学の本道。且つ、成功作で、つまり、町蔵は文学者になつてしまつたんだなァ、と、さらに感嘆を重ねたといふ次第です。

 ところで、先日、『アパートメント・ゼロ』といふ映画をビデオで観たのですが、これはマツヤマさんが生涯のベスト1にあげてもいい! と前から公言してゐる作品。が、観た人の誰も面白いと言つてくれない、ともマツヤマさんが言つてゐた作品で、それなら、と、私も観てみたのですが、うむ、確かに、どこがそんなに面白いのか、いまひとつ謎の作品ではありました。で、マツヤマさんに、どこにそんなに惹かれるのですか? と尋ねてみると、「さうだね、まづ、ブエノスアイレス、といふ舞台がいい。それから、コリン・ファースの演技もいいね。あとは…」と、しばらく言葉を濁したあと、「実は、もつとダイレクトに自分に訴へてくるところがあるんだけれど、それは一寸言へません」と言葉を切ったのでした。マツヤマさんにとつて、『アパートメント・ゼロ』は『告白』だつたのかもしれません。

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