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2014年06月04日(Wed)

「プリズナーズ」 強制起訴シリーズ

起訴者:マツヤマ

強制起訴シリーズ42弾

ペンシルヴェニア州の田舎町で工務店を営むケラー(ヒュー・ジャックマン)は家族と共に、近所に暮らすバーチ家で感謝祭を祝っていた。食事後の団らんの時間、気がつくと、目を離していた幼い末娘たちが姿を消していた。捜査に当たったのは敏腕のロキ刑事(ジェイク・ギレンホール)。容疑者として浮かんだのは、現場近くにキャンピングカーを停めていたアレックス(ポール・ダノ)。しかし勾留期限が切れて彼は釈放される。そこでケラーはある行動に踏み切った。監督は「灼熱の魂」で名を馳せたドゥニ・ヴィルヌーヴ。

マツヤマ
じゃぁ今回は3人ともまだ観て間もないということで、フレッシュな感想をそれぞれ話してみようか。
ヤマネ
はい、じゃあボクから。
良く出来た映画、完成度が高いなぁ…という印象はあるんですが、個人的には好きになれない映画でした。まず娘が誘拐されるという時点でアウト。自分に重ねた上でも、ケラーの行動にはまったく共感できません。あれはやったらアカンと思います。ボクは暴力的な手段は取れません。非力ですし。むしろ、あの中では「ケラーに任せよう」とか言うバーチ家の奥さんのズルい態度のほうがリアリティを感じます。
興味深い点では、多くの家に地下室があるというのがねー、やばいっすねー。日本だと湿気や地震の関係で、簡単に一軒家に地下室なんて作れませんから。やはりプレッパーズが300万人いるというアメリカのイメージを上手く映像として利用していると思います。
あと、ジェイクはすごくカッコいい役で、立ち位置的にも良かったですね。ラストの子供を病院に届けるためのカーアクションも手に汗握る新しい撮り方だなぁ、と思いました。ロキという役名が北欧神話に出て来る邪神だったり、干支の話をしていたり、フリーメイソンの指輪を付けていたりで、キリスト教に基づく戦いを客観的に見守る者として登場しているんでしょうね。なので最後にケラーが先に真相に辿り着くのも、そういうことなのかな、と思いました。ケラーこそがまず真実に辿り着くんだと。
素直にみて、蛇、すなわちサタンに魅入られた者は死に、残りの者は生き残る、という力強いメッセージにしか思えず、すごくアメリカ向けの作りだなと思いました。
元店主
私もまぁまぁよく出来た映画だと思ったし、もしかしたらいい映画なのかもしれないけれど、個人的にはグッとくる所がなかったかな。
もともと信心深い人間が、ある重大な出来事をきっかけに信仰を失ってしまう、というのはあるかもしれないけど、そこから一気に“神に対する闘い”までいってしまうというところが、どうもね、リアリティがないんだよね。
もっとも私がピンとこないのは、この映画が真面目過ぎるからだと思う。例えば、コメディとかSFとか、あるいは極度にスタイリッシュであるとか、なんでもいいけど、そういう仮面のようなものを着けた方が真実が滲み出たりするし、そういう映画が個人的に好みということもあるけどね。
ケラーの行動については、共感まではしないけど、十分考えられることだし、理解はできるよ。
ロキ役のジェイクはよかったよね。
少年院出身のロキは法を逸脱するほどの何かを内に秘めているが故に、他の人より強く法に自らを縛り付けている。対してケラーは、いざとなれば法を破るのも辞さない人間。要するに自らを律するのに法に頼る人間とキリスト教に頼る人間の対比、なのかな?
ラストで、ケラーは助かるべきか?赦されるべきか?娘の安否を知ることができるのか? というところを観客に投げたままスパッと断ち切ったのはクレバーだと思う。
しかし、クレバー過ぎてなんだか面白みがない。やはり最初から最後まで真面目すぎる映画だと思うなぁ。 
マツヤマ
オレはかなり良かったぞ。かなりだ。序盤からグイグイ引きずり込むような見せ方が上手いと思うなぁ。あとやっぱりジェイクがよかった。嫌悪感とか、人を見透かすような態度を目だけで伝える演技がメチャクチャ上手いと思った。無駄にメタボな感じもいい。彼はインタビューで、フリーメイソンの指輪やタトゥーなどはミステリアスな雰囲気を深めるために自分で決めたと語っているけど、実際はミステリアスというよりややこしいんだけどね。まさに「北欧神話のトリックスター」と呼ばれたロキがモチーフって感じだけど。
