魔法少女 まどか★マギカ[新編]叛逆の物語【part 2 of 2】 [強制起訴シリーズ]
起訴者:元店主
強制起訴シリーズ35弾【part 2 of 2】
あまりに議論が白熱したんで、強制起訴シリーズ初の2回分載となったこの鼎談。前回の続き。むろん、今回も「ネタバレあり!」なので、まだ映画を未見の方は読まないでください。
注意! ネタバレあり!
- ヤマネ
- ボクとしては「前作より今作の方が好きかも」というケンタロウさんの意見に拘りたいですね。そんな人、珍しくないですか?前作に較べて、どこらが良かったんですか?
- 元店主
- まぁ、作品としてのクオリティ云々とかいうとまた別なんだろうけど、あくまで現時点での個人的な好き嫌いね。確かにお話の緊密さとか完成度では前作に敵わないんだけど・・・なんというか、空気感がいいんだよね、今作は。 前作は、全体に漂う雰囲気が残酷というか、悲愴なものがあって、むろんそれはそれで凄くいいんだけど、今作は・・・なんか懐かしーい感じが漂ってるのね、全体に。ここではないどこか、の空気が充満してる。それが、いい!タルホの「地上とは思い出ならずや」という言葉を何度も思い出したよ。
- マツヤマ
- まぁ、今作はほとんどが幻想の見滝原市が舞台だから、終始幻想的な雰囲気はあったな。オレとしては、映画の「ヴァニラスカイ」を思い出したんだけど。
- ヤマネ
- ボクは「ビューティフルドリーマー」ですかねー。幻想の見滝原市に閉じ込められてまったり日常を送ってるとことか、バスに乗っても外に出られなくて街の中をグルグル廻るとことか。ボク、ループもんが好きなんですよー。だから前作はもうドンピシャだった。ループものは数多くあれど、あのループの抜け方は画期的だと思いましたねー。今作も、ループ感がある所は好きですかね。
- 元店主
- ほむらちゃんと杏子ちゃんがバスに乗って、二人の髪が風に嬲られてて、あり得ない角度で多くの橋をくぐっていって・・・とか、あんなシーンがたまらない。
- ヤマネ
- あ、あそこメチャメチャかっこ良かったですね!あのもの凄い円橋を太陽をバックにバスが渡ってくるシーンとか、しびれたなぁ。
- 元店主
- それとか、ほむらちゃんがゴンドラに乗って「世界はひとつ」みたいに川を経巡るとことか、空にたくさんの飛行船が飛んでるとことか、人形みたいな子供が走り回ってるとことか、バスが燃えるとことか・・・。音楽もいいし・・・、あぁ、たまらん。もういつまでもあの映像世界に浸っていたい・・・、と思わせるものがある。今回は映画館で観てるのも大きいかも。前作はパソコンの小さな画面で観たからなぁ。
- ヤマネ
- 要するに劇団イヌカレー(泥犬含む)ですね、ケンタロウさんが好きなのは!確かに、今作のイヌカレーは凄かったですねー。あれはアニメの映像表現として突出してると思いますよ。
- 元店主
- いや、アニメに限らず実写ものを含めても、映像表現として突出してると思う。例えば人間が別の存在になる、というのを表現するのに、今作ほどのレベルに達しているものはそうそうないと思うよ。今作のほむらちゃんが魔女になるシーンは・・・何度観てもカッコ良さに震える。
- マツヤマ
- 音楽はオープニングテーマ、エンディングテーマ、劇伴、全ていいよな。あと、確かにイヌカレーの美意識には惚れ惚れするし、映像表現もすごいかっこよくて感心するけれど・・・、でもオレはちょっと気になる所もあるんだ。ほむらちゃんが救済に来たまどかを引き千切るところ。あそこなぁ、なんかシラケる。
- ヤマネ
- ええー!そうですかー。結構かっこいいじゃないですか、あそこ。画面全体がガラスの様にビシバシひびが入って。それで世界に亀裂が入った事を表現してるんですよ。
- マツヤマ
- わかるよ。でも、まどかは円環の理じゃないか。なんか、それがあんな風に引き千切られるのって、おかしくない?
