沖縄論 [読書・文学]
小林よしのり著『沖縄論』(小学館)を読む。最近は一寸、小林よしのりを読んでゐなかつたのだけれど(まァ、何て言ふか、もう分かつたやうな気になつてね、言ひたい事とかさ)、この本はババさんが「面白いので是非読んで下さい! 瀬長亀次郎最高!!」と言つて貸してくれたので、読んでみたのである。そして、大いに感銘を受けた。やつぱ、小林よしのりッて、偉いわー。
いや、分かつたやうな気になつてイイ気になつてゐた私は、アンポンタンでしたよ。まづ、コマの間から漏れる憂国の情、その魂の叫び、なんとか物事を伝へやうとする至純の心、などに打たれる。滑りまくつてチットモ面白くないギャグの数々も、さういつた観点からは感動的でさへある。これは相当、心身ともにボロボロに磨り減らしてゐるな、といふのが伝はつてくるのだ。漫然と日々を送りがちな私としては、頭を垂れるしかない。いかん、こんな事では!
が、さらに凄いのは、小林よしのりの“知的レベル”の高さである。これは驚異的だ。ハッキリ言つて、アカデミズムの世界ならいざ知らず、ジャーナリズムの世界でここまでの知的レベルを誇つてゐる人は、今の日本ではさうはゐないだらう。小林よしのりは決然と、ややこしい問題のある・しかし切実な、それ故にみんなが避けたがる領域に踏み込んできた。部落差別の問題、薬害エイズを巡る社会運動、大東亜戦争の再評価、911以降のアメリカの問題、など。さういつた領域には、無難な言説と硬直化した過激な物言ひの両極しかないのが普通なのだが、そこで非常にバランスのとれた(イデオロギー的に中立、といふ意味ではない)、柔軟な、且つ一歩踏み込んだ主張を行ふのである。これは、並みの知性ではできない。実際、日本のジャーナリスト・評論家のほとんどが出来てゐない。それを見事にやつてのけてゐるのが、痛快でもあり、感動的なのだ。これこそ本当の知性。中庸、といふものだらう。
そりゃー、確かに小林よしのりも、過去においては頓珍漢な事を言つたりもしたよ。これからも言ふだらう。しかし、そんな事は問題ではないのだ。常に正しい事だけを言つてゐる人間なんてゐないし、もしゐたらかへつて怪しい。問題は、自分のやつた事、やりつつある事に対する誠実さである。小林よしのりは、マンガといふ形で常に自分のやつた事、やりつつある事を公衆の面前に晒し、それに対する評価・批判を真摯に受け止めてきた。だからこそ、ここまでの高みに達する事ができたのだ。その様は、『東大一直線』の頃から小林よしのりを読んできた者にとつて、茫然とするほど感動的である。え、偉すぎる!
で、『沖縄論』である。これは現在の沖縄は現代日本の縮図である! といふ問題意識の下に書かれた、非常にアクチュアルな本だ。ま、小林よしのりは常にアクチュアルなのだけれど、この本は「今すぐ読め!」と全日本人にオススメして廻りたい程の本である。我々はここからどれほどの事を学ぶことができる事か。うーん、てな訳で強力にオススメ。今すぐ読んで下さい。
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