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2014年09月04日(Thu)

8月27日〜9月1日 etc

思考する機械

ダニエル・ヒリスの「思考する機械 コンピュータ」を読みました。これはコンピューターサイエンスに関する基本中の基本の名著、と言はれてゐたものですが、このたび(草思社)文庫になったので、購入して読んでみたといふ訳です。

1998年の本ですが、この本の最初にある様に“コンピュータは基本的にテクノロジーを超越してゐる”ので、当時に較べて飛躍的にテクノロジーが発展した現在において読んでも十分に通用します。つまり、コンピュータの本質、コアの部分は変はってゐない、といふ事です。この本は、コンピュータのテクノロジーではなく、本質について述べた本なのです。
いや、私もねぇ、テクノロジー関係はさっぱり分からないから。未だ、自分の書いた文章を自分でサイトに載せる事もできず、ショーヘーくんに頼んでるくらゐだからねぇ。むろん、この文章も、ショーヘーくんの所にメールで送って、オパールのサイトに載せて貰ってゐるのだ。わはは。

そんな私も、コンピュータの本質には興味があるので、色々と本を読んだりして、なんとなくではあるが分かってゐるつもりになってゐる。でも、改めてかういった基本書を読むと、あ、さうさう、さうだよね、と盲点を突かれる事がいくつかあります。例へば、哲学者の指摘するコンピュータの限界とはアルゴリズムの限界である場合が多い、とか。
アルゴリズムとは“問題解決の手順”の事。コンピュータは完璧なアルゴリズムを書く事が求められてゐる、とか思ひがちだけど、そんなのは事態が複雑になれば無理なので、その限界がそのままコンピュータの限界に重ねられて語られてしまふ、といふ事で、実はこれは間違ひ。コンピュータの可能性はヒューリスティック(発見的方法)にこそある。
ヒューリスティックとは、本書によれば「多くの場合正しい働きをするが、必ずしも常に成立することが保証されてない経験的知識にもとづく方法」の事で、要するに、アルゴリズムとは全ての可能性を網羅して検討し、絶対的に正しい答へをみつける方法、ヒューリスティックとはその場その場で経験的に正しいんぢゃないか、と思はれる選択を重ねる事で正解に辿り着く方法、と言へるでせう。
ヒューリスティックは全ての可能性を検討した訳ではないので、間違ってる可能性は常にあるんだけど、でも、世の中のことって大抵これで正しい答へに到達できるんだよねぇ。例へばチェスのコンピュータってヒューリスティックだけど(チェスの差し手を全て網羅・検討するのって無理だから)、ちゃんと人間のチェスチャンピオンに勝てるからね。
だから、ここから人工知能への可能性も開ける。人工知能のアルゴリズムを書くのは、脳の機能が複雑すぎて無理だけど、ヒューリスティックにアプローチしていく事はできる。本書で述べられてゐるのは、進化論的アプローチ。人間の脳が辿った様に、人工知能も単純な機能から始めて、競争と自然淘汰を重ねる事によって複雑な機能にしていく、と。自然淘汰には法則なんてないので、この方法で作ったものは、一体なんでこうなってゐるのか、どう動くのか、が分かりません。でも、それでいいんだ!所詮人間に自らの脳の仕組みなんて分かるはずないし、そもそも現在のコンピュータシステムでさへ、実は複雑過ぎてその仕組みを完全に理解・把握してゐる人間なんてひとりも居ないんだ!といふ著者の指摘が面白かったです。
やっぱ基本書は面白いわ(私自身、基本がなってない人間なだけに)。

喰女

市川海老蔵主演・企画の映画「喰女」をMOVIXにて鑑賞。海老蔵が企画・・・といふだけで不安な気持ちになるのはファン共通の心理だと思ふけど(違ふ?)、まぁ、監督が三池なので大丈夫か、と自分を納得させながら観に行ったら、やはり三池の力量で大丈夫なものに仕上がってゐました。
とにかくこれ、スタジオの中だけで撮ったな!といふのが丸分かりの映画で、外の場面も出て来るんだけどいつも同じ場所なので、多分スタジオの外だな、と推測できる、といふ。それでも、様々な工夫が凝らしてあって、なかなかの重量感を感じさせる映画になってゐるのはさすが三池崇である。
この映画は、四谷怪談のお芝居の練習と、それを演じる役者たちの人間関係がシンクロしていく、といふ話で、故にお芝居の練習の場面が大半を占めるのだけど、それがなかなかにいい。舞台装置・美術がなかなかにかっこよくて、あ、この芝居観たい、と思はせる。練習場面をずっと観てる、といふ感覚も面白い。そこで、海老蔵が芝居をするんだから、それが観られただけで、まぁ、満足でせう。
ただ、柴崎コウはちょっと残念。頑張ってゐたけど、お岩さんの怨念を表すには至ってないと思ふ。呪怨/リングばりの演技をするが、ちっと弱い。
さういへば、9月は南座で海老蔵やってるんだよねぇ。うーん、お金ないんだけど・・・やっぱ観に行くかな・・・。

