利休にたずねよ []
海老蔵が利休を演ずるというので話題になってる作品。まぁ、はっきり言って映画的にはダメだけど、面白い所がない訳ではない。というか、海老蔵が利休を演じるだけで十分面白いというか、なんというか・・・。
うーん、今の邦画界で時代劇なんて撮るのもう無理なのかなぁ。だってみんな、もの凄く不自然。おままごとにしか見えないんだもの。そんな中で、さすが海老蔵はそんな事は全くない。かといって自然という訳でもないんだけれど、なんつーか異形な感じ。素人演芸会の中でひとり新作歌舞伎をやってるみたいで、かなり可笑しかった。いやー、いい感じです。
この作品の何がダメって、まず映像が美しくない。一所懸命美しく撮ろう!という気持ちだけは伝わってくるけど、所詮テレビ的な美しさで、まるでハイビジョンの美しい四季〜みたいな番組風というか、つまりは“美”とは無縁の映像。それに説明的なセリフが多い。「あれは本物の涙だわ」とかさぁ・・・それを映像で表現するのが映画なんだけど、そういった基本的な事が分かってない。あるいは、出来てない。「まどマギ」の爪の垢でも煎じて楽焼きの茶碗で飲んだら?とか言いたくなります。
ストーリーもねぇ・・・。まぁ、後半の展開はちょっと面白い。それは良かったんだけど、全体で観て、秀吉の描き方がねぇ。確か勅使河原が撮った「利休」でもそうだったけど、秀吉が単なる俗物のしょーもない奴、みたいな描き方をされている。そうやって利休を引き立ててるつもりかもしれないけれど、それはちょっと違うと思う。いや、実在した秀吉や利休がどうこういってる訳じゃないですよ。単純にフョクションとして弱い、という事。
だって秀吉は利休の最大の保護者であり、ライバルだった訳じゃないですか。秀吉が居なければ、利休はあそこまでの存在になれなかった訳で、となれば、秀吉の偉大さを描かなければ、利休の凄さも引き立たないと思うのです。実際、勅使河原の作品でも、今回の作品でも、利休の凄さは一向に伝わってきませんでした。まぁ、海老蔵の凄さは多少伝わってきましたが。
多分、制作者たちは秀吉の偉大さが分からないんでしょうね。秀吉の偉大さは、行動の人としてのそれで、例えばアレキサンダー大王とかナポレオンの様なタイプのものですが、それが分からない。そこがこの作品の度し難い文学趣味で、最大の欠点でしょう。
それにしても、こういった人たちは信長が好きですね。この映画でも、信長と利休の結びつきをよく描こうとしています。しかし、実際は利休を茶頭に取り上げたのは秀吉なのだし、信長は今井宗久とかの堺の大商人連中の方を高く評価していたのだから、ここらに捻れを感じます。信長にはこういった人たちの文学趣味に訴える所があるんでしょうね。が、秀吉だからこそ、利休の真の価値を見抜き、抜擢し、育て上げる事ができた。その事を描いた映画が、いつか観たいなぁ。
あとこの映画は團十郎が出ています。いやー、良かった。相変わらず演技は下手だったけど、海老蔵との親子競演ではほのぼの〜とした気配が漂っていて、嬉しくなりました。それだけでも、観る価値があるかな。
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