「イントゥ・ザ・ワイルド」 [☆☆☆☆☆]
あのぉ、ちょっとお時間いただけますか?
- MT
- なんだよ、いま観たとこなんだから余韻ぶち壊すなよ。
宗教か?
いえいえ、スミマセン、テレビCM制作のために劇場の出口インタビューを行なっているもので、ご協力いただけませんでしょうか?
- MT
- オレでいいのか?
えっ、何がですか?
- MT
- 長くなるゾ。
……ん、まぁ、いいでしょう。
次の回の後もやりますからね。
時間はたっぷりあります。
で、お名前とお歳をお伺いできますか?
- MT
- マサユキ父さん、43歳だ。
“マサユキ父さん”さん? ですか。
バカボンパパみたいですが…… 41歳の春過ぎちゃいましたね(笑)。
- MT
- うるさい、名前なんてどうだっていいだろう。
それでは、この映画の感想を一言でおねがいします。
- MT
- だから、長いって言ってるだろ。
「私も泣きました」とか、あんな宣伝にもならないコメントでパーの観客を増やしてまで興行成績上げるようなクズCMなんか辞めちまえよ。
キミだってわかってやっているんだろう。
まぁ一応、仕事として割り切ってやってますんで。
- MT
- オレも他人のことゴチャゴチャ言えるような立派な大人じゃないけど、キミのやっているようなことも映画の仕事の一端なのかと思うとネ、日本の映画界って、ホント、映画ファンの方をまったく見てないんだなぁって思うのサ。
私も実は映画好きなもんで、マサユキ父さんのおっしゃることはよくわかります。
こういう作品を観てしまうと自分の人生もちゃんと考え直さないとなぁ、なんて思っていたところなんです。
ちょっと座りますか?
- MT
- そうだな、何か飲むか?
あぁ、それは私が……
- MT
- いや、いいんだ、ここはオレが…… ワンカップでいいかい?
ワンカップ?
えっ、あ、はい、いただきます。
- MT
- 熱燗は無いらしいや。
キミもまだ20代だろ、主人公のクリス青年といっしょくらいじゃないのかい。
たぶん大手の広告代理店だろ、いい大学出てんじゃないのかい?
えぇ、まぁ世間でいうところではそのようですね。
だから私もこの主人公に自分を重ね合わせて見ると、このままじゃダメなんじゃないかって思ってしまうんですよ。
- MT
- そうか、オレも去年までなら主人公に自分を重ね合わせて観ていたんだろうけど、子供が出来たらそうじゃなくなったんだ。
特に主役のエミール・ハーシュはこないだの「スピード・レーサー(ウォシャウスキー兄弟)」でも息子役だったから、もうオレの中ではエミール・ハーシュは息子としてしか見られないんだ。
ウチのマサユキはまだ赤ん坊だけど、それでも息子の将来と重ねて見てしまうんだ。
だから最後は辛かったサ。
いや、最後だけじゃない。
クリスは最初から計画的に時間をかけて自己の消滅を計っていたんじゃないかと思ったんだ。
キミは「輝ける青春(2003伊マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ)」を観たかい?
観ましたよ。
6時間以上ありましたけど、一度もダレることなく観れましたねぇ。
- MT
- うん、あれは良かったな。
あの中のマッテオという青年のキャラクターは強烈だった。
潔癖な正義感を持った彼は、どうしても社会との折合いがつかなくて自殺してしまうんだけど、書物に答えを求めるような、そんなマッテオとクリスが重なって見えるんだよな。
そこで泣きましたか?
- MT
- 何だよイキナリ。
まだ話は長いぞ。
あっ、ス、スミマセン。
で、クリスが自殺だと思ったんですか?
