「TOKYO」 [☆☆☆☆★★]
!!! ややネタバレあり !!!
インテリア・デザイン
- 父
- このミシェル・ゴンドリー監督作「インテリア・デザイン」だが、まず最初に言っておく。
この作品、加瀬亮では役不足だな。
- 子
- また父さんは個人的に加瀬亮が好きなだけで……
- 父
- いや、確かにそうかもしれない。
でもなぁ、加瀬亮の演技、ずいぶんシフトダウンしているように感じるんだよ。
別に相手役の藤谷文子が低いっていうわけじゃない。
宇宙人のマネして「ワレワレハ」ってのも、すごい違和感がある。
やっぱりこの作品と合ってないんじゃないかなぁ。
例えばレトルトカレーを魚沼産コシヒカリにかけて食べるような、って言ったらわかりやすいかな?
- 子
- う〜ん、わかり難い。
どっちがどうなのかもよくわかんないよ。
- 父
- もちろん加瀬が魚沼産コシヒカリだ。
ここは無難に引◯しのサカイが無料見積りのときに、これまたタダでくれるような“ひとめぼれ”みたいなオダギリジョー(個人的偏見御免)の方がよかったんじゃないかって思ってサ。
それに、この原作、ガブリエル・ベルっていうキレイなオネェちゃんなんだけど、ミシェルのパートナー(内縁の〜)らしいんだよ。
本来ニューヨークが舞台になっている原作を東京に置き換えただけの作品っていうから、この物語はベツに東京である必然性が皆無ってことなんだ。
ってことは、この原作の映画化は彼女へのプレゼントってことになる、と思うんだけど、どう思う?
- 子
- ベツにそれでもいいんじゃない?
父さんは「エターナル・サンシャイン」とか「恋愛睡眠のすすめ」とか観てないからそう言っているんであって、もし観ていて、監督に対する思い入れが深くなっていたら、そうは言ってなかったと思うよ。
だって、父さんは大好きなポランスキーの作品は一本残らず評価が高いからね。
作品そのものの評価よりも監督に対する思い入れだけで、すごいヒイキ目で評価するのはよくないと思うよ。
- 父
- ハハッ、こりゃマサユキに一本取られたな、まぁ、たぶんお前の言う通りだろう。
“それでも加瀬は合ってない”と思うんだが、実は原作はすごくイイと思ったんだ。
都会の狭いワンルームっていうのは当然東京的だと誰もが思うだろうし、藤谷文子が変わってゆくサマがホラーのようで、日本昔話のようでもあり、見たままで言うと江戸川乱歩だ。
東京で浮いてしまうことは沈んでしまうこととけっきょく同じことであり、奇を衒っただけの駄作でも、その場のノリでもてはやして、目紛しく流行が変化してゆく大都市はやはりニューヨークよりも東京か?なんてね、すごくリアルに東京という日本の都会を描いていると思ったのサ。
- 子
- その「思ったのサ」って東京弁なの?
- 父
- 違う、北海道弁だ。
お前は発音聞いてわかってるはずだろ。
メルド
たとえ日本企画、日本舞台のオムニバスであっても、これは久しぶりのフランス映画だ。
フランス映画ゴダール派閥(そんなもん無いけど)のレオス・カラックスだ。
主演はドニ・ラヴァンと聞けば、もう私たち世代(40歳前後)のフランス映画ファンは胸が躍るだろう。
そして今回のドニ・ラヴァンのオバケっぷりは、レオス・カラックスと共に出演している「ミスター・ロンリー(ハーモニー・コリン)」を観ている人ならば、それなりの覚悟はできていただろうし、あのイビツに歩く姿では「汚れた血(1988)」の記憶が蘇る。
そして、このドニ・ラヴァン扮する“下水道の怪人メルド(糞)”の動きにまた、同時期のある懐かしさが蘇った。
それは「追悼のざわめき(1988、松井良彦)」という日本映画。
倫理的にイロイロと問題があって、国外持ち出し、ソフト化不可能といわれた作品だが、めでたく昨年末にDVD化された名作(not迷作)だ。
ここで京都の舞踏集団“白虎社”の大須賀勇が演じていた浮浪者とメルドの動きが実によく似ている。
そこには“下水道”という共通する舞台背景もあることから、レオス・カラックスは「追悼のざわめき」を観たのでは?
というこれまた深い思い入れによる思い込みだと思う今日この頃、ゴダール派閥には他にギャスパー・ノエという“感受性を傷つける危険な”映画監督がいたことを思い出した。
しかし、ここで重要なのは「不思議惑星キン・ザ・ザ(1986、旧ソ連)」を彷彿とさせる謎の“メルド語?
”を話す弁護士とメルドの会話がある裁判のシーン。
ケロイドの傍聴者。
裁判官たちの配列セット。
これは「東京裁判」のパロディのようで、レオス・カラックスによる東京裁判史観であると考えられる。
さて、絞首刑になったはずのメルドは蘇って消えた後「次はニューヨーク」のテロップが(いちいちゴダールっぽい)。
これはある意味「ゴジラ」→「GODZILLA」に対するオマージュのようでもあるが、どちらかといえば神出鬼没のメルドは、邪悪なトコロに現れる「ダークナイト」の“ジョーカー”の存在に近いのではないか。
では、何故東京に現れるのか?
それは日本も人道支援という名目でイラク戦争に参戦しているからである。
“参戦”と見るのが国際的な常識だ。
もうひとつ、“フランス映画監督”(あえてこう言う)レオス・カラックスは、“フランス人の映画監督”リユック・ベッソンが提唱した、2010年春にパリ郊外のセーヌ川沿に出来るというハリウッドをモデルにした映画都市を歓迎しているだろうか?
