多読術 [読書・文学]
先日、と言っても一月程前ですが、「多読術」松岡正剛著を読みました。
これはセイゴー流読書術を開陳したものですが、私、一寸勘違ひしてをりました。多読、といふからには、私は“量”の問題だと思ってゐたのです。が、実はこれ“種類”の問題だったのですね。
むろん、たくさんの“種類”の本を読めば、必然的にたくさんの“量”も読む事になるのですが、この本では、どちらかといふと「如何にすれば多くの種類(ジャンル)の本に興味を持てるのか」といふ事に重点が置かれて述べられてゐたのです。
うーむ、それなら、別に私は困ってないんだけどなー。
私は澁澤、種村、から四方田、高山まで(むろん正剛さんも)、自分の好きな著作家の人々がみんなさうだからかもしれませんが、興味の範囲だけは(それなりに)広いんですね(むしろ、ジャンル横断的といふべきか)。ただ、これらの人々に較べて、圧倒的に能力が不足してをりますので、量を読む事ができない。つまり、私の読書の有様は、限りなく浅く・そこそこ広い、といふ体たらく。だから、如何にしてたくさんの“量”を読むか、といふのが知りたかったんですが・・・。
それはともかくー。
この本には、「無知から未知へ」とか、魅力的なフレーズが鏤められてゐる訳ですが、その中に、「三分間目次読書」といふのがありました。これは、まづ本を読む前に、目次をじっくり読み込む、といふものです。
この、まづ目次をじっくり読む、といふのは、よく速読術などで勧められてゐる方法です。その本の全体像を頭にいれてから読むと、サッと読んでも頭によく入る、といふものですね。ババさんも、これを実践されてゐました。
私は、個人的にはどうかなー、と思ひ、この問題に関してはズーッと悩んでをりました。なんといふか、私は最初にその本の全体像を頭に入れるのが嫌なんですね。別にこの事は小説に限らず、批評でも歴史でも数学書でも人生訓みたいな本でも同じです。常に、未知の世界に分け入るのが楽しみ、といふか。
しかし、この本を読んで、少し考へ方をあらためました。
そもそも、私の読書に関する能力不足とは、読むのが遅い、といふのもありますが、一度読んでも頭に入らない、といふのもあるのです。
熊楠にしても露伴にしても無想庵にしても、多読の鬼みたいな人たちはみんな、一度読んだ事がバッチリ頭に入ってゐる様です。私は・・・、最近では冗談でなく、本当に、読み終はった瞬間から、すでに何が書いてあったのか、思ひ出せない状態です。2度目に読んでも、「こんなこと書いてあったかな〜」といふ驚きの連続で、まー、一冊で何度でも楽しめる、といふ利点はあるのかもしれませんが、そんな事より、この、一冊理解するのに何度も読まなくてはならない、といふ手間をなんとか省きたい!
で、この「三分間目次読書」ですが、これは、じっくり目次を読み込む事によって、その間に、自分なりにその本の内容を想像するのださうです。そして、そのあらかじめ作り上げたイメージを持って、本に対する。で、自分の作りあげたイメージと、実際の本との齟齬や重なりを楽しみながら読む、と。すると、頭によく入るんでせうねー。
確かにこれは、初読でありながら二度目に読むのと同等の効果がある様な気がします。それに、未知の世界に踏み込む喜びも、それほど損なはれない様な気もします。自分の持ったイメージとの齟齬を楽しむのも、ある意味、未知の世界への踏み込みですものね。
もひとつ言ふなら、セイゴーさんによると、目次を読むのは前戯である、といふ事です。なるほど、それなら、目次は丁寧に時間をかけて読まないと・・・。
といふ訳で、最近は「三分間目次読書」を実践しようとしてをります。ただ、どうしたって三分間も目次を読んでられないんですけどねー。
Comments
投稿者 power : 2009年05月26日 15:22
なるほど、まずは目次を読む。これはいいことを教えてもらいました。
いまサイモン・シンの「宇宙創世」(ビッグ・バン改題)を読み始めようとしているのですが、まずはさっそく目次から読んでみます。目次だけで満足したりして!
投稿者 店主 : 2009年05月27日 10:42
目次だけで満足する。それもまた、よし。
案外、目次だけ読んでも、本文まで読んでも、読後に頭に残る量は同じくらゐだったりする・・・かも。
もしさうなら、一冊三分で読めるから、凄くたくさんの本が読めるんですけどねー!
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