- MT
- いや、そうは言っていないんだがな。
彼の目的はアラスカに行くことだろう。
彼は荒野に行方をくらますと言っていたけど、その後のことが曖昧なんだ。
南へ戻ったら旅行記を書くとも言っていたようだが、それが目的ではないことは明らかだ。
ちょっと原作(ノンフィクション「荒野へ」ジョン・クラカワー)と混同して申し訳ないんだけど、彼が穀物農場で世話になったウェインに送ったハガキで「もしアラスカで命を落とすようなことがあったら……」って書いてあるんだ。
これで自殺を示唆していたというのは単純だけど、少なくとも本当の意味で“荒野に身をくらます”ことを彼自身が期待していたんじゃないかと思うのサ。
映画では多くは語られてはいませんね。
- MT
- 監督のショーン・ペンはこの作品を作るうえで原作著者への敬意とクリスの家族への心配り、そしてクリスと出会った人たちをもある意味平等に描いているけど、実際はウェインの存在はものすごく大きいものだったと思うのサ。
で、あ、ちょっといいかな、便所行ってくるよ。
しょーんべんだ。
パンフレットですね。
- MT
- あぁ、ついでに買ってきた。
ん〜ナニナニ…… おっエミール・ハーシュのインタビューだ。
<EH:元々物にこだわる方じゃないけど、この映画に出てから浮わついたハリウッドの環境から離れていたいとおもうよ……> ってずいぶん純粋な子だよな、エミールって。
“浮わついたハリウッドの環境”っていうのがクリスの思想とも重なるところがあるからなぁ。
作品から受けた影響は相当大きかったんだろうなぁ。
まぁ、オレは贔屓目かもしれないけど、エミールはもう今のディカプリオの域に達していると思ったよ。
けっこうな入れ込みようですねぇ。
- MT
- あぁ、「スピード・レーサー」のときからゾッコンだよ。
あっ、ウェインの話に戻るよ。
まず、ロンという老人、ジャンとレイニー、クリスに惚れた少女トレイシーたちはどちらかというとクリスを必要としていた。
クリスによって癒されたり、傷ついたり、動揺したりするんだけど、ウェインは違う。
彼はある意味、荒野を体現しているような人物だから、クリスにとっても魅力的な存在だ。
クリスが文学に毒されているのを知っているから「オマエは頭でっかちだ」と説教するアニキ分的存在だ。
ウェインが違法行為で逮捕されなかったらもう少し長く農場にいただろうし、クリスの意識も少しは変わっていたかもしれないと思うんだよ。
それが残念だ。
けっきょくクリスはどうしたかったんでしょうねぇ?
- MT
- それが最大の問題なんだが、これが実話だけにクリスの心の内面にまで踏み込むことは不可能だし、創作してしまってはデリカシーがなくなるだろう。
クリスの心の根底にエディプス・コンプレックスがあるという見解もあるそうだが、それも想像の域を越えるものではない。
原作著者は残された手紙やノートから自殺願望を否定しているが、オレもそう思っている。
でもさっきは自己の消滅を計っていたって言ってたじゃないですか。
- MT
- いや、それは自殺願望とはちょっとニュアンスが違うんだ。
ココからはオレの個人的な見解で、あくまでも想像なんだが、この原作でも映画でも何か腑に落ちないことがあるんだよ。
そうですね。
人間嫌いでもない、バカでもない彼がどうしてそうも無限の孤独を目指すのか、ですよね。
- MT
- まぁそんなところだ。
精神的疾患や冒険心、反発みたいな簡単な言葉だけではけっして片付けられない、そして踏み込んではいけないことを語らずして描かれているような気がするんだ。
著者のジョン・クラカワーもショーン・ペン監督もわかっていて、あえて言わない。
それは死者と残された人達への心遣いに他ならない。
わかるか?
……わかりません。
- MT
- いいか、クリスは結果的に「幸福はわかちあえたものだけが、ほんものだ」って悟ったように描かれているが、そんなことは最初からわかっていたのさ。
クリスはそれを捨てるために荒野を目指したんじゃないのかなぁ。
その原因である、あえて語られることのない真実が原作の中に、映画の中にヒョコヒョコと顔を出しているんだ。
いや、オレにはそう感じるんだ。
ん〜、よくわかりません。
捨てなければならないという理由もよくわかりませんが。
- MT
- オレはもうこれ以上言うことはできない。
それがショーン・ペン、ジョン・クラカワー、クリストファー・マッカンドレス、彼の両親、そして妹のカリーン・マッカンドレスへのオレからの心遣いだ。
この作品を観た者どうしで個人的に語り合うことにするよ。
そんな難しい映画なんですか?
- MT
- いや、あまり難しく考える必要はない。
ここでオレの意見を述べただけだから、いろんな意見があっていいんだ。
いつまでも語り続けることが死者への弔いにもなるからな。
でも、ショーン・ペンの描き方は正解だったと思うゾ。
この話はアメリカではセンセーショナルな事件だったから、いろいろ語られたようなんだ。
死亡原因も実際は不明なんだけど、ショーン・ペンがチョイスしたワイルド・ポテトの近似種の毒にあたったという説が、死亡するまでの経過をよりドラマチックに描けていると思うんだよ。
「輝ける青春」では北欧最北端の夕陽が沈む一瞬の美しさが象徴的だったが、ここではアメリカ大陸北部の広大で美しい青空を描いた、そんなショーン・ペンのラストの創作にオレは涙が止まらなかったゾ。
マッ、マサユキ父さんはそこで泣きましたか?
- MT
- ああ、オレはこのラストで涙が溢れてきたゾ。
この映画は最高だ。
ハイ、ありがとうございましたぁ!
- MT
- ……?
なんなんだ?
あっ、この最後のコメント採用しますんで。
あそこにカメラ、あるでしょ?
- MT
- クソっ、貴様、ハメやがったな!
コノヤローℵ∂∀⧻⏃ゟ〓έФ……
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