屍者の帝国/恋物語/買ったもの [etc]
10月8日〜10月18日
屍者の帝国
TOHOシネマ二条で「屍者の帝国」を観ました。これは、夭折したSF作家の伊藤計劃が残した長編3本(正確には2本+絶筆)を劇場アニメ化しよう!といふ「Project Itoh」といふのがありまして・・・それの第1弾。伊藤計劃が絶筆し、それを円城塔が書き継いだ作品の劇場アニメ化です。
なんでこんな企画があるのか、私にはよく分からないのですが・・・まぁ、伊藤計劃は割と好きでほぼ全作品を読んでるし、劇場で観るアニメに餓ゑてる事もあって、早速観に行ったといふ次第です。
しかし・・・これは、なんといふか、相当にビミョーな代物であった・・・。そもそも伊藤計劃の作品をアニメ化する、と聞いた時点で「大丈夫か?」といふ不安が頭をもたげたのだけれど、特に「屍者の帝国」はムリだろー、とか思ったのです。だってこの作品長いし、ちょっと入り組んでるし、メタな仕掛けがテキストに施してあるし。これは相当リライトしないと、映画にはならない。
で、やはり、かなりのリライトがなされたものとなってゐました。とはいへ、そのこと自体は別に構はない。映画化って、さういふものだし。しかし、そのリライトの仕方がちょっと・・・。
まづ、この映画は主人公の動機に関する基本設定が変へられてゐる。キャラも、主人公を始め多くの登場人物たちで変へられてゐる。むろん、これらの事は構はない。それは一種の工夫といふもので、必要な事でもある。でも、それでゐて、表面上のストーリーや、エピソードが原作をなぞってるんだよねー。時にはセリフまで。これが気持ち悪い。
だって、基本設定もキャラも違ふ人たちが、原作と似たようなストーリーをなぞったって、それはもう全く別ものな訳ですよ。同じセリフを吐いたって、それは違ふセリフな訳ですよ。ここまで設定とキャラを変へるのなら、もっと全然違ふストーリーになってしかるべきだ。さうしないと、この「屍者の帝国」といふ作品の“魂”を守ることはできない、と思ふのです。
原作小説を映画化したら、必ず色んな所が変はってしまふ。でもそれは当然のこと。ただ、その“魂”さへ護られてゐれば、それでいい。でも、その作品の“魂”って何だ?・・・って事にはなると思ひますが、とりあへずそれは、(制作者が)その作品を読んで感銘を受けたものの中心、とでもしておきます。だって、それがないと、わざわざその作品を別メディア(この場合は映画)に移し替へる意味がないですから。
さういった意味で、この映画の制作者たちが、「屍者の帝国」といふ作品の“魂”を何だと考へたのか、つまり何に感銘を受けたのか、といふ事がさっぱり分かりません。表面的なストーリー展開?まさか、それはあんまり・・・。
ちなみに私が考へる「屍者の帝国」の“魂”といふか“核心”とは、伊藤計劃がデビュー作以来ずっと追求してきた“意識とは何か”“魂とは何か”といふ問題を、“屍者が実現し実用化された世界”といふパラレルワールドの中で、散々遊びながら追求した、といふ事にあります。ってか、多くの人はさう考へると思ふのですが(そんなことないのかなぁ?)、このアニメではそれは見事にスルー。そもそもこのアニメに出て来る“屍者”は、原作の“屍者”と全く違ひます。原作に於ける“屍者”は、単一の意志しか持たないものです。つまり、戦士なら“殺す”、御者なら“運転する”、秘書なら“書き記す”など。これに対して人間は、様々な意志を持つものです。しかもそれらが矛盾・相対立して、闘争し軋みをあげた結果、産まれてくるのが“意識”や“魂”である、と。これが伊藤計劃の基本的な考へで、それはこの「屍者の帝国」においても、円城塔が引き継いでゐます。
これに対して、このアニメの屍者は、命令された通りにぎこちなく動くゾンビ、といった所で、上記の伊藤計劃の考へは踏襲されてゐません。なんでだろ?うーん、やっぱ謎だ。制作者たちは、一体なにを表現しようとしてこのアニメを作ったんだろか。
むろん、原作の魂なんか引き継いでゐなくても、面白かったらそれでいいやん!といふ考へもあるでせう。それも、一理ある。が、このアニメ・・・面白いのかな??? いや、私は表面的なストーリーが似てる分、どうしたって原作と比較してしまって、どーにもこのアニメが面白いのやらどうなのやら、よく分からなかったのです。全く原作を知らずに観た人がどう思ふのか。それを一度聞いてみたいなぁー。
恋物語
アニメ<物語>シリーズの「恋物語」を観了しました。いやー、<物語>シリーズはいつだって面白いけれど、今回はまた特別に面白かったわー。
<物語>シリーズは、“怪異”が現れてまき散らすトラブルを解決していく、といふのが基本ストーリーだけれど、今回は撫子ちゃんが“神さま”といふ最大最強の怪異(?)になってしまったもんだから大変。撫子ちゃんは幼稚でワガママな子なので、主人公たち主要人物を全員ぶっ殺す!といふ考へに取り付かれて大はしゃぎ。このままでは全員殺されてしまふ、でもあまりに力が強過ぎて誰にも撫子ちゃんを止められない・・・といった状況で、貝木泥舟がそれを解決する、といふのが「恋物語」のお話です。
