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2015年10月01日(Thu)

名のない人/ここさけ/BAL etc

9月16日〜9月27日

名のない人

国立国際美術館で「他人の時間」といふ展覧会を観ました。これは現代美術の展覧会でして・・・ナティー・ウタリット「悲劇の誕生」やミヤギフトシ「The Ocean View Resort」など、何作か印象的な作品はあったものの、全体としては(個人的に)あまり面白くない展覧会でした。現代美術にありがちな、頭でっかち系の作品が多いと思ひまして・・・。
まぁ、そんな中で(ある意味)一番印象に残ったのが、ホー・ツーニェンの「名のない人」といふビデオ作品。それについて、ちょっと書いてみます。

この作品は、ベトナム人のライテクといふ実在の人物についての映像作品です。このライテクといふ人は謎に包まれた人でして、第二次世界大戦時にマラヤ共産党の書記長の地位にあったにも関はらず、フランス・英国・日本の何重ものスパイだったのではないか、と言はれてゐて、戦後はその事実がばれたので共産党の資金を持ち出して逃亡、何年後かにバンコクで死体となって発見された、とされてゐるさうです。
この人物についての映像作品を作るのに、ホー・ツーニェンはなんと、香港が誇る国際的映画スター、トニー・レオンの映像を切り貼りしてるんですよねー。観たことのある映画の映像が次々と出て来るので楽しいし、そこに全く関係のないナレーションと(ナレーターによる)セリフがかぶるので可笑しい。特に、「花様年華」の寺院の壁穴の中に自分の想ひを囁くシーンに、「秘密結社・・・」とかのセリフがかぶるシーンは吹き出しさうになりました。ははは。
ただ、この様に楽しめたものの、作品としては些か弱いのでは、と感じたのも事実。だって、トニー・レオンの映像のみを使ふ、といふ時点でかなり安易ではないですか。全く無名のバイプレーヤーの映像を使って作るとか、何人もの違ふ人の映像を使って同一人物を描くとか、さういった踏み込みがあった方が、作品の強度は高まったと思ひます。このままではちょっと、頭でっかち感が拭へないかなぁー。
久しぶりにトニー・レオンの映画でも観てみるか・・・。

ここさけ

MOVIXにて「心が叫びたがってるんだ」(通称「ここさけ」)を観ました。
これは名作アニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」(通称「あの花」)のスタッフによる完全劇場用オリジナルアニメ作品です。
アニメのオリジナル劇場用作品(つまり映画ね)って、難しいらしいんだよね。なんせあのジブリでさへ、宮崎が引退した後は採算がとれない、と言ってアニメ映画の製作を止めたぐらゐだから。ジブリ亡き後は、細田守ぐらゐしかコンスタントにアニメのオリジナル映画は作れないんぢゃないか、と言はれてゐる、らしい。実際、この夏に公開した「バケモノの子」は、興行収入60億円を突破したらしいし。ま、それは慶賀すべきことなんだけど、実際の作品がねぇ・・・酷い代物だったから。私の感想だけど、細田守作品史上でも最低の出来ではないか、といふ代物。これが日本を代表するアニメになってしまったら、非常にマズい、と思ふんだよねぇ。
そこで、この「あの花」スタッフによる新作に期待が高まります。私もTVアニメ「あの花」は観たけれど、なかなかの名作で、スタッフたちの才能と力量を感じさせられましたから。とはいへ、TVアニメと劇場用アニメとでは勝手が違ふであらう。そんなこんなで、期待と不安相半ばする状態での鑑賞となったのでした。

