「汚れた心」 []
現在、世界最大の日系人居住地であるブラジルでは、終戦直後、日本との国交を絶っていたこともあって日系移民たちは正確な情報をつかめず、当時30万人いたといわれる移民の約9割が「日本は戦争に勝った」と信じ込んでいたという。そして「日本が負けた」という正しい情報を信じる者は汚れた心を持つ国賊として粛清の標的になったという。日系人社会の中で語られることすらタブーとされてきたこの衝撃的な事件をブラジル人ジャーナリストが掘り起こし、ブラジル資本100%、ブラジル人監督によって製作された作品である。
107分という比較的短い上映時間だけに、登場人物たちの心象風景があまり深く描かれていなかったと思った。しかし、主人公で勝ち組(日本が勝った派)のタカハシを演じた伊原剛志の「普通の人」ぶりが際立って自然に見え、逆にタカハシを負け組(「負けた」派)の刺客として任命する勝ち組のリーダーで、元軍人のワタナベ役の奥田瑛二は役者としての自己評価が大きすぎるのか、キャラにはまっていないのか、やり過ぎ演技で不自然さが目立つような気がした。内容の割には話の運びが軽く感じたので、もう少し長い時間でじっくり描いた方がむしろ退屈しないのではなかっただろうか。
さて、終戦後の勝ち組日系移民を一般のブラジル人はどう見ていたのかは、映画ではほとんど描かれておらず、事件を検証しているネット上の資料を読んでもほとんど分からない。筆者がブラジル人になったつもりで客観的に見れば、彼らは「ウザい奴ら」ではなかっただろうか。現実では負けているのに、戦勝祝賀会を開いたり、運動会を開催したりして「日本は神の国だから負けたはずがない」と狂信していたわけだから。それでも敗戦国のウザい奴らとして冷ややかな目で見られる中、本国では高度成長期を経て、トヨタやパナソニック、味の素など大企業の製品がブラジルに入り込んでくると「やはり日本は強いじゃないか」とブラジル人を見下す者も少なくなかったと思う。というのはあくまでも筆者の思い込みだ。
興味深いのはこんな映画がなぜ今作られたか、ということだ。その一端は現在の日伯における経済の現状にあると思う。今の日本政府の経済政策を見れば、それはまさに衰退の一途をたどっていると言うほかない。対してブラジルは、2007年にIMFへの債務を完済し債権国へと転じ、GDPは世界6位(国民一人当たりは未だ低い)にまで昇り、経済発展が著しい新興国の一国に数えられるまでなったということが大きく関係しているのではないだろうか。
ここで見るような狂信的な国粋主義者はブラジルの日系移民に限ったことではなく日本全体の汚点である。ブラジルが他国の汚点を描けるまで国力を上げ、日本の国力は下がる一方だということを、日本人は甘んじて受け止めながら観るべき映画なのである。
「あんな世界観は今の日本じゃ新興宗教くらいしかない」と思う人も少なくないとは思う。果たしてそうだろうか。最近の日本で、本来は心の問題であるはずの「愛国」が声となって聞こえ、活字となって躍ることが異常に増えたと思う。例えばごく最近のニュースの見出し「日の丸購入者に商品券 石川県の中能登町」(共同通信)というものから、筆者が暮らす大阪府における大阪維新の会による教職員への愛国心の“強制”、そして領土問題にいたるまで、このようなことを今敢えて問題視するのは少し異常とは思えないだろうか。一般の日本人が尖閣や竹島など行ったこともなく、問題にされるまで聞いたことも興味もなかったような島になぜそこまで執着できるのだろうか。ロシアが相手の北方領土問題はそれほど声高ではないはずだ。中国・韓国には強硬な態度で、戦後ずっと日本を属国にしてきたアメリカにはまったくの無抵抗という態度は、リアルな社会にも自分の未来にも興味がない引きこもりのネット右翼(ネトウヨ)とまったく同じである。こんなときに好戦的(対アジア)で売国的(対アメリカ)な橋下某のようなタレントがこの国のリーダーにでもなるようなことがあれば、自国民をどこへ導くのやら。この奇妙なナショナリズムが民度を押し下げているということを今一度冷静に考えてみるべきである。
3.11は第二の敗戦、またはバブル崩壊を含めて第三の敗戦ともいわれている。原発の安全神話の終焉だけではなく家電企業の急激な衰退はまさに技術大国日本の崩壊である。日本が今でも世界一手先が器用な国民の世界一技術開発に秀でた国だと思うならそれはもはや過信でしかない。そんな今の日本を外から見れば、まさにこの映画に見る日系人コミュニティと同じようなものではないだろうか。こんなことを言う筆者の心もやはり汚れているのだろうか。
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