この貝木泥舟は、ゴーストバスターではあるのだけれど、そもそも“怪異”の存在を信じない人間です。故に自分のことを「偽物」であり「詐欺師」である、と公言してゐます。むろん、怪異が引き起こしてゐるとされる現象そのもの(様々なトラブル)は、実際に目の前で起きてゐる訳だから信じるも信じないもないわけですが、その現象が“怪異”によって引き起こされてゐる、といふ説明を信じないわけです。かといって、怪異なんてものは気の迷ひだ・勘違ひだ・錯覚だ・妄想だ・・・などとしてなされる“科学的”な説明を信じてゐる訳でもない。彼は、深層/真相だとかメタ/形而上だとかの存在を信じない、真理や絶対などといふものを信じないラディカルな相対主義者なのです。
私は、ポストモダン哲学といふ相対主義が吹き荒れた80年代に青春を過ごしてゐるので、どうしたって相対主義には悪いイメージがあります。といふのも、当時の相対主義者たちはみんな結局「中途半端な相対主義」であり、要は「この世に絶対的なものなんてないんだから、オレの考へ・趣味嗜好・欲望にケチをつけるなよ」といふ事でしかなかったからです。彼らは、他のことはみんな相対化しても、自分の事だけは絶対化してゐたのです。
貝木泥舟は言ひます。「オレはカネが大好きだー。カネは何でも買へるからな。心だって買へる。そして、掛け替へのないものではないから好きだー。オレは掛け替へのないものが大嫌いだー。絶対とか、これがなきゃダメだとか、レアとか、そんなものが大嫌いだー」と。うん、こんなセリフを言ってた自称相対主義者も、80年代には居たな。そして、バブルといふ時代にうまく乗ってやっていった、と。が、貝木泥舟はそんな輩とは違ひます。
こんな露悪的な事を公言してゐながら、実は貝木泥舟はほとんどお金を持ってないのです。それは、割に合はない仕事を多くやってゐるから、といふ事が明らかにされます。これは別に貝木泥舟が無能だからとかバカだからではありません。彼はカネといふもの、そしてそれを好きな自分の欲望さへ絶対視しないからです。カネの事を絶対視しない人間の所にカネは集まりません。よく「お金に執着しなければ、お金は集まってくる」みたいな事を言ってる人が居ますが、恥を知れ、と言ひたいですね!
ラディカルな相対主義者の所にはお金が集まらないだけではありません。相対主義とは、全てのものを次々と相対化していく運動のことです。真理や絶対の様な静止したものを信じず、それらを次々と相対化していく運動。万物は流転する。故に、安定した関係を築くことは出来ず、どこかに安定することも出来ません。たった一人で、流れ流れて、最後は野垂れ死に・・・。と、かういった事態を受け入れる覚悟がなければなりません。貝木泥舟にはそれがあった。その強さがあった。故に、彼はこの物語を語り終えることができたのでせう。
アニメ<物語>シリーズ・セカンドシーズン。あとは「花物語」を残すのみ!
最近買ったもの
本・・・ミシェル・ウエルベックの「プラットフォーム」と「地図と領土」が、どちらもほぼ同時に文庫化したので購入しました。それぞれ河出文庫とちくま文庫。ウエルベックは「素粒子」しか読んだ事がないのですが、これまたかなり面白かったからねぇ。人間の醜さや愚かさを、徹底したクールな視点で描き出してゐて、それがあまりに滑稽なもんだから、何度も吹き出しながら読みました。
「地図と領土」は、去年か一昨年に邦訳が出てて、ゴンクール賞受賞といふ事もあって随分と話題になってたもんだから、読みたいなー、買おうかなー、と悩んでゐるうちに目出たく文庫化。やったー!と、早速購入した次第。
実はウエルベックは、新作の「服従」がすでに邦訳されてゐて、これまたえらく話題になってゐるんだけれど・・・うーむ、文庫化されたらすぐに買ふんですが。
CD・・・ラナ・デル・ルイの新作「HONEYMOON」を購入。相変はらずいいんだけど・・・なんつーか、彼女はデビューの時点ですでにスタイルが確立してゐたタイプ。で、後は現在までひたすら洗練を重ねていってる訳なんですが、やっぱデビュー作の「BORN TO DIE」(とミニアルバム「PARADISE」)が一番いい、と思ふんだよね。まだ、洗練されきってない分、色々とモサい所もあるんだけれど、でもやっぱ特別な気に満ちてゐる。
楽曲的なレベルや洗練度があがれば、いいアルバムになるか、といへばさうともいへない所が難しい所だよねー。
彼女には、次の作品あたりで洗練の極みに達して、ほとんどデカダンに堕ち込み、そして新たなる転生に向かふ・・・といふ展開を期待します。
グッズ・・・「ARIA」関係のグッズをいくつか。まづは、「ARIA」の第一期「The ANIMATION」のパーフェクトガイドブック・特別付録ドラマCD付き!ってやつ。アニメって、大抵ガイドブックがあって、様々な解説がなされてゐるんだよね。で、今回ガイドブックを読んでビックリしたのは・・・みんなの年齢の若さ。アリシアさん19歳って、あり得んわー!だって、業界のトップに君臨する人だよ。ってか、水の3大妖精がそれぞれ、19、20、21、って・・・きみらすっかりアラサーだと思ってたよ。それに灯里ちゃんが15歳って・・・義務教育を終えずに、きみは地球を出てアクアに就職に来たんかい。うーん、謎すぎる・・・。
あと、ゴンドラ型台座付ぷにフィギュア。アリシア・晃・アテナのそれぞれ半人前時代のやつ、3種。各ねこ社長の絵本付き。「究極のファンアイテム」らしいっすよ・・・。
あ、「まどマギ」グッズもいくつか購入。タオルやパスケースやラバーストラップ・・・って、いまだに新作が出続けてるんかい「まどマギ」!もう、いい加減にしてほしい。買ってるこっちはキリがないよ・・・。
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