この映画では、神と悪魔、個人と組織または国家、フリーメイソンとカトリックなどいろんな対立や、人間が持っている聖と邪なんかを、複雑だけど分かり易く描いていると思う。なかなか一個の図式に当てはまらないのも面白いところだと思うぞ。
ケラーの行動については、自分がやるかやらないかは別にして、共感はできるよ。ただ、あのボカスカ殴るのは効果的じゃないような気がするなぁ。あれじゃ、だんだん頭がボーっとなってくるだけなんじゃないかな? 後半の拷問は「いちおう工務店やってます」的なアリバイだと思うけど、やっぱり韓国映画のそれの方が効果的だよね。
けっきょく真相に辿り着けたのはケラーだけど、その先の彼の運命を握るのは、やはり「終わらせる者」とも呼ばれる神、ロキなのだろう。終わり方はよかったが、欲を言えば15秒ほど早く切ってもよかったと思うけどな。
元店主
・・・なるほどね。ところでヤマネくん、プレッパーズって何なの?
ヤマネ
アメリカの人気ドラマにもなったんですが、世界が終わっても生き延びるための備えを重視する人たちのことだそうです。サバイバリストとも呼ばれているとか。
マツヤマ
それは終末は来るべきだと、本気で思っている一部のキリスト教徒のことかい?
ヤマネ
わかりませんね。趣味的な人もいるかもしれませんし、300万人もいれば、様々じゃないでしょうか。
マツヤマ
でもケラーは敬虔なクリスチャンだから、終末論を本気で信じている方だと思うね。でも結末しだいでは、その備えはケラー自身に無意味なものになるよな?
元店主
まあ、でも一応ケラーの信念は息子に強く言い渡してありますから、結末しだいでは、息子が家族を守るということでいいんじゃないでしょうか。
ヤマネ
お2人はケラーのあの行動には理解出来るようですが、ボクには無理ですね。もし自分の家族だったら、とか考えるのもイヤだから、ある意味、人ごとのようにみてました。どっちにしても1人じゃ何も出来ないと思います。
元店主
私も実際には出来ないと思うけどね。でも相手がポール・ダノっていうのが如何にも、だね。あんな役ばっか・・・
マツヤマ
やっぱりあの役はチェ・ミンシクにやらせないと。
ヤマネ
チェ・ミンシクはいつも死ぬまでやられてますよ。今回は殺すまでやっちゃダメですから。
マツヤマ
そうだね。
元店主
ところでマツヤマさん、フリーメイソンとカトリックの対立といっても、感謝祭を祝うケラーはプロテスタントじゃないんですか?
マツヤマ
たぶんそうろうだね。でも、この映画のカトリックの要素は教会内でも問題になってる小児性愛だと思うんだ。小児性愛そのものは一見ミスリードとして使われているけど、フリーメイソンの指輪をはめてるロキと対立する存在にもなってると思う。
元店主
小児性愛かぁ・・・。映画ネタとして、今となってはもう陳腐だと思って・・・またかぁ、って感じです。
マツヤマ
そうか?今回は上手く使われてると思うぞ。
ヤマネ
どっちにしても、幼い娘がいるボクとしては想像したくない問題です!
元店主
あ、それと、この映画でひとつ不明な点は、ケラーのお父さんの自殺の真相。誰か分からない? 重要な気がするんだけど・・・
マツヤマ
それによっては評価が変わる?
元店主
そ・れ・ほ・ど・は・・・
マツヤマ
ガクっ。真相はオレにも分かんなかったよ。これが分かる心優しい人は↓のコメント欄にご教示お願いしまーす。
ヤマネ
でもお2人がコメントに心優しくないじゃないですか!
マツヤマ&元店主
それは断じてない!
ヤマネ
何人も行方不明者がいるとか・・・
マツヤマ&元店主
知らん!
元店主
さーさー、ヤマネくん、次回のタイトルは?
マツヤマ
タイトルは?
ヤマネ
気持ち悪いですね、満面の笑みで。
次回はヒュー・ジャックマン繋がりで「X-MEN : フューチャー&パスト」です。
マツヤマ
うわーっ、X-MEN未体験だよ、オレ。知識0。
元店主
良かったじゃないですか。永遠に0じゃなくなって。
マツヤマ
そうだな、永遠に0じゃいやだからね。
ヤマネ
含まない含まない!

