父親たちの星条旗 [映画, リバータリアン]
MOVIXにて『父親たちの星条旗』(クリント・イーストウッド監督)を観ました。これは第二次世界大戦の硫黄島における日米の死闘、太平洋戦争中最も激烈と言はれた戦ひ、を日米双方の視点から描く! といふ構想のもと、『硫黄島からの手紙』と2本同時に撮られた作品のひとつ。アメリカ側から描かれた方の作品です。それにしてもイーストウッド、70歳を超えてゐるのにこんなにアクチュアルで緩みのない作品を、しかも2本同時に撮つてしまへるなんて、凄過ぎます。やはり現在世界最高の映画監督なのではないか、と個人的に思ふ所以です。
さて、やはり私的には、イーストウッドはリバタリの師匠な訳です。“リバータリアニズム”といふ思想を考へる上で、常に私が念頭に置き、参考にしてゐるのがクリント・イーストウッドです。最近は日本でも、ネオコンといふ言葉に続いて少しづつ認知を得てきてゐる(?)リバータリアニズムですが、どうもあまり良い意味では使はれてゐない様な気がします。それは、アメリカによる日本の強制構造改革、その思想的バックボーンにある市場原理主義、を批判する文脈で、その市場原理主義の鬼子的な存在として“リバータリアニズム=自由至上主義”が取り上げられてゐるからだと思はれます。アメリカは市場原理主義といふ間違つた考へに侵されてるから、リバータリアニズムの様な異様な考へも生まれる、といつた感じで。
しかし、私に言はせるとこれは一寸違ふ。現在アメリカが行つてゐる、対日政策も含めた世界戦略は、リバータリアニズムに関係ありません。むしろ、真ッ向から反対するものではないか。その事は、この『父親たちの星条旗』を観ても分かる。この映画は、現在のアメリカの世界戦略に対する痛烈な批判となつてゐる、と私は考へます。
リバータリアニズムとは、簡単に言へば“自由”を至上価値とする思想です。しかし、さういふと日本ではすぐに誤解が生じるのですが、自由が一番大事=自分勝手が許される、といふ意味ではありません。何故なら世の中には自分以外にたくさんの他人がゐるからで、「自由が一番大事」なら、当然その他人の“自由”も尊重しなくてはならないからです。これは“個人主義”についても言へる事で、日本では、個人主義=自分勝手主義、みたいな誤解が生じがちですが、「個人」を大切にするのなら、当然「他人の個人」も大切にしなければならないので、自分勝手は許されないのです。リバータリアニズムも同じ。「自由」を価値として大切にするためには、自分勝手は許されません。「自由」を守るためには、己に厳しい規律を課す、といふのが、リバータリアニズムの肝なのです。
だから世界政策的には、リバータリアニズムは不干渉主義です。他国の自由を侵さない。ので、現在のアメリカの世界戦略、世界秩序を守るためと称して他国を強制的に民主化したり市場を開放させたりする、そのためには戦争も辞さない、といふのには大反対です。実際リバータリアンたちは、湾岸戦争を始め、アメリカの干渉戦争には常に大反対をし続けてゐます。さらに、その様に自らの信条に反する戦争のために、自分たちが徴兵される(自分たちの自由が侵される)ことに対しても、激しく反発してゐます。
しかし、だからと言つて、リバータリアニズムは反戦平和主義でもありません。「自由」といふ価値が危機に曝されてゐる、と感じた時には敢然と戦ひます。むろん、どの様な時が「真に自由の危機なのか」といふ判断に関しては、様々な議論があるでせう。が、それはまた別の問題です。とにかく、さう判断した、あるいは判断せざるを得なかつた、といふ場合は、すすんで武器を手にするのです。ハリー・キャラハンの様に。
だから、国家と国家の戦ひの様な大きな戦争は、リバータリアンにとつて難しい問題です。自分の家族や仲間を守る、といふのなら分かりやすい。さういつた場合、しばしば彼らは政府と対決します。が、国家間の戦争となれば、どうか。事態が大き過ぎて、正確な情報や知識を掴む事が困難になり、本当にこの戦ひが(自分の信条に照らして)正しいのか、といふ事の判断が非常に難しくなります。実際、これがこの映画のテーマのひとつとなるのですが、国家は戦争を正当化するため、あらゆる手を使ひます。その時に先兵となるのがマスコミ。マスコミこそ、実は一番恐ろしい敵かもしれません。
国家は、戦争を正当化し鼓舞するために、英雄ぐらゐ平気で捏ち上げます。これは大いなる虚偽で詐欺行為でせう。が、だからと言つて、この行為が必ずしも100%非難されるべきか、といふと、これも微妙なのです。何故なら、やはりこの戦争は正しい、いや、少なくとも“なにがなんでも勝たねばならない”“負ければ自分たちの自由がなくなつてしまふ”戦ひかもしれないからです。
そこら辺の難しい・微妙な機微を、イーストウッドはあくまでリアルに見つめてゐます。この視線が素晴らしい。きな臭さを増してきてゐる現在の世界情勢(て、いふかアメリカは今も戦争中)で、この映画の持つ意味は大きい、と私は嘆声しました。かういつた映画を、かういつたタイミングで撮れることが、「偉大」といふ事ではないでせうか。
『硫黄島からの手紙』が楽しみです。
Comments
投稿者 スウェイ : 2006年11月08日 13:16
『硫黄島』の正式な日本名は『いおうとう』ですが、
いつから『いおうじま』と呼ぶようになったんでしょうね?