・・・おお、これはいい!割と地味な作品なのですが、脚本はよく練られてゐるし、映像表現も洗練されてゐる。登場人物たちも魅力的だし、秩父を舞台に高校生たちが地域交流会の出し物でミュージカルをする、といふその世界観もいい。なにより、高校生たちの心にまともにぶつかっていかうとしてゐる所(それは「あの花」に共通する)が素晴らしいと思ひます。
まぁ、高校生の悩みなんて、未成熟と視野狭窄によって起こるものがほとんどだから、大人目線でみれば大したことがないのも事実。が、未成熟と視野狭窄故に、その真剣度・純粋度がとても高いのもまた事実。だから、それに、大人目線からではなく、高校生と同じ目線で真剣に取り組む、といふのは、案外大切な事だと思ふのです。んー、洋画でいえば、ジョン・ヒューズ的な?
この作品の主人公(のひとり)成瀬順は、小さい時に自分のお喋りの所為で家庭を崩壊させてしまったがため、喋られなくなってしまった女の子。と言っても、声が出なくなった訳ではなく、喋るとお腹が猛烈に痛くなるので、結果として喋る事ができないのです。まぁ、精神の病ですね。
しかし、同級生の坂上拓実に劇中で言はれてゐた様に、「成瀬って、喋らなくても、考へてることみんな分かる」のも事実であって、つまり彼女の大袈裟なジェスチャーや表情が、彼女の心の中を周りに伝へるのです。これって実は重要な事で、映像表現の粋は、やっぱセリフを使はずに全てを伝へる事ですから。故に、無声映画の役者の様に、セリフを使はず何かを伝へてしまふ順は魅力的だし、みんなが思はず順を応援したくなるのも当然なのです。ここらの映像表現は見事で、この映画のレベルの高さを示します。
そして、そんな順の存在のおかげで、普通に喋って会話してゐる他の同級生たちの方が、実は肝心なことは何も伝へる事ができてゐなかった・・・といふ事が浮き彫りになるのです。うーん、見事でせう?
また、吃り癖のある人が、歌なら吃らず歌へる、といふのもよく知られた事実。つまり、ある種の形式化を施した方が伝へにくい事もよく伝はる、といふ事で、これこそ藝術の持つ役割のひとつです。故に、高校生たちがミュージカルをするお話、といふのはとても象徴的で、“伝へたいことが伝へられない”“どの様にしたら伝へることができるのか”といふのがテーマのこの作品に共振しまくってゐます。観るたびに発見のあるタイプの作品といへるでせう。
・・・てな訳で、これ絶対のオススメ。ってか、かういった作品がヒットしない様ではマジマズいと思ひますので、みなさん観に行って下さーい!

BAL

リニューアルしてでっかくなったBALに行ってみました。一応目玉としては、ロンハーマンとコンランショップ、それと丸善が入ったことでせうか。
しかし、ロンハーマンにしてもコンランショップにしても、今更・・・といった感がなきにしもあらず。でも、京都は所詮田舎ですから、こんなもんかもしれません。とはいへ、コンランショップは大阪を撤退してゐるので、やはり貴重か。とりあへず、行ってみました。
うーむ、頑張ってるなぁ。ここ10年ほどイナタさの極地へと堕ち続けてゐる河原町にしては、異様に洗練されてゐる。まぁ、いはゆる今風なんだけど、ヤンキーと観光客しか居ないので心ある人がみんな避けて通る河原町通りで、この頑張りはアッパレです。ちょっと感心しました。
丸善は地下一階と二階です。大体、丸善が京都から撤退して、あのビルがジャンカラになってしまったのが、河原町通りがイナタく変貌した決定打みたいなものだった。全く、今更戻ってきても・・・って、やっぱ戻ってきてくれて嬉しい。地下なのはちょい残念だが、仕方ない。これもまた今風で(ってか、梅田の丸善にそっくりだな)、やたら高い本棚に本がぎっしり詰まってゐる感じだけど・・・うむ、やっぱ本がぎっしりあるスペースはいい。私も最近はリアル本屋にあまり行ってないので、久しぶりに大量の本を観て興奮しました。とはいへ、今朝もアマゾンと楽天から何冊か本が届いてゐた・・・といふ事を念頭に置き、買はない買はない見るだけ見るだけ・・・と念じながらグルグル店内を廻ってゐたら、気分が悪くなってきて倒れさうになり、慌てて丸善カフェに避難しました。ふー。
そこで檸檬のお菓子と珈琲を注文し、ナボコフの「青白い炎」を読みながら休憩。うーん、隣席の年配の男女の会話が耳について、読書に集中できんかったわー。

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