「アジョシ」 []
我が国の韓流オバサンたちにとって今年注目の韓流映画には、おそらくはイ・ビョンホン主演の「悪魔を見た」と本作品の2本も入っていたに違いない。しかしこれらを観てしまったオバサンたちは今頃寝込んでしまって布団のなかでうなされいるかもしれない。イ・ビョンホンに続いてウォンビンも、もはや韓流スターではなくて「映画スター」なのだよ、オバサンたち。
さて、ストーリーだけみれば「まんま『レオン』じゃん」なんて声もよく聞こえる作品ではあるが、それよりも何よりもウォンビン演ずるところのテシクの境遇は「悪魔を見た」のスヒョン(イ・ビョンホン)とそっくりなのである。そっくりだからわざわざ説明する必要もないのだが、あえて違うところといえば、スヒョンは現役の国家情報院の捜査官で、テシクは情報院の特殊部隊要員でありながら、その存在ごと歴史から抹殺されかけ、国家との関わりと自分の過去を捨てて安アパートで質屋を営みながら誰と関わり合いになることもなくひっそりと暮らしていたことだ。
韓国映画が注目されるきっかけとして「シュリ」や「JSA(パク・チャヌク監督)」などの南北問題を扱った作品が貢献したのだが、金大中大統領が提唱した太陽政策による融和ムードで、対北問題が描き難くくなったのか、それとも改めて自国の問題に目を向けるようになったのか、ストーレートに“北”を扱った作品で目立ったものはなくなったような気がする。そして、それらの作品のフェイドアウトと重なるように出現したのが2000年以降の復讐をテーマにした作品を始め、残酷路線の韓国映画には1960年代から3代続いた軍事政権、とりわけ全斗煥時代の残虐性が影を落としているような気がする。
「悪魔を見た」でスヒョンを互角の対戦相手として悦ぶ悪役、ギョンチョル(チェ・ミンシク)に筆者が同じ匂いを感じたのがテシクである。テシクが所属していたという特殊部隊の訓練を視察した国会議員が失神するほどその内容が残酷だったという下りで、筆者は「シルミド」という2003年の韓国映画を思い出した。1968年に金日成北朝鮮国家主席を暗殺するために創設された特殊部隊「684部隊」は米国の協力が得られないことと、表向きの南北の融和が求められたことにより、1971年に韓国政府がその計画を撤回し、部隊の存在そのものを抹殺しようとしたため隊員が反乱を起こすも最終的には全員が死亡したという「実尾島(シルミド)事件」はまさに韓国の歴史の汚点である。隊員31名中、7名が訓練中に死亡したというその過酷さは、まさにテシクがいたという特殊部隊がモデルにしたものではないかと思うのである。実際に北派工作員としての特殊部隊はかなりの人数があったとみえて、2002年にもソウル市内で武装した北派工作員約180人(Wikipediaでは300人余と…)が名誉回復と実体認定、賠償を求めるデモがあったが、その成り行きの詳細は不明である。
そういうわけで事故を装った暗殺から逃れ、世間と一切の関わりを絶ち、身を隠すように暮すテシクは目立った行動をとるほど、自分の身だけではなく護ろうとする存在すらも危険にさらしてしまうのだが、護ろうとする相手がいることに気づいたときにテシクは自分は孤独だったということに気づくのである。孤独と愛は表裏一体で、孤独に満足するならそれはもはや孤独ではない。愛を求めても得られないまま生きるのが孤独なのである。自分のために妊娠中の妻が犠牲になって死んだのだからテシクは絶対的な孤独である。
自分に孤独=愛を気づかせた少女ソミを救うため、臓器売買の闇組織を追うテシクのこの映画最大のキメ台詞を引用してみる。
「お前らは明日を見て生きているだろう? 明日を見て生きている奴は今日を生きている奴に負ける。俺は今を生きているだけだ。それがどんな地獄か見せてやる」
カッコよすぎて意味がよく分からないが、明日→カネ、今→愛に入れ替えてみると分かりやすい。
「お前らはカネのために生きているだろう? カネのために生きている奴は愛のために生きている奴に負ける。俺は愛のために生きているだけだ。それがどんな地獄か見せてやる」
となればしっくりくるが、かなりダサい。
そして、やはり「悪魔を見た」でも妊娠中の妻を惨殺したギョンチョル(ミンシク)を捕えては残酷に痛めつけながら逃がすスヒョン(ビョンホン)のゾクッとするキメ台詞がある。
「これからが始まりだ。ますます残酷になる」
要するに非人道的行為には「それ以上の報復をするぞ」という宣言であり、胸がすく台詞でもある。そしてまたこの報復宣言こそが、休戦中とはいえ今も戦争状態にある“北”政府に対する本音なのではないかとも思えるのである。さらには、これら復讐者たちが誰の助けも求めないのは、朝鮮半島の問題があくまでも民族の問題であり、かつての冷戦構造に組み入れられたことや米国の介入がより問題をややこしくしていることへの批判であるとも考えられるのである。
さらに、この作品でもうひとり注目すべきキャラクターは臓器売買組織に仕えるベトナム人の用心棒ラムノワン(タナヨン・ウォンタラクン)だ。しかしこの役者はタイ人なのだが、なぜベトナム人でなければならないのか? やはりここにも冷戦の影が付きまとっているのである。ベトナム戦争に加担した韓国軍によるベトナム人の大虐殺、強姦は今もベトナム人にとって深い傷となって残っている。そして強姦によって生まれた混血児はライタイハンと呼ばれ差別の対象となったという。ベトナム人であるラムノワンの年齢からいえばライタイハンと見ても不思議ではないし、そうすれば中国マフィアを通じて韓国の闇組織に入り韓国人殺害に手を貸すということにも合点がいく。
また「悪魔を見た」のギョンチョルがスヒョンを互角で戦えるライバルとして悦んでいたように、ラムノワンがテシクにそう感じていたように見えたのは、単なる“互角の力”だけの問題ではなく、敵(韓国)の敵は味方であり、もしかしたらテシクもまた韓国政府の犠牲者であると直感したのかもしれない。そしてラムノワンもまた絶対的な孤独の匂いがプンプンするのである。
ラスト、テシクが母親を失ったソミに「一人で生きていくんだ。できるだろう?」と言った意味は「孤独になるな」という意味であると筆者は思ったのだった。
ここからは余談に入るが、この作品で強烈な個性を放っていたのが臓器売買の中心人物のマンソク、ジョンソク兄弟。
弟ジョンソクもまたナイスバディ
で、やはり本命は…
スキカルの使い方間違ってますよ
しかし、イ・ビョンホン3部作を撮ったキム・ジウンにしても「アジョシ」にしても“裸”はしっかり撮るよなぁ。そこがポン・ジュノやキム・ギドクらと微妙に違うところだ。どっちがいいとかいう問題ではないけど…
で、変身前のテシクといえば…
西島+玉木
で、こうならない?オバサンらに怒られる?
リアル・アジョシ拝
Comments
投稿者 テラリー : 2011年10月20日 20:24
なるほどライタイハンですか!
納得です!
投稿者 マツヤマ : 2011年10月21日 21:12
うわっ、また10年も前から「ライタイハン」を知ってたような物言いだし、なんだか上からにも聞こえるし、テラリーが感情移入できるのはジョンソクだけだしぃ…。
Thanks !
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