- 元店主
- むむー、円環の理が無理矢理改変された、というのを象徴的に、アニメ的に表現してるという事なんですが・・・
- マツヤマ
- わかってる、わかってるって、それは。頭では分かるんだよ、でも、その直前まであがってた気持ちが、あそこでガクッと萎えちゃうんだよ。うーん、これはどうしようもないなー。もうちょっと他の表現方法はなかったのかと、思っちゃうんだよ。
- 元店主
- わかりました。“円環の理”という人間とは違うレベルの存在になったのに、人間の様に描かれるのが納得できない、という事ですね。それは・・・わかります。例えばミルトンの「失楽園」とか読むと、叛逆天使としての悪魔はある意味人間臭くてすごーく魅力的なんですが、全知全能の神様ってちっとも魅力的じゃないんですよ。何でも分かってて、何でもできる、という爺さんなんて、なんかヤな奴なんです(笑)。やっぱ人間を超えた存在を擬人化するのは無理がある。まどかが人間を超えた存在になる、その事によって解決がもたらされる、という前作の肝をシビアに捉えたら、やっぱあの表現はおかしいかもしれませんね。やはり、今作は前作とは別物・・・と考えるべきかもしれません。
- ヤマネ
- それはこの作品をどう捉えるか、という問題だと思うんです。神話的に、お伽噺的に捉えるのか、SF的に捉えるのか。マツヤマさんはSF的に捉えてるんじゃないですか。だから気になる。論理的におかしい、と。でも、それならもっと他の事は気にならないんですか。魔法の存在とか。
- マツヤマ
- いや、それは気にならない。だって魔法少女の話だし・・・って、あれ、やっぱおかしいのかなぁ。ううむ、オレが混乱してるのか・・・。
- 元店主
- いえいえ、この作品はよく考えられていますが、やはり強引な所も多いし、様々な矛盾や綻びがギシギシ音を立ててる所はあると思います。それを力で押さえ込んでる所がある。でも、それがこの作品の魅力でもあると、私は思っているんですけどね。
★
- マツヤマ
- ところでオレはキュウべえ=竹中平蔵説を唱えてるんだけど。
- ヤマネ
- 出た!マツヤマさんの深読み!・・・でも、それは分かりやすいですね。確かにキュウべえは新自由主義の権化みたいな存在ではありますから。
- マツヤマ
- いや、それだけじゃなくて、顔も似てるだろ?
- ヤマネ
- 似てません!
- 元店主
- そういえば名前も似てるかな?キューベーとヘーゾー。
- マツヤマ
- それは似てないだろ!・・・いや、みんな結構キュウべえは言ってる事は正しい、とか言うだろ。非情だけど論理的に正しい、とか。でもキュウべえの正しさって、ネオリベ的な正しさに過ぎないんだよ。感情とか、尊厳とか、そういった数値化できないものを無視、あるいは無理矢理数値化する事によって成り立ってる“正しさ”な訳で。まぁ、キュウべえは自分の事を人類なんかよりずっと上の存在と思ってるから、人間の事を資源=家畜とみなす事になんの抵抗もない訳だけど、いまや(人間)世界の支配層も自分たちを下々の人間たちより高級な存在だと考えている訳で、それゆえのネオリベな訳だ。魔法少女契約っていうのは、相手の同意を得たという形で、ネオリベ的な論理を押し付けるためのもの。そうやって今や世界は支配されてるんだからさ、真に闘うべき相手は魔女や魔獣ではなく、このシステムなんだよ。
- 元店主
- なるほど、前作でその事に気がついて、真の敵であるシステムに闘いを挑んだのがまどかである、と。確かに魔女を相手にしてる限り、この悪循環から逃げ出せませんからね。で、今作ではそのシステムに対する闘いを敢行したのがほむらちゃん。結局、この二人だけなんですね、真の敵をみつけ、闘い、世界を変更する事ができたのは。
- マツヤマ
- そういう事になるかな。そういった意味で、今作は前作と対になるというか、やはりちゃんとした続編とみなしていいと思う。少なくとも、話を前に進めたよな。
- ヤマネ
- うーん、やっぱ一番の悪はキュウべえだったんですね!今回も、前半でずーっとぶりっ子してるのが、こいつ!!!って感じでしたもんね。「きゅうー」とか言ったりして。
- マツヤマ
- でもオレ、キュウべえが言葉を喋り出した瞬間、鳥肌が立ったんだよ。「真実なんて知りたくもないはずなのに・・・」ってとこ。考えてみれば、前作でも、キュウべえが喋る度にゾクッときてたんだよな。
- 元店主
- それは、やっぱ気持ち悪い、と?
