錦秋文楽公演 [歌舞伎]
秋の文楽公演に行って参りました。@国立文楽劇場。
「一谷嫩軍記」と「伊達娘恋緋鹿子」。まー、どちらも超有名な話ですが、文楽で観るのは初めて。で、とても楽しめました。
実をいふと、最近では歌舞伎より文楽の方が面白い、と思ふ様になってきたのですが、だからと言って、文楽を十分に楽しめてゐるかといへば、些か疑問です。
俗に、文楽は観に行くのではなく聴きに行く、と言はれる様に、その魅力の中心は義太夫語りにあるとされてゐます。実際、ベッチが「住大夫の語りはさすがに良かった」と言ったり、ウノピが「鶴澤清治さんの三味線、なんであんなにグルービーなんでせうか」などと言ってゐるのを聞くと、みんな義太夫を中心に楽しんでゐるんだなぁ、と思ふのですが、私は正直、そこまで義太夫を楽しんでゐるとはいへません。やはり、人形が動く、といふその一点で喜んでゐる様に思ふのです。
確かに、人形遣ひの人たちにも吉田蓑助とか桐竹勘十郎とかスターは居て、それぞれの人たちの華麗なる人形遣ひぶりが賞賛の対象になったりするのですが、私はさういったのでもない。ただ人形が動いてゐるのがいいのであって、だからつめ人形なんかがワヤワヤ出て来るのも大好きです。
ホント、人形しか観てゐない、といっても過言ではないくらゐで、人形遣ひの人たちは全く眼中にありません。
でも、その様に人形だけが前面に出て、人形遣ひの人たちが眼中から消えてしまふのが、真の文楽の楽しみの様な気もしますので、これはこれでいいかな、とも思ってゐるんだけど、どう?
「実は私、この間は人形遣ひの人が気になって気になって・・・」
え、さうなの?さうか、トモコもやはり人形より人形遣ひか。
「いや、さういふんぢゃなくて・・・。なんていふか、その・・・、要するに、人形遣ひの人がヅラで・・・」
へぇ!さうなの?どの人?私は全く気がつかなかったけど。やっぱ、人形しか見てないから。
「だって、その人、ヅラを気にし過ぎて、動きが不自然なんですもの。なんていふか、頭をサッと除ける動作が、不自然に多過ぎる。様な気がして。それが気になって、気になって・・・、もう全く人形が眼中に入らなくなって、困ったわ」
そ、それは・・・逆文楽状態!
「しかも、人形遣ひの人たち、なんか喋ってたでせう」
あ、それは私も気になった。何をコソコソと喋ってたんだらう。なんか叱咤してる様にも聞こえたし・・・。
「ね。で、何を喋ってゐるのかと、もしかして、ヅラの事ぢゃないのかと、気になって、気になって・・・、もう義太夫も聞こえなかった」
そ、それは・・・。う〜ん、ある意味、楽しんでゐるのは間違ひない様な気もするけど・・・。
真の文楽の楽しみには、まだまだ道は遠いです。
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