Comments

投稿者 uno : 2014年06月08日 19:18

こんばんは。
私も好きな映画です。かなりだ!とは言えませんが。
なによりジェイクが格好良かった。少し腰周りが弛んだように見えますが体幹が強いあの体型!ジェイク、体型変わりすぎだろ、と思ったら、ステロイド疑惑って、オイオイ。

この作品、エピソードのひとつひとつは手に汗握る面白さなんですが、映画全体として今一つ直感的に巻き込まれる面白さを感じなかったんです。エピソードが線で繋がっていて、頭で見ているようで。

私は「赦し」がキーワードだと思っていて、見ていてミスティック・リバーを連想しました。
ジェイクがケビン・ベーコンで、刑事としての立場から、復讐を犯した者を赦す。
ただ大きく違うのが、ミスティック・リバーでは刑事と復讐した者が幼馴染みであり、かつ事件の根本に関与しているのに対して、ロキは独立した立場である。そこがロキをクールに見せるとこでもあるのでしょうけど。
そんな中でも、最後の救急病院へ車を走らせるシーンは痺れました。映像が格好良い!

「赦す」という観点から、私はロキがケラーを見逃す(穴から助ける)と思ってますがどうなのでしょう。

最後に、想像なのですが、ケラーの父親は看守として、人を牢に閉じ込める辛さに耐えられなくなり、自殺したのだと思ってます。閉じ込められる苦しみと閉じ込める苦しみ。

投稿者 マツヤマ : 2014年06月09日 17:15

ウノピへ

ロキが「赦す」という立場の描かれ方をしているのかな?ピンとこないけど。仮にケラーを穴から助けるとしても、その後ロキは司法の立場から赦すことはないと思う。
ケラーが最後にどうなるかというのは、ケラーを見続けてきた観客の目に委ねられていると思う。そういう意味でロキの目は観客の目でもあると思うし、ああいう終わり方にすることによって、ケラーの行動に対する観客の思いが生かされたままになっていると思う。

お父さんの自殺の理由として「人を牢に入れる辛さ」というのはまったく同意出来ない。だって、お父さんが牢に入れたわけでもないし、無罪の人を閉じ込めたというわけでもない。囚人に酷いことをして罪の意識に苛まれたとか、死刑執行に何度も関わっておかしくなった、とかだったら分からないでもないけど、映画の中でそれらしきことは語られていないんじゃない?
そのへんは旧約聖書を理解してたら分かるのかな?欧米人には分かる、とかあるんだろうか?
そういえば、“冒頭で聖書の一説”というパターンって他にもあるけど、ああいうのはちょっと苦手かも。

投稿者 元店主 : 2014年06月09日 17:42

なるほど。ウノピは「赦し」がキーワードだと思った訳ね。でも、私はウノピの論には違和感があります。

確かにこの映画は大きな意味で「赦し」はテーマに含まれるだろうけど、そもそも「赦し」とか「裁き」は人間ができるもんじゃないのね。それは神の領域。だからロキがケラーを「赦す」とかあり得ない。
むろん、自分で人を赦したり、裁いたりできると思っている不遜な人間は存在するけど、ロキはむしろその対極にいる人間だと思う。そういった判断は持ち込まず、ひたすら職務に忠実であろうとしている。
だから、もしロキがケラーの監禁場所に気がついたら、当然助けるだろうし、その後はケラーを連行すると思う。ケラーは犯罪を犯したのだから。これは当然の行いで(多分、他の人でもみなそうする)そこにはなんら「赦し」が介在する余地はない。
ちなみに、私が「ケラーは赦されるべきか?」と言ったのは、ロキにではなく、むろん神にだから。物語をあそこで断ち切る事によって、観客は擬似的に神の立場に自分を置き、あの後物語がどう展開すべきか、を考える、ということ。

ケラーの父親の自殺の原因に関しては、面白い意見だと思う。正直言うと、私は「人を牢に閉じ込める辛さに耐えられなくなり、自殺した」というのはリアリティ−に欠ける様な気がするんだけど、かと言って私には他の考えも思いつかないので、ウノピの意見は尊重します。

でも常に身体に注目してるところはさすがだね。それは感服するよ。

投稿者 元店主 : 2014年06月09日 17:45

あ、マツヤマさんとダブった。

マツヤマさんのコメントがまだない状態で書き始めたから(そしてそのまま投稿したから)、かなり内容がダブってしまった。すまん、ウノピ。
でもやっぱ、マツヤマさんも同じ様に感じてたのね。

