大人チャレンジ [音楽]
ライムスターのMummy-Dの弟、コーヘイ・ジャパンの新作「大人チャレンジ」を聴いたんだけれど、これがなかなかに素晴らしくて、グッとJ-POP・・・といふかJ-R&Bに寄った内容で、同様にJ-POPに寄ったライムスターの「MNIFESTO」は認めない私も、この「大人チャレンジ」はいい!こいつはコーヘイの最高傑作ではないか!などと、呟いてをります。
もともとコーヘイは(兄ちゃんと違って)そんなにスキルフルなラッパーではないので、かういった華やかなポップスに包まれたスタイルがあってゐる、といふのもあるでせう。また、コーヘイのリリシストぶりは有名ですが、そのある種ベタで生活に根ざした詩情は、これぐらゐ俗でポップな中でこそ輝く、といふ事もあるでせう。以上、私の自分勝手な感想ですが、まー、ね、私はこのCDを一枚聴き終はるまでに、3回ほど泣きましたよ、ホント。う〜ん、泣かせるなぁ、コーヘイ。
と、まぁ、大満足の「大人チャレンジ」な訳ですが、一カ所だけ、ひっかかる所がある。それは「シロクジ」といふ曲の中で、「・・・キミと居れれば 会話なんて しなくてもいい」といふ所です。
いや、かういったレトリックはよくあるのは知ってゐます。でもねー、なんといひますか、私に言はせれば、恋人に限らず友だちでも、人間同士の関係といふのは会話こそが最も大切である!訳です。ちゃんとした会話が出来るかどうか、が、その関係がちゃんとした“大人の”関係であるかどうか、の決めてになると思ふんですね。
実をいふと最近気がついたのですが、世の中には会話のない恋人同士や友だち同士が、案外多いんですね。彼ら、彼女らが何をしてゐるかといひますと、まー、“じゃれあひ”です。そもそも会話といふのは、お互ひの考へや感性を打つけあひ、磨きあひ、高めあふ・・・といひますか、何といひますか、まー、精神的な行為な訳です。紋切り型の冗談を言ひあったり、「**美味しかったよ」「えー、食べたーい」とか、なんかの真似の応酬や、ふざけて罵倒しあったりとか、さういふのは、会話といふより“じゃれあひ”。感覚的な行為です。色んな人たちを観察してゐると、ほぼそんな“じゃれあひ”(と事務的なやりとり)しかしてない人たちが案外多い、といふ恐ろしい事実に気がついてきたのです(私の勘違ひである事を願ひたいのですが)。
あ、別に“じゃれあひ”が悪いと言ってるんではないですよ。それもまた楽しい。子どもがやってるのは、ほとんど“じゃれあひ”です。だって、子どもはまだ独自の考へや感性を持ってゐませんから、仕方がない。でも、楽しさうでせう。
が、大人はそんなでは困る。“じゃれあひ”もいいが、もっと大切なものがある。そして、このアルバムは「大人チャレンジ」。みんなで「愛と平和に根ざした 洗練された大人目指し 挑戦」しよう!といふアルバムです。それなら、「オパイ優しく揉む」のも大事でせうが、やはりちゃんとした会話が肝要なのではないでせうか。
ここはひとつ、キミと森羅万象ありとあらゆる事について会話したい・・・とかなんとか、そんな風になるべきではないか。
なーんて事にひっかかりながら、私は今日も「大人チャレンジ」を聴いてゐます。
Comments
投稿者 サエコ : 2010年12月02日 13:06
元店主様お久しぶりです。
我が家で最近「会話のできるありがたみ」について話題になりまして、タイムリーだなあと思いペンを執りました。(ペンではなくキーボードですが)
じゃれあひ、に関しては全く同意見ですね。
学生時代、会話が成立しない人々とのコミュニケーションに苦心したことを思い出します。
主に飲み会など大勢のなかでの会話ですが、
あまりにも会話らしい会話が成立しないので戦慄したおぼえがあります。
彼らはピ-とかガーとか、ともかく音やしぐさをやりとりすればそれで楽しい雰囲気になるわけで、
逆に文章を発信するとこちらが雑音なんですよね。
それじゃ動物の鳴き声と変わらないじゃないかと気づいたのが十九、二十歳頃でした。
幸い我が家は会話できる夫婦なので運命に感謝でございます。
投稿者 元店主 : 2010年12月03日 03:51
サエコさん お久しぶりです。
確かにサエコさんの所は、森羅万象様々な事について会話してさうな気がします。
そもそもお酒だって、実は充実した会話を楽しむためにあるのであって、一気飲みなんてまともな飲み方ではない。私の学生時代は一気飲みが大流行りで、ゲンナリしたものです。
そして事情はコーヒーでも一緒。ひとりで飲むコーヒーも美味しいですが、やはり豊かな会話を楽しみながら飲みたいものです。
ってな訳で、またオパールに素敵な会話を楽しみに(つまりはお酒やコーヒーを飲みに)来て下さいねー。
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