ルーシー

今週はもうひとつ映画を観た。リュック・ベッソンの新作「ルーシー」。はっきり言って、私はリュック・ベッソンが嫌いだが、なんでこれを観に行ったかといふと・・・スカーレット・ヨハンソンが主演だから。いま、私の中でスカヨハがきてるんだよねぇ、これがまた。
で、MOVIXで鑑賞したんだけど・・・結論。やっぱベッソンはダメ!映像がいちいちダサ過ぎる。お話も幼稚過ぎる。なにより、スカヨハの魅力が十分に引き出せてない!・・・いや、そこそこは引き出せてゐるんだけど(どんどん感情を失っていくスカヨハの表情とか)、でも相当の不完全燃焼感は残る。
この映画、新種のドラッグの超過剰摂取で脳の機能が100%開花して神になる!女性を描いたものだが(なんて幼稚な発想だ・・・)、その神になる描写がねぇ・・・。なんかすぐに神経細胞の中に入っていく映像や、地球各地の映像から宇宙へ、とか、紋切り型でつまらん映像の連打で、なんの工夫も感じられない。あとは、ダサいCG。ほんと、「まどマギ」とか観て反省した方がいいよ、ベッソン。
ただ、最後にゴジラ化するスカヨハには笑った。あそこは良かった。バカらし過ぎて。
やっぱもうベッソンなんか二度と観ないぞ!

パレスチナ

最近は夜寝る前にベッドの中で、アメコミを読んでゐます。ほら、アメコミってセリフ過多のものが多くて、読むの大変でせう。だから寝る前に一話づつ読む、といふ。今は、トモコが「プロメテア」を読んでる横で、ジョー・サッコの「パレスチナ」を読んでゐます。第一次インティファーダ直後にパレスチナ入りした著者による、ルポルタージュマンガです。
まぁ、ね、最近のイスラエルとハマスの戦争・・・といふより、イスラエルによるガザ地区の一方的蹂躙としか思へないけれど、あれも、停戦したり、再開したりを繰り返し、その度にハラハラドキドキしてゐたんだけど、気がついたらすっかり忘れてゐて、あれ?今は停戦してるんだっけ、それとも戦闘中?と分からなくなる始末。うーん、いかんなぁ、と反省し、「パレスチナ」を毎晩読んで、せめて思念を持続させようとしてゐる訳です。
確かに古い本ですが、パレスチナの惨状は相変はらずのはずでせう。イスラエル兵による嫌がらせ、暴力、不当な逮捕、拷問、家の破壊、外出禁止令、殺人・・・それに対し、石を投げて抵抗するパレスチナの子供たち。
むろん著者は、パレスチナだけに一方的に肩入れする事はせず、なるべく公平を保たうと努力してゐます。そもそも著者の祖国アメリカがイスラエルを支援してゐるからこんな酷い事になってる、といふ側面もありますが、やはり単純に割り切れない複雑な事情がここにはあるからです。
とはいへ、ここに描かれる悲惨は、やはり酷いもので、こんな事がこの世にあっていいものか、と怒りも沸きますし、どうにかならんもんか・・・と考へこんだりします。なんでこんな酷い事になってゐるのか、それも今現在、この同じ地球上で・・・うーむ・・・ううむ・・・と、考へてゐるうちに眠りにつき、朝起きたらすっかりそんな事は忘れてゐる・・・。
さー、今日も仕事だー。

Comments

投稿者 オーソン : 2014年09月06日 00:44

イスラエル関連でいうと、アニメの『戦場でワルツを』は観はりましたか?
この地域やカシミール等の紛争が終わらない限り、21世紀はやってこない、そう考えてしまいます。

投稿者 元店主 : 2014年09月06日 03:03

「戦場でワルツを」は観てません。オーソンは観たのかな。
ちょっと心当たりがないので、ググッてみたら、ああ、マックス・リッヒャーがサントラやってた奴ね。さういへば、あのアルバム、買おうと思ってたんだった(すっかり買ふの忘れてた!)。

ところで、もう21世紀とっくに来ちゃってるんだけど・・・。

投稿者 オーソン : 2014年09月07日 20:32

『戦場でワルツを』は観てますよ~。レバノン内戦に参戦したイスラエル兵の回想という形式で話は展開します。監督自身と友人たちの経験を映画化した、半分ドキュメンタリーみたいな作品ですね。
この手の映画は、いいたい事にはすごく賛同するけど、映画としてはあまり面白くなかった、という経験をすることがよくありますが、この映画は本当に面白かったです(面白いというと語弊があるかもしれませんが)。音楽もよかったです。

もう21世紀でしたか!?いつのまに!
第二次世界大戦以降、何も解決する兆しのないこの地域のことを考えると、20世紀で時間が止まってるんじゃないのかと思ってしまうもんで…

投稿者 元店主 : 2014年09月08日 00:51

>第二次世界大戦以降、何も解決する兆しのないこの地域のことを考えると、20世紀で時間が止まってるんじゃないのかと思ってしまうもんで…

まあね、わかるよ。でもオーソンの書き方だと、書いてる時点(つまり現在)が20世紀以前になってしまふんだよ。この場合なら、「20世紀は終はってない」或は「21世紀はまだやって来てゐない」と書くべきだな。

「戦場でワルツを」面白さうだね。機会があれば、私も見てみたいよ。


あ、さういへばオーソンは「るろうに剣心」見た?オススメだよーん。 

投稿者 オーソン : 2014年09月08日 22:34

>「20世紀は終はってない」或は「21世紀はまだやって来てゐない」と書くべきだな。
 なるほど、確かにそうです(汗)。
 「戦場でワルツを」はアニメーションもいい出来だと思います。ぜひぜひ、日本のアニメ以外も観てみてください。
 るろうに剣心ですか~。1作目も観てないんですが…。とりあえず、DVDで1作目を観てみます。これは完全にスルーしてましたね~。

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