「母なる証明」 [☆☆☆☆☆]
申し訳ないが、オレの採点はけっこういいかげんだからアテにしない方がいい。そもそも頭の悪いオレなんかに映画の採点なんて向いてない。ここにレビューを書く作品はイロイロ文句を言った作品であっても基本的に全て面白い。面白いからイロイロ書ける。
だから100点を付けたい作品も一杯ある。これもそうだ。ポン・ジュノっていうだけで観る前の段階からテンション上がり過ぎて80点スタートなんだから。もう開き直るしかない。
ここからレビュー
フランス映画的だと思った。映像表現もそうだが、食卓からもそれを感じた。母(キム・ヘジャ)が息子(ウォンビン)の立ち小便をごまかす絵の構図はまさに「パリところどころ」のゴダール編。日本人のフランス映画への憧れとは違って、地続きの自然な文化の流入を感じた。
ポン・ジュノはもはやアジアを代表する、いやアジアを背負って立つ映画監督と言っていい。ハリウッドからのオファーを平気で断るところが実にカッコいい。
「グエムル - 漢江の怪物」もスゴかったけど、オレはやっぱり「殺人の追憶」のラストの一瞬がたまらなく好きだ。
こういうヒューマン・サスペンスはミニシアターでいいのかもしれないが、ポン・ジュノ作品はそれに当てはまらない。「殺人の追憶」のラストのように、眼のずっと奥の方にあるものは大画面でしか感じることのできないものがある。オレはこれを大阪の「梅田ブルク7」で観た。観客の8割はウォンビン目当てのオバチャン。上映前とはいえ相当うるさいだろうから、誰もいなそうな前から2列目で観たけど、これが意外にちょうどいい。
で、やっぱりこの作品も眼が重要だ。「眼(瞳)は人間の感情を映し出す鏡である」と使い古されたフレーズかもしれないが、眼で演じることが役者として如何に難しいことかと思うし、この韓国の役者たちにはそれが完璧に出来ている。明らかに多くの日本の役者とはレベルが違う。
息子は純粋無垢な青年で言動も記憶も曖昧だけど、眼はハッキリとその心を映し出している。
母は息子を溺愛して、命がけで救おうとするが、実はそうじゃない。全編を通して、母の行動は実に打算的だ。友人に対する違法針治療や身体への気遣いも押付けがましい。この母は息子よりも自分のことが大事なんだということをある時まで自分でも気付かないでいる。
この作品は数多あるキレイごとで母性を描いたいわゆる“母モノ”ではない。
年寄りたちの多くを見ると、若いときのセックスに明け暮れた日々や、大なり小なりワルサをはたらいたりしていたことなどなかったような顔をしているが、みんなイロイロあるし、歳をとったからって何もかもがキレイになるわけじゃない。母とて同じことだ。母性は美しいからといって母が美しいわけじゃない。いいことも悪いことも繰り返しやってくるから過去だけに悪いこと全てを隠すことはできない。映画というものは素晴しいけど美しいわけじゃない。
ポン・ジュノは「複雑だけどいちいち説明がないのが現実の世界なのだ、自分で考え判断しろ」と教えてくれているようだ。
前作「TOKYO」の一編ではそれが出来ない現代人、とりわけ日本人を描いていた。
いろいろ考えてみる。もしこの世が「無償の愛」だらけの世界になったら、半狂乱の世の中になるんじゃないか? 終盤の母の行動のごとく、善悪の見境なんてなくなってしまうんじゃないだろうか?
この世に無償の愛なんてない。
そういえば、母がケガをした指を治療していた薬局(?)の名前「アガペー」じゃなかったっけ?
でも有償だろ?
そういえば「グエムル~」を劇場で3回も観たBABAさん、これは観れなかったけど、今はどんな世界にいるんだろうか。
Comments
コメントしてください