メゾン・ド・ヒミコ [映画]
MOVIXにて『メゾン・ド・ヒミコ』(犬童一心監督・渡部あや脚本)を観る。私はこの映画がMOVIXでやつてゐるのは知つてゐたけれども、別に興味もなくやり過ごしてゐたのだが、先日ベッチから、『ジョゼ虎』と同じ監督 & 脚本のコンビだよ、と教へられ、慌てて劇場に駆けつけたのであつた。危ない、危ない、このコンビの映画を見逃す訳にはいかない。
さてこの映画、ゲイの集ふ老人ホーム(?)が舞台である。設定といひ、ストーリー、雰囲気といひ、大島弓子のマンガを彷彿とさせる。かなり影響受けてゐるんぢやないか、と思はせる。どうやらこの映画は、『ジョゼ虎』と違つて、オリジナル脚本らしいし。むろん、うまい。個人同士の心が、決して、さう簡単には触れあはない、分かり合はない、癒しを拒否してゐる、といふ所が、凄く“分かつてゐる”感じだ。凡百の映画とは確実に一線を画してゐる。が、しかし、私がこの“犬童一心 & 渡部あや”の『ジョゼ虎』コンビに対して勝手に持つてゐる高い、高い、期待から見ると、少々苦言を呈したい所があるのだ。それを、書いてみやう。
『メゾン・ド・ヒミコ』は、伝説のゲイ・バーのママであつたヒミコが、引退後に海沿ひのホテルを買ひ取つて作つた“ゲイの楽園”である。そこには、仕事を引退したゲイたち、+その若い恋人たち、が集つて、優雅に楽しく暮らしてゐる。しかし、そこは、主人公の沙織(柴咲コウ)が言ふやうに「こんなの詐欺ぢやん、インチキぢやん」といふ所でもあるのだ。まづ第一に、メゾン・ド・ヒミコの維持費は(そしてもしかしたら彼らの生活費も)、ヒミコのパトロンである大会社の会長から出てゐる。彼らは一切、生産的はことをしてゐない。普通の人にとつては、夢のやうな暮らしである。そして第二に、一般人(?)から隔絶した桃源郷に暮らしてゐるやうでも、いざとなつたら(具体的には病気など)一般人に頼らなければやつていけない、といふ点だ。むろん、この映画はその点をするどく突いてくる。第一の点については、会長の失脚・逮捕による援助の打ち切り問題として、第二の点に関しては、ルビーといふ名の老ゲイの脳卒中問題として。そして、後の方の問題に関しては、結局ゲイである事を隠して家族の下にルビーを送り返す、といふ解決法をとるのだが、それに対して沙織が「あんたたちゲイの薄汚いエゴ!」と怒り、彼らと決裂するに至るのだ。うむ、問題提起としてはバッチリだらう。…ところが、結局、これらの問題は有耶無耶となるのである。お金の問題は、まるでなかつた事のやうになつてゐるし、沙織と彼らも、最後になんとなく和解する。むろん、第二の問題に関しては、これからの課題でなんとかしていく、といふ事かもしれないが、それにしても、これではせつかくの問題提起が生きてゐないんぢやないだらうか。
ここで肝心なのは、「ゲイ」とはひとつのメタファーだ、といふ事だ。これは別に「ゲイ」ぢやなくてもいいのである。全ての、一般的価値観と折り合はない人たちが、同じ価値観を持つ仲間と集まつて自分たちの理想郷を作らうとした時に、上記の二つの問題は必ず起こつてくる。そして、この二つの問題が一番大切で、且つ生々しくシビアなのだ、と私は考へます。
ここで私はオパールの事を思ふ。もちろん、オパールは普通のカフェであるし、基本的にお客さんのために存在してゐるのだが、それでも、私とトモコの理想郷である、といふ要素が少しはある。ある程度、世間のセオリーは無視して、ワガママを通させて貰つてゐる部分がある。故に、今までに何度も、沙織のやうに「こんなの詐欺ぢやん、インチキぢやん」と思つた事があつたし、維持するために色々とイヤな問題にぶつかる度に、ヒミコのやうに「こんなとこ、潰してしまへばいいのよ」と呟いた事もある。が、やはりそんなのは「私自身の薄汚いエゴ」なのではないかと反省して、なんとか今までオパールを続けてきてゐるのだ。この世に理想郷を存在させるための闘ひ。だから、そこを回避したらダメぢやないか犬童一心 & 渡部あや! 『ジョゼ虎』ではちやんと対決してゐたぢやないか! ……などと、思つてしまつたんだなァー。
とはいへ、このやうな点を勘案したとしても、やはりダイヤモンドのやうに光る佳作である事は間違ひないので、ここはババさんのやうに「バチグンのオススメ!」と言つておきませう。バチグンのオススメ!!!
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