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2009年02月24日(Tue)

ベンジャミン・バトン 数奇な人生 映画

MOVIXにて「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」を観ました。

この映画、昨年予告編を観た時に、そのあまりに分かりやすく、予告編を観れば全てが分かってしまふかの様なつくりに、すっかりゲンナリし、絶対この映画だけは観にいかないだらうな、と思ったものでした。元来私はネタバレがダメな方で、映画でも小説でも、なるだけ前情報は少なくして臨む人間だからです。

ところがマツヤマさんがこの映画にいたく感動し、「絶対に観に行って下さい!」と勧めるので、元来人の強い勧めに弱い私は、ウカウカと観に行ってしまったのです。

そして、その結果は。意外や、なんと、とても面白く楽しめたのでしたー。

確かに、これは予告編で示されてゐたまんまの映画でした。80歳ぐらゐで生まれたベンジャミン・バトンが、年を重ねるごとに若くなり、最後は赤ちゃんになって死ぬ、と。まー、言ってみれば、それだけの映画です。それが、何故ここまで面白いのか。
私が考へるに、それは、これは普通の人の普通の人生を描いた映画だからです。

普通の人の普通の人生を、そのまま描いても、普通はそんなに面白くなる訳がありません。それは、ありきたりな、退屈な、大抵の人にとってどうでもよいものとなるでせう。が、そこにひとつ、異常な仕掛けをほどこしたらどうでせうか。たとへば、老人で生まれて、ドンドン若返っていく、とか。
となれば、人はその異常さに惹かれて、思はず、物語に見入ってしまふのではないでせうか。正にこの映画がさうです。
そしてそこに人は何を観るのか。この映画をよく観てみませう。すると、“数奇な人生”と銘打ちながらも、そこにあるのは、どこにでもある、太古以来人類が幾度となく繰り返してきた“普通の人生”である事に気がつくでせう。成長の喜び、出会ひの驚き、決断の苦しさ、恋愛の甘さ、仕事の楽しさ、別れの辛さ、怒り、悲しみ、気づき、赦し、諦め・・・・・・。
ベンジャミンが経験したのは、そんな、誰にでもある、普通の、それ故に見逃してしまひがちな事どもです。彼が逆さまに人生を生きたが故に、それらが痛切に際立ってみえる。しかし、実は、彼の人生は我々のものと本質的には何も変はりません。我々はみな、ひとりひとり独自の、かけがえのない、貴重な人生を歩んでゐるのです。つまらない人生など、ないのです。ただ、それに気がつくか、どうか、です。
ベンジャミンは、自らが逆さの人生を生きる事によって、その事に気がつきました。我々は・・・、この映画を観て、ハッと気がつく、のでせうね。

私が考へる、この映画のもうひとつの素晴らしさは、ベンジャミンと周りの人の対比を、しっかりと映像として収めてゐる事です。・・・って、映画だから当たり前じゃん、と思はれるかもしれませんが、案外この事は重要だと思ひます。何故なら、ここは勘違ひされやすい所だと思ふのですが、“ベンジャミンは外見と中身が食ひ違ってゐる”・・・といふ訳ではないからです。
外見は老人だけど中身は子ども・・・ではなく、外見が老人の様な子ども、なのです。この違ひは大きい。といふか、この違ひが分からなければ、映画といふ表現を観る意味がない、とまで断言しませう!ババーン!
なぜなら、映画とはあくまで表層の戯れによる表現だからです。表層(外見)こそが真実なのです、映画においては。そして、実は実世界においても・・・。優れた映画とは、常にこの真実を露呈する表現なのだ、と私は思ひます。
だから、この映画は、「ベンジャミン・バトン」といふお話の一番肝要な所を、奇しくも見事に射抜いてゐる、と感嘆したのでした。

この映画を勧めてくれたマツヤマさんに感謝しまーす!

Comments

投稿者 マツヤマ : 2009年03月12日 23:41

あ、ありがとうございます。久しぶりに、と言うか、人から感謝されるのは珍しいことです。

幼いベンジャミンが母親に甘えるところは、ホントに子供なんですよねぇ。そして、老年期の何年かが、空白になっていたことがものすごく切なくて悲しかったです。

さて、「表層こそが真実」ということが、ちょっと分かり難くて考えていたのですが、内面に真実があるとしても、これを伝えることは不可能であるとすれば、その間にあるのは言語ですよね。
言葉や文字の表と裏が真実とすれば、客観的に分かることは表層ということでしょうか?
ちょっとややこしいですね、スミマセン、安バーボンの飲み過ぎです。

投稿者 店主 : 2009年03月13日 04:11

いやー、ほんと、マツヤマさんが勧めてくれなかったら、絶対にこの映画は観に行ってなかったですよ。ありがたうございます。

で、「表層こそが真実」といふ話ですが・・・。
えー、私の言ひたかった事はですね、例へば我々が映画を観て、「これはアメリカとの戦ひを描いてゐる」とか、「ロックフェラーの陰謀を描いてゐる」とか、言ふぢやないですか。あるいは「これは実話を元にした感動の作品だ」とか、「作者のホラー趣味が全開になったエンタテインメント作品だ」とか。これらは全て“真実”ではなく“解釈”だ、といふ話です。
そして、人はしばしば“真実”と“解釈”を取り違へるのです。これは、現実世界においても同様です。結果として、「オレが正しい」「お前が間違ってる」といふ不毛な戦いが日夜絶えなかったりするのだと思ふのです。
映画は、徹底して映ってゐる映像が全てだし、真実です。そこから導き出されるものは、全て“解釈”です。この、現実世界にも通じる原理を、些か過激に露出する表現こそ映画だ、といふのが私の考へなのです。
表層(真実)と内面(解釈)の齟齬を、一人の人間を題材にして、サラリと、ある意味薄っぺらく描いたこの映画は、私の考へる「映画」と「人生」の見事なメタファーになってゐるなー、と、感心したといふ事なのです。

って、まだ分かりにくですかね。すみません。安ワインを飲み過ぎました・・・。

投稿者 マツヤマ : 2009年03月13日 18:28

ちょっと墓穴掘っちゃったかな?
なんとなく視線を感じますが・・・。

とりあえず「映画然としている」ということですね。

そして、レビューのページに私がいつも書き散らしている文章は、映画から独立した散文・乱文・妄想、良く言えばエッセーとして捉えてもらえたらいいのですが・・・。私なりの解釈ですが映画作品との対比物としても存在していきたいと思っております。

投稿者 店主 : 2009年03月14日 00:38

もちろん、レビューとは全て『解釈」です。と、いふか、人は物事を解釈する事によってしか、捉へ、表現する事はできないと思ふのです。(だから、解釈を放棄したふりをするソダーバーグに、私は釈然としないのです)

問題は、どれだけ鋭い、オリジナルな解釈を示せるか、といふ事でせう。
マツヤマさんのレビューは、いつもオリジナル度が高くて、私の思ひもよらなかった様な解釈を示してくれるので、とても楽しみです。

これからもよろしくお願ひいたします!

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