- マツヤマ
- いやいや、そうじゃない。オレ、キュウべえの声は結構好きなんだよ。なんというか・・・やっぱ人間の弱い部分に確実に触れてくるものがあるのかなぁ・・・。
- ヤマネ
- マツヤマさん、それヘーゾー萌えですよ。
- マツヤマ
- 違うよ!なんでヘーゾーなんだよ!オレはあいつが世界で一番嫌いだよ!
- ヤマネ
- きゅう・・・。
★
- マツヤマ
- ところでこの映画、賛否両論色々あるだろうけど、世間的にはどうなんだろうな?
- ヤマネ
- おおむね、好評みたいですよ。だって大ヒットでしょう。深夜アニメの劇場版としては、これまでは「けいおん!」の19億円が最高記録だったらしいんですが、これを軽く超えそうな勢いらしいです。
- 元店主
- ほー、凄い。じゃ、これでさらに続きは作られるな。楽しみ♪
- ヤマネ
- そうですか?ボクはもう、ここらで止めておいた方がいいと思いますよ。今回はアクロバチックな技で切り抜けましたけど・・・それがあんまり続くと、シラケるんですよね、どうしても。
- マツヤマ
- まぁ、わかるけど。やってみないと分からないじゃないか。もしかしたら、もの凄い傑作が作られるかもしれないし。信じて、願うことが大切だよ。だって、魔法少女は夢と希望を叶えるんだろ?
- 元店主
- 今回、ほむらちゃんを動かしたのは、無論まどかへの愛な訳ですが、別な面から考えると、それは「まどマギ」ファンの祈りだったとも考えられる訳です。まどかは魔法少女を救う事で、「まどマギ」の世界をいったん終わらせた訳ですが、ファンはもっと続きが観たいと思った。これはファンの“欲望”であり、“エロス”であり、“愛”な訳ですが、これをほむらちゃんは受け止め、その祈りを叶える形で「まどマギ」世界を改変し、再生させた訳です。だからこれからは、まどかvsほむら、という形だけでなく、作品vsファン、という形での壮大な闘いが行われるとみていい訳ですよ。アニメというのは、その戦場として相応しいかもしれませんね。
- ヤマネ
- なるほど。じゃあ、ケンタロウさんもこれから闘いの場をアニメの世界に移す、と?
- 元店主
- いやいや、それは、ない。アニメもいいけど・・・やっぱ実写もんが好きかなー。で、次の課題映画は・・・「キャリー」か。みんな観ました?
- マツヤマ&ヤマネ
- むろん、観たよ。
- 元店主
- はやいですねー、私はまだなんで・・・ま、来週もう一回「まどマギ」観てから、それで時間が余ったら観るか・・・。
- マツヤマ
- ゴチャゴチャ言っとらんと、「キャリー」はよ観んかい!
- ヤマネ
- やっぱ「まどマギ」にはまりすぎ!
- 元店主
- キュップイ!
Comments
投稿者 uno : 2013年11月26日 21:08
こんばんは。
テレビ版から映画[新編]と続けざまに見ました。(映画2回目を見たところ)
すごい!すごすぎる!!!
映画を見た直後に私の頭に浮かんだのが
「これは少女達が描く曼荼羅ではないか!」
曼荼羅が何かよく分かってないんですが、兎に角スケールがデカい!
宇宙的とさえ感じます。あ、宇宙の法則が変わってるやん。
今のところ、私は映画版のスケールの大きさに圧倒されており、映画版最高!な状態です。
まずはじめに、”ピュエラ・マギ・ホーリー・クインテット”は今年の3大私的「ホーリー」に認定されました。
後の2つは、ホーリー・マウンテン、ホーリー・モーターズ。
すなわち最高にイカしてます!