投稿者 uno : 2014年06月10日 23:28

マツヤマさん、元店主さん
こんばんは。
「赦し」に関して。確かにエンディングの後、たとえロキがケラーを助けたとしても逮捕はしたでしょう。
うまくは言えないのですが、ロキのことをエンディングでは神を表す様な存在に感じたのは事実です。これはミスティック・リバーのエンディングでケビン・ベーコンがショーン・ペンを見逃した時も同じ感覚を受けました。あくまでエンディングだけです。
で、何故このような感覚を受けたのかなと考えているのですが、お二人が言うように、ケラーが赦されるかどうかは観客に委ねられる、というところにヒントがあるのかなと思っています。私は観客としてロキに自分を投影し、ケラーを助けると考えることで、ケラーが赦されると感じた。ケラーが助かったという事実が赦されたということになる。あれっ?もしかしてケラーが赦されるってのは私の希望なのかな。。。
映画を見ているとき、私はケラーが助かった後の事は全く頭にありませんでした。ただ、ケラーが逮捕されるにしても、罰を受けることで赦されるのではないでしょうか。あのまま穴に閉じ込められたままでは赦しは無い。
マツヤマさん。ケラーの父親の自殺に関して、宗教的な考えや、欧米的な考えは意識していません。というか私には分かりません。ただ、人を閉じ込める辛さというのはあるのじゃないかなと思って書きました。
全く関係ないのですが、冒頭でケラー(ヒュー・ジャックマン)がブルース・スプリングスティーンのファンだと言いますが結構二人は似てると思います。

投稿者 元店主 : 2014年06月11日 03:11

うーん、私が思うに、ウノピは「赦し」という事が分かってないんじゃないかな。前回も書いたけど、人が人を「赦す」なんて事はできないのね。人を「赦せる」のは神だけだから。
「赦す」というのは、法律的に無罪にする、とか、犯罪を見逃す、とかとは全く次元の違う事なのよ。

ウノピの書いてる事は混乱に満ちてるから、どこから返答すればいいのか迷うけど、まず正確を期すために訂正しておくと、私は「ケラーが赦されるかどうかは観客に委ねられる」なんて事は言ってないから。
私が言ったのは、ケラーが赦されるかどうかを観客は考えさせられる、という事。ケラーを赦す事ができるのは、ロキでもなく、ましてや観客でもない。神だから。観客はただ、神はケラーを赦したもうか?と考える事ができるだけ。
だから、ウノピは「ケラーは赦されるべき(はず)」と考えた、という事だね。

ケラーが救出されたらそれは赦されたこと、救出されなかったらそれは赦されなかったこと、と考えるのは一理ある。(でも、罰を受けることで赦される、というのはナンセンス。逮捕されたら誰でも罰を受けるだろ。むろん、ここでいう“罰”は法律的なことね)
しかし、一理しかなくて、必ずしもそうとは言えない。たとえ救出されなかったとしても、なんらかの方法で(例えばロキの独り言が“奇跡的に”聞こえて)娘が助かった事を知り、心安らかに死んでいったのなら、それは赦された、ともいえる。また逆に、救出されたとしても、無実の人を閉じ込めて拷問した罪の意識に苛まれ、さんざん苦しんで精神を荒廃させていったら、それは赦されなかったともいえる。
とにかく、「赦し」とは形而上のことがらだから。形而下的に助かろうがどうだろうが、あんま関係ないのね。

前にウノピが自分で言ってた事だけど、やっぱウノピは形而上的な事が分かってないのかもねー。形而上と形而下との混同がある。
私に言わせれば、この映画のロキも、「ミスティックリバー」のケヴィン・ベーコンも、全く神を表している様には見えないよ。彼らはあまりに人間臭い。そこが、いいとこなんだけどね。

投稿者 uno : 2014年06月11日 23:28

元店主さん
丁寧に解説していただきありがとうございます。
元店主さんの言う「ケラーは赦されるべきか?」の部分を理解できていませんでした。(今も出来ていないかも)
「(神によって)ケラーは赦されるべきか?」と観客が考える。それは「赦されるべき」であって「赦す」ではない。
そこを一緒くたに考えて混乱していました。
コメントを書きながら考えるにつれ、ほころびが出るんですよ。
形而上をよく考えてみます。
自信無いなあ。。。
今度オパールのカウンターででも。

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