いや、この作品を観る限り、それはないと思った。
フランス映画をまもってゆく一派はずっと存在し続けるのだろうと。
シェイキング東京
- 父
- なぁ、マサユキ。
今回(2008年9月現在)の農水省が三笠フーズに事故米を売っていた事件はひどいなぁ。
カビ毒に汚染されてた食品を食べた人はかなりの確立で肝臓ガンが発症するっていうから、もう最大級の無差別薬害殺人事件だ。
近年の肝臓ガンによる死亡者が西日本で圧倒的大多数を占めているのがその証拠だよ。
米粉を使った食品や酒類、餅米だけじゃなく、昼時にオフィス街の歩道で400円とかで売られてる弁当なんかも、ものすごく怪しいと思うゾ(って言うからにはそれなりの覚悟あります)!
- 子
- そんなこと、ニュースで言ってないけどホントなの?
- 父
- あぁ、こんなことはちょっとネットで調べたら、カビ毒の成分“アフラトキシンB1”の危険性、肝臓ガンの死亡率、分布図なんか簡単に見ることができるじゃないか。
もし、これがお隣の韓国だったら大暴動が起きてるくらいの事件なんだよ。
- 子
- あぁ、あれはイヤだな。
韓国のデモや暴動のニュース見ると感情的で凶暴な民族って感じでさ。
- 父
- まぁ、テレビのニュースは確かにそういう部分だけクローズアップして、あえて嫌な感じで映してるがな、あれは日本人が政府に反抗しないようにアメリカと政府がマスコミを使って操作しているだけなんだ。
でもほとんどの人は真っ当に抗議しているんだよ。
過激なのはごく一部なんだ。
向こうの人達は日本人みたくテレビや新聞も適当に見るけど、もともと日本以上に情報統制されているから、ホントのことは自力で探って伝え合って、必要があれば決起する。
アメリカ牛の輸入問題でも、アメリカ牛の何が危険なのかちゃんとわかってるから抗議するし、スクリーンクォーター制(国内映画の上映期間の規定を半分に)縮小問題では映画監督から映画スターまでもがデモに参加してたんだ。
市民のデモが国を動かすことだってあるんだ。
- 子
- 韓国もイロイロたいへんなんだね。
- 父
- そうなんだ、日本と同じようにアメリカから無理難題をイロイロと要求されてたいへんなんだ。
だから地図上でアメリカと韓国との間にある日本がアメリカの要求を簡単に受入れたり、国民が何も騒がないのを韓国の人は冷静な目で見て、不思議に思っているんじゃないかな。
ポン・ジュノ監督はこの作品でそれを言っているんだよ。
- 子
- “引きこもり”がテーマじゃないの?
- 父
- そうだ“引きこもり”がテーマだ。
“引きこもり”っていうのは日本の恥部みたいなものだ。
それを外国の映画監督にテーマとして使われるなんて恥ずかしいと思わないか?
- 子
- そうだね。
できればフタをしておきたい部分だよね。
- 父
- うん、でもポン・ジュノのすごいところはそんなもんじゃないんだ。
日本人にとってはごく一部の“引きこもり”なんだけど、ポン・ジュノは日本人全部が“引きこもり”だって言っているんだよ。
- 子
- え〜っ、ボクたちも?
- 父
- そうだ。
国民の生活を脅かす問題がいっぱいあるのに、誰も本気で騒がないのは“引きこもり”といっしょだって言っているのサ。
単純に誰もいなくなった街のシーンを見てそう言ってるんじゃなくてね。
- 子
- あぁ、あのシーンカッコよかったねぇ。
「バニラ・スカイ(2001、トム・クルーズ)」のイントロみたいだったねぇ。
香川照之だけど。
- 父
- あの香川照之の家の中が日本のすべてなんだ。
日本は昔から技術力に優れているということを、ゴミまでもが整然と並べられた室内を見て、蒼井優の「ここはホント完璧」というセリフが物語っているだろう。
蒼井優、好きだな。
それは関係ないけどネ。
香川照之の家の中に、入ることの出来ない“父”の部屋があるだろう。
- 子
- あぁ、毎月千円札で生活費を送って来てくれるのがお父さんだよね。
部屋があるのにそこには住んでいないんだよね?
- 父
- うん、ちょっとわかり難いけど、国内にあって入ることが出来ない場所といえば米軍基地だ。
日本にあって、そこはアメリカ領だからな。
けっきょく今の日本はアメリカ本国によって飼われているということなんだよ。
- 子
- なるほど、そこまで読みますか…。
- 父
- 実際そうだからな。
「殺人の追憶」、「グエムルー漢江の怪物ー」、「南極日誌(の脚本、2005、イム・ピルソン監督)」なんかはゴリゴリの政治映画だから、ポン・ジュノは東京が“引きこもり”と“地震”の多いところだなんて浅い認識では見ていないはずだ。
- 子
- でも、“シェイキング”って地震のことじゃないの?
- 父
- 確かに、地震とか、心が揺れるとか、そういう意味で観たままでもいいと思うんだけど、それではあまりにもトンチが利いてないだろう。
でも、ここはポン・ジュノだ。
揺らしているのはポン・ジュノ本人なんだよ。
- 子
- じゃぁポン・ジュノは日本が嫌いだっていうこと?
- 父
- 違うよ、たぶん大好きだろう。
そりゃぁ昔から日本人のことが嫌いな韓国人も多いだろうけど、今は仲良くしようとする時代の流れにある。
好きになる方が幸せだからね。
それが最後に示されているだろう。
- 子
- LOVE ?
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