ted []
ジョンは子供の頃に友だちが居なくて、とても寂しい思いをしていた。友だちといえるのは、唯一ぬいぐるみのテディベアであるtedだけ。そこでジョンはクリスマスの日、神様に、tedが自分で喋ることができる様にして下さい!と祈った。すると、その願いは叶えられ、tedは自ら喋られる様になったのでした。・・・と、ここまではよくある話。
この映画の肝は、そのtedが、ジョンとともに歳をとっていく、という設定にあるのだ。
そもそも、ぬいぐるみは歳をとらない。だからこそ、くまのプーさんのあの感動的なラストがある。歳をとり、大人になっていくロビンと、プーさんは別れなくてはならない。そこでプーさんは言う。「ぼく、待ってます」
そう、ぬいぐるみは常に、原初の無垢な状態のまま、我々を待っていてくれる。その事を我々は決して忘れてはならない。忘れると、クソみたいなつまらない下劣な大人になってしまう。そんな連中が、新自由主義に心酔したり、石原や橋下の様な連中を支持したり・・・と、いかん、いかん、また脱線する所だった。
ジョンは今や35歳。tedも同じく歳をとって35歳(くらい?)。ふたりとも、ハッパをキメて映画をみたりドラマをみたりしてバカ笑いしたり、パーティーで騒いだりするのが大好きで、世間的な評価ー出世したり、金持ちになったり−には興味がない。典型的なボンクラで、世間的にはダメ人間だ。しかし、彼らはとても魅力的だ。それは何故なのだろうか?
それは、成長、という事に関係する。一般に、子供というのは純粋で無垢な所がある分、視野が狭い。これは自己中心的で他人のことが分からない、という事でもある。成長とは、この視野を拡げ、自己を相対化し、他人を理解できる様になる事を意味する。が、誰もがこの様にちゃんと成長できる訳ではない。というか、ほとんどの人がまともに成長する事ができない。
単に純粋さや無垢さを失っただけで、多少広がっただけの視野に自足している“大人”が多過ぎる。これを、世俗の垢に塗れる、という。
ジョンもtedも、世俗の垢に塗れていない。確かに、視野が狭く、自己中心的で他人の事に気が回らない事もあるけれど(それでロリーともめたりする)、それでも世俗の垢に塗れていない彼らはとても魅力的なのだ。
また、いくら狭いとは言っても、彼らは彼らなりに視野をひろげ、子供の時の視野−世界に固執している訳ではない。子供時代の世界に固執するのもまた、問題なのだ。その事を表しているのが、ドニーである。
彼は子供時代、テレビでtedを観て、自分もあんなのが欲しい!と言ったものの両親に激しく怒られて、折檻をされる。とても抑圧的な子供時代を送った人間なのだ。そのおかげで、彼は自らの子供時代の世界観に固執してしまう。それがtedの誘拐、という事態になる訳だが、彼の病理をまざまざと見せつけるシーンがある。
それはなんかのジュースを飲みながら、ティファニーのPVを観ながら激しく踊り狂うシーンだ。彼がお酒でもドラッグでもなく、ジュースを飲んでハイになっているのは、彼が子供時代にそんなジャンクフードを厳しく禁じられていた反動だろうし、ティファニーにしても同様。ティファニーの様なジャンクなアイドル音楽は今の時代にだっていくらでもあるが、彼が子供時代に流行っていた(そして観るのを厳しく禁じられた)ティファニーでなければならない訳だ。
その姿は、一見、純粋で無垢にもみえない事もないが、やはりグロテスクだ。何故なら、彼は自らの欲望に囚われているから。それが、自分たちの世界を守りながら、うまく“成長”してきたジョンやtedとの違いなのである。
我々が如何に子供時代の純粋や無垢を失わずに、子供時代の視野狭窄を克服してうまく成長できるか。それは、如何にしてプーさんたちぬいぐるみと別れずに大人になるか、という事でもある訳だけれど、その答えの一端が、この映画にはある。
それを書いてしまうのは少々野暮かもしれないけれど、やっぱり書いてしまうと、それは自らの欲望の放棄=自己否定を通じて純粋に他人を思いやること、だ。tedもジョンも、そしてはっきり描かれていないが、当然ロリーも、それぞれ欲望の放棄=自己否定を通じて純粋に他人を思いやることを行ったが故に最後の奇蹟は起きたのだ。と、思う。
tedは成長を巡る、哲学的な映画なのです。
Comments
投稿者 マツヤマ : 2013年02月28日 10:47
やっと観にいけました!
この映画はクリスマスで始まって、教会の結婚式で終わります。“テッドの復活”まである。だから主人公の名前がジョン(ヨハネ)。と、いろいろ匂わせといて、キリスト教的道徳心を冒涜しまくる内容になってるのかな。
どちらにしても、庶民の自由に制約が課せられる今のアメリカを批判する内容だと思いました。エロネタも描写には規制がかかるから、あえて言葉攻め。言うのは自由だから、とことん言いまくる。
パーティーのシーンは「ラスベガスをやっつけろ」を思い出しました。コカイン吸った直後のサムとジョンとテッド3人の姿は勇ましかったねー。これぞアメリカン・ドリーム!
「イエスマン“YES”は人生のパスワード」という映画も雰囲気が似ていて共通のテーマがあると思います。
ジョンがロリーに言った「もしキミの足が岩に挟まれて抜けなくなったらボクが食いちぎってあげる」のくだりでは、ロリーが現在まさに岩に挟まれた状態という意味だと思いますが「イエスマン」でも、抜けなくなったなった足への苛立を示すシーンがありました。
常識やルールに縛られて、窮屈に生きている人へ向けられた映画ですね。
投稿者 トモコ : 2013年03月01日 19:18
マツヤマさん
悔しくない涙をぼろぼろ流しながら観た人間なので、キリスト教的道徳心を冒涜しているという風には感じませんでした。’ジョンベネ’ ットという名前の小技には気をとられていました。
テッド宅でのパーティーシーンは最高でしたね。愛すべきアメリカ。
どんどんテッドを昇格させる上司もすてき。
忘れかけていたアメリカの良い部分を確認したい人に。(私)
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