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2014年06月03日(Tue)

5月27日〜6月2日 etc

たまこラブ・ストーリー

MOVIXにて映画「たまこラブ・ストーリー」を観に行ってきました。
これは京都アニメーション制作の深夜アニメ「たまこマーケット」の続編を描く劇場版で、まぁ、「まどマギ」の「叛逆の物語」みたいなものか?とはいへ、「まどマギ」の場合と違って私は「たまこマーケット」を観てないので、普通ならこんな映画は観ないのですが、「たまこマーケット」を観てない人でも十分楽しめる様に独立した作品になってゐる、と聞いたこと、さらにアニメ映画作品として出色の出来である!といふ評判を聞いたこと、あとはヤマネくんに「面白かったですよー、ケンタロウさんも観た方がいいですよー」と薦められたこと、これらの条件の複合作用によって観に行ったのです。

ふむ。なかなかに面白い。私がこの映画を好きかどうかは別にして(いや、私、ラブコメとかあんま趣味ぢゃないんで・・・)とてもよく出来た良品である、とは思ひました。少なくとも、昨今の(実写の)日本映画のほとんどよりは遥かによく出来た作品だと思ひます。
ところでその“(実写)映画”ですが、この作品、いはゆる実写映画風に、といふか、実写映画をそのまま絵としてトレースした様な作風なのです。
例へば、画面の前の方の人物にピントがあってる時は後ろの人物は暈けてたりとか、その後ろの人物にピントがあふと、前の人物は暈けるとか。カメラが寄ったり離れたりする感じ。それとか、カット割りや構図、時々みせるフィルムみたいな質感、など、ほんと古き良き実写映画の様な。
私個人としては、「まどマギ」や「化物語」などのシャフト作品の様な、アニメならではの表現を追求したものが好きですが、これはこれでなかなか面白いのでは、と思ひました。多分、かういった描き方によって、ある種の懐かしさみたいなものが、うっすらと作品全体に漂ふ様に思ひます。
女子高生たちの恋愛や進路、友情を巡る心の動きを丁寧に描く。まぁ、私はあんま興味がない分野ですが、見事な描き方で感心しました。好きな人にはたまらんでせう。
とりあへず、オススメ作品です。出て来る女の子はみんな可愛いしね。

偶像崇拝

さきほど「出て来る女の子はみんな可愛い」と書きましたが、これ、重要だと思ふんです。如何に可愛い女の子を描き出す事ができるか(絵だけの話ぢゃないですよ)、が重要だと思ひます。何故なら、アニメにおける可愛い女の子は、“可愛さ”といふ日本人には特別の意味を持つイデアの体現だからです。
ええー!それって二次元萌え?と思はれる方も居るかもしれませんが、違ひます。イデアが象徴として現実に有効に働くには、現実とは隔絶してゐて別次元にある事が必要なのです。故に絵の中の人間といふのは象徴足り得るのです。
となれば、二次創作の中には、ある種の堕落がある事になります。まぁ、自分の好きな作品世界をもっと楽しみたい・・・といふ純粋な欲望はいいんですが、中には自分の好きなキャラの女の子にエロい格好をさせたり、さういった作品を自分で作ってしまったりする人々もゐます。これは、堕落ですよね。自分の欲望に沿ふ様にイデアに手をつける訳ですから。これのもっと酷くなった形態が、アイドル文化のそれ。
いや、アイドル文化にも良い所はいくらでもあると思ひます。ただ、昨今の手の届きさうなアイドル、とか、握手会に群がるファン、といふのはどうも・・・。だって、実際に触れたら(象徴としての機能は)終はりなんだから。それが織り込み済みといふのは、最悪の堕落形態でせう。正に偶像崇拝。

その昔、雑誌「ロッキング・オン」に岩谷宏といふ人が書いてゐました。彼は、当時絶大な影響力をロック少年・少女たちに持ってゐた人で、日本におけるデビット・ボウイの、色物やアイドルではないアーティストとしての評価を決定づけた所があります。そんな彼の所に、デビット・ボウイのインタビューをする話が廻ってきた事があったのですが、彼はそれを断りました。会ったら終はりなんだって。
うーん、あまりに正しい。

他の例をあげませうか。江戸時代に遊郭の文化といふものがありました。まぁ、当時のアイドル文化みたいなもので、若い可愛い子を着飾らせて、その娘ら相手に疑似恋愛遊戯をする、と。遊郭文化には江戸文化の粋がある!と絶賛する人はしますが、私は実際は碌でもないもんではなかったかと思ってゐます。だって、なんやかんや言っても、セックス産業でせう?大枚はたけば好きな女と寝られる、といふ。俗で穢く、残酷なものだったと思ひます。
しかし、この遊郭文化を題材にとった歌舞伎や文楽には良いものがたくさんあります。何故なら、それは現実の世界ではなく、象徴化がなされてゐるから。だから、歌舞伎が女方を使ふのは正しいし、文楽が人形なのは絶対的に正しいのです。アニメも同じ。アニメで描かれた可愛い女の子は、象徴として機能し得るのです。

生身の人間を象徴とみるのはかなり難しい。それはどうしたって、偶像崇拝へと陥ってしまふ。よほど受け取る側が自覚的でないと。象徴天皇制の難しさもそこらにあるんだよねぇ。

強制起訴シリーズ

オーソンさん来店。オーソンさんはニューフェイスでして、梅本座にも出席してくれた人です。色々と喋ってゐると、かなり映画を観てゐる。これは・・・と思ひ、恐る恐る“強制起訴シリーズ”への参加を打診してみました。

えーと、オパールのサイトでやってる“強制起訴シリーズ”って知ってます?
「ああ、少し見ました。柳下毅一郎の“映画皆殺し通信”みたいな奴ですよね」
いやー、あれとは全然違って・・・あれは、こんな映画誰が観に行くねん!といふ映画をわざわざ観に行って、それの内容を批判的に紹介するといふ、まぁ、公共の福祉に益する企画なんですが、我々のはもっと個人的といふか・・・。あの、歳をとってくると、段々観る映画が偏ってきますよね。
「時間もなくなるし、体力も落ちてくるから、といふ事ですか?」
それもあるし、そもそも自分の好きな映画とか大体分かる様になっちゃうんで、どうしたって安全パイばかり観る様になるんですよ。それではいかん、と。若い時の様に、もっと冒険や無茶をやって、硬直しがちな視野を鍛へ直さう!・・・といった感じで始まった企画で。だから、別にわざと下らなさうな映画を観るんではなく、若い時なら冒険心や好奇心から観たであらう、でも今は観ないであらう映画を選んで、みんなで無理矢理観て感想を述べ合ふ、といふ企画でして。
「それでボクは何を?」
あの、オーソンさんには、強制起訴をされた映画を観て、その感想をコメント欄に書いて欲しいんです。我々の鼎談の感想でもいいです。
「なるほど。別にいいですよ」
ほんと!ラッキー★

とはいへ、強制起訴シリーズのコメント欄は実は死屍累々である、といふ事は言へなかった。みんな消えていく。呪はれた強制起訴セピア・・・。
オーソンさん、頑張って下さい!!

Comments

投稿者 オーソン : 2014年06月04日 00:57

みんな消えていくんですね…(汗)。
な、なんとか頑張っていきます!

投稿者 元店主 : 2014年06月04日 02:23

あ!オーソンさんが早速コメントを!

大丈夫、大丈夫ですよ!ほんと、大丈夫!・・・としか言ひ様がない。
なんとかセピアの呪ひを解かねば・・・。

よろしくお願ひします!

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