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2015年02月04日(Wed)

ジミー 野を駆ける伝説 強制起訴シリーズ

起訴者: 元店主

強制起訴シリーズ50弾

1930年代、独立戦争とそれに続く内戦を経たアイルランドにジミーが帰ってきた。彼は10年前に、カトリックの支配が強い同地で、自分たちで自由な討論をし、勉強をし、それを若いものに伝え、みんなで歌って踊れる集会所を作ったために、弾圧を受け、国外に逃亡していたのだ。年老いた母親の面倒をみるために、静かにひっそり暮らす決意を胸に帰ってきたジミー。しかし、未だ強いカトリックの支配下で自由を求める若者たちに請われ、また集会所を作る決意をする・・・。 いまだ意気軒昂、バリバリ左翼監督であるケン・ローチの新作!

ヤマネ
地味な映画でしたけど、地味にいい感じでしたね、ジミー。
マツヤマ
ああ、オレもしみじみーと楽しめたよ。しみじみー、と感動。
元店主
・・・あの、お二人ともそれはどこまで本気で言ってるんでしょうか。単に駄洒落を言いたいだけ、とか?
ヤマネ
失礼な!本気に決まってるじゃないですか!そんな、駄洒落になってるなんて気がつきませんでしたよ!ぷんぷん!ねぇ、マツヤマさん。
マツヤマ
あ、あぁ・・・まぁ、な・・・(汗)。
ヤマネ
だいたいケンタロウさん、今回の強制起訴がケン・ローチって変じゃないですか?だってケンタロウさんはケン・ローチのファンでしょ。別に強制する必要ないんじゃないですか。
元店主
いや、そうなんだけど・・・でも、私は2000年の「ブレッド&ローズ」以来、ケン・ローチは一本も観てないんだよ。確かに彼の映画は面白いんだけど・・・なんつーか、まぁ、ワンパターンでしょ。スタイルがある、ともいえるけど。社会的弱者や虐げられた者たちをリアリズムで描く。故に、重いし、いっつも結末は仄かに悲惨な感じだし・・・なんか、映画でこんなの観るの、ちょっと辛いなー、とか思う様になってきていて。歳とともに。映画ではもっと、パーッとバカみたいなのが観たいなー、とか。んで、自然とケン・ローチから遠ざかっちゃったから・・・やっぱここはひとつ強制しよう!と。
マツヤマ
なるほどな。でも、今回のは結構明るくなかったか?
元店主
そうなんですよ!私も10年振り以上にケン・ローチを観て・・・やっぱ全然変わってないわー、と思う反面、こんなに明るかったっけ?とも思いました。
ヤマネ
全編に音楽とダンスが鏤められているからじゃないですか。楽しい音楽ばっかりだったでしょ。ダンスもみんな楽しそうだし。ジミーと元カノのダンスとかはどうでも良かったですけどー。
マツヤマ
オレはジミーが蓄音機を取り出して、みんなの前でニューヨークの最新ダンスを披露するシーンが好き。田舎もんが都会仕込みのダンスを披露する・・・という、なんともダサクてこそばゆい感覚が最高だった。オレも子供の頃は北海道の片田舎に住んでたんだけど、札幌のディスコ帰りの先輩の一挙手一投足に釘付けだったもんな・・・(遠い眼)。
元店主
あの演奏、ダンスも含めて全部ライブらしいですよ。それがまた、リアル感に繋がってるんですよね。・・・それはともかく、ラストなんか結局ジミーは負けた訳だし、けっこう悲惨な結末とも言える訳ですが・・・なんか不思議と明るい。あれはなんなんでしょうね。
マツヤマ
うーん、追放されるジミーを、子供たちが自転車でわーっと追いかけてくるからかな。次世代へと、しっかりジミーの意志が受け継がれた、というのが救いになってる、とか。
ヤマネ
でもね、あの終わり方「今を生きる」と同じなんですよ。追放されるロビン・ウィリアムスを、子供たちがわーっと見送りにくる・・・と。でも、なんか悲壮感漂うんですよ、「今を生きる」。やっぱロビン・ウィリアムスが自殺したからですかね。
マツヤマ
それ、映画と関係ないだろ!・・・まぁ、ケン・ローチも歳を取って、良い意味で力が抜けてきたんじゃないか。達観した、ともいえるが。
元店主
つまり、老人力ですね!良い意味で多幸感に溢れてるのかもしれませんね、本人が。いい歳のとり方です。
マツヤマ
にしても、ジミ−はカッコ良かったよな。ジミーの演説が人の心を掴む、とか言っても、「オール・ザ・キングスメン」のヒューイ・ロングみたいなガンガン大衆を惹き付け煽っていくタイプではなく、仲間たちの前でチョロッと地味に話すだけ。でも、そこに誠実さが溢れていて、いい感じなんだよなー。