店主はご存じないですか?
せめて日本人だけでもきちんとした呼称で呼ぶべきと思うのですが、このイーストウッドの映画が話題になってから、「正式には『いおうとう』」と注釈を付けたメディアは一社くらいだったと記憶しています。
投稿者 店主 : 2006年11月08日 17:03
スウェイさん こんにちは!
ガーン!「硫黄島」の正式名称は「いわうたう(トウ)」だつたのですか。知りませんでした、私。確かに「獄門島」(by横溝)は「ごくもんたう」ですしね、「たう(トウ)」と音読みするのが正しいのかもしれません。
とはいへ、「硫黄島」の別称とされる「鬼界ヶ島」は「しま」ですよね。いや、これも正しくは「たう」なんでせうか。
もし良ければ、「いわうたう」が正式名称、といふ説の出典を教へて下さい。勉強し直します!
投稿者 スウェイ : 2006年11月08日 22:38
およ。そうでしたか。
正式名称『説』というか、東京都小笠原村の公式HPに、
硫黄島は『いおうとう』となってます。
戦前までは『いおうとう』と呼ぶのが普通だったようですが、やはり戦中に在米日系人の通訳が『いおうじま』と呼んでしまったのが始まりだったんですかねぇ…。
なんしか公式には硫黄島は『いおうとう』なので、なぜ『いおうとう』と呼ぶのかという説(?)については、私にはわかりません。なぜ『いおうじま』と呼ぶようになったか説を探す方が正しい気がします。
http://www.vill.ogasawara.tokyo.jp/outline/iou/index.html
投稿者 スウェイ : 2006年11月08日 23:02
続けてすみません。
いま思い出しましたが、今年の夏に硫黄島の戦いから生還した方々へのインタビュー番組がNHKで放送されたのですが、その帰還兵の方々はそういえば『いおうとう』と言っておられました。『いおうじま』と呼ぶ方も同じようにおられましたが。
あの戦いは『玉砕』のような美しいものではなかったそうです。捕虜になるのは当然まかりならず、さらには名誉の自決さえ絶対禁じられていたそうです。
投降するのも死ぬのも許されず、ただ地下壕でどのような状態であれ生き続けることが任務だったそうで、そこは文字通り狂気の生き地獄であったそうです。
栗林少将が亡くなって『玉砕』とされた後も、さらに数ヶ月、そのようなかたちで硫黄島の戦いは続いていたそうです。
投稿者 店主 : 2006年11月09日 07:17
なるほど。小笠原村の公式HPに記されてゐること、帰還兵の方々がさう呼んでゐたこと、が典拠ですね。わかりました。御教示ありがたうございます!
確かに硫黄島での戦ひは、いはゆる“玉砕戦法”を禁じ、あくまで生き延びてゲリラ戦をする事にあつた様ですが(後にベトコンが真似たとか)、それでも最終的には“玉砕”であつたのではないでせうか。彼らは全力で戦ひ、潔く散つていつたのだと思ひます。人それぞれ、受け取り方はあるでせうが・・・。「硫黄島からの手紙」でそこら辺がどう描かれるか、非常に楽しみです。
投稿者 スウェイ : 2006年11月09日 10:29
店主、レスありがとうございます。
お気づきでしょうが恥ずかしい誤記をしてしまいました。
栗林少将ではなく、もちろん『中将』です。
失礼致しました。
投稿者 高坂 : 2006年11月09日 16:10
『父親たちの星条旗』私も観ました。
> 国家と国家の戦ひの様な大きな戦争は、リバータリアンにとつて難しい問題です。
> そこら辺の難しい・微妙な機微を、イーストウッドはあくまでリアルに見つめてゐます。この視線が素晴らしい。
まさにご指摘の通りの映画でしたね。ここに登場する兵士たちは愛国心は持つてゐる。しかし、その愛国心を利用する連中がゐる。さういふ連中は不快ではあるが、国家の存亡といふことを考へれば、国民を騙す情報操作も許容されるのかもしれない。政治と道徳の二元論といふテーマですね。
少なくともクリント・イーストウッドはこの連作で、敵を悪と宣伝する単純な善悪二元論は乗り越えようとしてゐるのでせう。
投稿者 店主 : 2006年11月09日 23:51
高坂さん こんにちは
さうですね。アメリカは、どうも敵=悪、自分=善といふ規定をして、正義の戦争を闘おうとしますからね。確かに、その方が国民は団結するでせうし、どの国でも似た事情はあるでせうが、アメリカはその度合ひが大き過ぎると思ひます。だから、悪の枢軸とかを規定して、干渉戦争をするのでせうね。悪の国であれば、こちらから先制攻撃しても良い訳ですから。
そんな現在のアメリカの世界政策に、イーストウッドは鋭い異和を(リバータリアンの立場で)投げかけてゐる、と私はみました。
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