ヤマネ
そうですよね!特にカリスマ性がある訳でもなく、政治的立ち回りが上手い訳でもなく、押しが強い訳でもない。ただ、凄く気持ちいい。結局みんな、ジミーの人柄に惚れてるんですよ。敵であるシェリダン神父でさえ。・・・実はボク、シェリダン神父が一番好きです。狡くて、人間臭くて、でも正直で・・・ジミーの好敵手って感じ。
マツヤマ
へー、そうなのか。確かにジミーも、一見ジミーたちに理解がある態度を示すシーマス神父よりシェリダン神父の方が好きだ、と言っていたな。彼には信念がある、と。好敵手感が溢れてたな。
ヤマネ
そうなんす!あそこ、猛烈に感動しました。彼らはお互いに認め合っているんですよ。でも、決定的に立場が違う。
元店主
うん・・・私もそれはそうだと思うんだけど・・・でも、ちょっとそこらに違和感が残るんだ。そもそも、完全に対立・衝突する立場及び考えの人間の事を、本当に好きになったり認めたりできるもんだろうか?
ヤマネ
えー、でも、政治的な妥協から、つまりは内心は軽蔑しながらも、表面上はこちらの立場に理解を示すシーマス神父よりは、自分の信念に基づいて徹底的にこちらにぶつかってくるシェリダン神父の方が、ジミーと似てますよ。だから、お互いが相手の中に自分と似たものを観て、認め合うんじゃないですかね。
元店主
それはわかるよ。実際、ジミーがシーマス神父よりシェリダン神父の方が好き、と言ったのは嘘ではないと思う。でもそれはあくまで相対的な話であってさ。ジミーのそのセリフの後に(前、だったか?)、追放されるジミーを罵倒する人々に対して「彼に敬意を払え!」と一喝するシェリダン神父のセリフがあるじゃない。あれと対応させて、二人は好敵手だったんだよー、と示すための演出なんじゃないかと。
ヤマネ
そりゃ、演出でしょう。 ケン・ローチがそう示したかった、という事じゃないですか。
元店主
まぁ、ね。むろん演出は演出でいいんだけど、私はそこに多少のあざとさを感じた訳。気にする程じゃないかもしれないけど・・・。私的にはシーマス神父の方がマシの様な気がする。信念の人はややこしいよ。宗教の上でも政治の上でも。
ヤマネ
「イスラム国」とかですか? いや、でもジミーは所謂左翼の頑迷さから自由でしたよね。信念はあったと思うけど・・・。
元店主
だから、「人間は・世の中は、こうあるべき」という決めつけが良くないんだと思う。「こうあった方がいいんじゃないか」という理想・信念を持つのは良いと思うし、そのために邁進するのもいいと思うけど、決めつけちゃうとねぇ・・・。そこらへん、やっぱシェリダン神父は柔軟さに欠ける。多少は揺すぶられてたけど・・・自由な心を持ったジミーとは大違いだと思うよ。
マツヤマ
結局、ケン・ローチは左翼だからさ、宗教が大嫌いなんだよ!でもバランスをとる事を知っている。これが、彼が長く映画を撮り続ける事のできる秘訣じゃないか。左翼である前に、優れた映画作家だ、という訳だ。
ヤマネ
うまくまとめましたね、マツヤマさん。バランスをとる事を知っていますね。
マツヤマ
まぁ、それがオレが長くカット屋を続けられる秘訣だ。それはともかく・・・オレはジミーの母親が良かったよ。鍵を隠すとこなんてお茶目だろ。ジミーも母親の事をいつも気遣ってるし・・・ちょい泣けるよな。
元店主
役者がみんな良かったですよね。観たことない人ばっかりで。でも、忘れられた活動家ジミーの映画を撮るなら、このやり方は大正解でしょう。あんまり知らない俳優。派手さのない淡々とした描写。地味ながら美しい映像・・・むかしはこんな映画、けっこう観てた気がするんですが、最近では久しぶりで、なんとなく懐かしくてとっても良かったです。
ヤマネ
・・・・実は、ボクもそうなんすよねー・・・、というか、正直言ってなんか前半とかなかなか乗れなくて、もしかしてこの手の映画を楽しめなくなってしまったのか!と焦ったんですが、後半になって俄然のってきて、とても楽しめたんで良かったっす。んー、ハリウッドに洗脳されてるわー。
マツヤマ
それは分かる。オレも最初は多少たじろいだ。でも観て凄く良かったし。だから、強制されて良かったじゃないか。強制起訴シリーズも、幸先のいいスタートだな。と、言う訳で、二月のお題は「フォックスキャッチャー」だ!
ヤマネ
お、レスリングの話ですね。そういえば、今回のケン・ローチ作品にはサッカーが出て来なかったな・・・残念。って、関係ないか!ではまた、次回!

Comments

投稿者 uno : 2015年02月06日 21:55

こんばんは。
すっごい良かったです。
まずアイルランドの色彩にグッときました。美しい色をした作品ですね。エンドロールで何やらフィルムに関する記載があったのでフィルムで撮影されたのかな?って思ったら、どうもケン・ローチは今もフィルムで撮影をしているようです。
「麦の穂をゆらす風」もアイルランドの映像が凄く美しかったのを思い出しました。

アイルランド民謡に合わせてダンスをするシーンにグッときました。ステップ!ノーザンソウルの源流を見たような気持ち。”Heart Of Soul”って映画の中のセリフにあったのですが、まさにその通り!音楽とダンスは庶民の最高の娯楽。それをぶっ潰そうだなんて許せない!そして今の日本にも同じことが起きている憤り。

鼎談でも元店主さんが言われていますが、シェリダン神父にめっちゃ違和感を感じました。最後の「彼に敬意を払え!」です。えー!そりゃないぜ!
その前に懺悔室でシェリダン神父がジミーから「あなたには愛よりも憎しみの方が多い」的なことを言われ悩む姿。自宅の部屋で黒人女性のボーカルを聴いて素晴らしいと語る姿。そこまではシェリダン神父にグッときてたのですが。
シェリダン神父に葛藤があるのは分かります。でも「彼に敬意を払え!」にはあざとさを感じました。すごく難しい場面ですし、ケン・ローチが明確な意図をもってした演出だとは思いますが、やっぱり好きになれない。
で、あの場面どうなんだろう?ジミーに対して恥ずかしくて何も言えないんじゃないのかなあ、など色々と考えていたのですが、この文章を書きながら、宗教、保身を選んだ頑固爺さんのジミーに対する最後の強がりと葛藤を表現しているように思えてきて、味わい深い。。。(どっちやねん)
まるでボウモアのスモーキーな香りを彷彿とさせる無骨さ。こちらはスコットランドですね。ハイボール下さい。

すっとぼけたようで実にクールなジミーの母親が最高でしたね!警官の子供時代に移動図書館で本を届けていたエピソードの光景が目に浮かびます。

つくづく良い映画だと思いました。

投稿者 元店主 : 2015年02月07日 03:23

うのぴまで最後のシーンに違和感を感じていたとは。
でも、そうなんだよねー。やっぱあそこはわざとらしい。
私としては、シェリダン神父が「憎しみをもって人を罵ってはならない」ぐらいの感じで人々を諌める・・・といった感じなら良かったと思うんだけど。「彼に敬意を払え!」はねぇ・・・。

音楽もダンスも良かったね。アイルランドの風景も美しかった。ジミーの元カノが被ってた帽子がトモコの持ってるやつと同じだったんで、個人的にはそんなとこにもうけたけど。

ハイボール飲みに来て下さい。

投稿者 オーソン : 2015年02月09日 23:20

うん、いい映画でした。ジミーが魅力的でした。自由に何かを表現できる場所をめぐる戦いっていう主題も良かったです。(ちょっと違いますが)数年前にみた『ハンナ・アーレント』を思い出しました。当時のホールによるダンスや歌っていうのを現代日本を舞台に表現するなら、何になるのかなあと考えたりしています。

投稿者 元店主 : 2015年02月10日 13:49

自由を巡る闘い、という事になれば、政治的な側面と宗教的な側面がクローズアップされる訳だけれど、この映画でも、むろん政治的な保守派・ファシスト・資本家層との闘いは描かれていたけれど、やっぱシェリダン神父を通して、宗教的な闘いの方に重点が置かれていたと思う。で、オーソンはシェリダン神父はどーなのよ?

投稿者 オーソン : 2015年02月11日 13:19

シェリダン神父の最後の台詞はたしかに違和感を感じましたね。あの場面では何もしゃべらせず、部屋に戻ってひとりきりになったときにホールで流れていたような音楽を椅子に座りながら聴く。そのとき、足元では音楽にあわせて軽くステップを踏む。みたいな感じのほうが納得しやすかったかもしれません。
ケン・ローチ的にはファシズムこそが何よりも脅威なんだという事をとにかく(わかりやすく)言いたかったのだろうと思いました。
(最後のシーンを除いて)僕はシェリダン神父は、凝り固まった信念があるがゆえに、自分の感情に正直になれない哀れな老人だと考えてました。

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