チャーミングに魔獣を倒す姿がバチグンに格好良いではないですか。
この映画は、まどかに対するほむらの愛の物語と捉えています。
鼎談Part1の元店主さんによる「愛 エロス」は実に参考になりました。
TV版の最初から、ほむらがまどかを魔法少女にしないように戦い続けたのは、ほむらの愛(エロス)だったのかと、映画版の最終局面で気づきました。ほむらはまどかが円環の理となって実在しない存在となり、まどかを独り占めする事が出来なくなることに耐えられない。
ほむらは全て分かっている。色んな時空を渡り歩き、その度にまどかに会ってますます愛してしまう。
そして孤独の深い所に落ち込んでいく。
泣ける。泣けすぎる。。。
映画の最終局面で円環の理のまどかをほむらが2つに引き裂く場面。
私はあの場面があるからこそ、映画版が傑作になったと思っています。
まどかが形式上人間の姿をしていることは、私には全然気にならなかった。
ほぼ悪魔となって円環の理のまどかと同列の力、というか法則となったほむらが、自己の愛を完結させようと、まどかの存在した事実自体を自分一人のものにする為に円環の理のまどかを”存在”と”宇宙の法則”に切り分ける。そして他の魔法少女の中からまどかの記憶を消していく。
ほむらちゃん。。。
泣ける。泣けすぎる。。。
ほむらが作った架空の見滝原市に魔法少女がいます。
映画パンフレットの虚淵さんによると、魔女に倒されたマミと杏子は死んでいないことになって、魔獣の世界から引っ張られてきた。そして円環の理に連れていかれたさやかとベベは円環の理から連れてこられた。
最初見た時には理解出来なくて。
ではまどかはなんなのか?映画を見ている時はまどかはほむらの作った虚構の存在だと思っていました。しかし、パンフレットで新房さんが、見滝原市のまどかは「決して偽物やつくりものじゃない」と言っています。おおーそうなんか!
円環の理となったまどかが、記憶を置いてきた実存するまどかを、ほむらの中の見滝原市に送りほむらを救済しようとした。
まどかの愛はアガペーであると。
例えそれがほむらが悪魔になるということが分かっていたとしても。
今はそのように考えています。
自分としては円環の理のまどかが引き裂かれることと繋がっています。
私はほむらちゃん推しです。そんなのこのコメント読めば分かるってね。
そして私はTV版第1話でほむらがキュウべえを追う場面を思い出し今日も涙を流すのです。
では新たな発見をする為に3回目を見に行きます。
キュップイ!
投稿者 元店主 : 2013年11月27日 16:59
うのぴへ
ほむほむ推しなら最高だよね、この映画!
だってもう、完全にほむらちゃんの映画なんだもの、これ。
「わたしね、知ってるんだよ」というほむらちゃんのセリフがポイントだな。あのシーン、何度観ても泣ける。胸にグッグッグーとくるよ。もう、たまらん。
前作でまどかの事を知っている唯一の存在となり、死の寸前までその重い事実を抱えながら魔獣と闘い続けたほむらちゃん。そのまま彼女は死を迎えるはずだったんだけど、キュウべえの策略で死の寸前で止められてしまったがために、彼女の気持ちは人間として耐えられる限界を突破してしまった。それ故に彼女は幻想の見滝原市を作ってまどかも召喚したんだけど、それさえもいったんは諦めて、まどかのために絶望の渕に沈もうとした。が、そこを魔法少女みんなの協力と、まどかの慈悲によって救われそうになったがために、皮肉ながら、ほむらちゃんは完全に覚醒しちゃったんだよね、自分の真の欲望=エロス=愛に。
それで今度は幻想ではなく、本当にまどかの居る世界を再創造した訳だ。たとえ悪魔に成り果てて、みんなに忌み嫌われようと、いずれまどかの敵になり、まどかに滅ぼされる事になろうと、まどかの居る世界を望んだほむらちゃん。「わたしね、知ってるんだよ」。な、泣ける・・・。
うのぴはあんまり映像の事に触れてないけど(魔法少女のナイトメア退治、魔獣じゃないよ、には反応してるみたいだけど)、映像がまた素晴らしい映画なので、3回目は特に映像に注目すればいいんじゃないかな。
むろん、音楽もね。
投稿者 uno : 2013年11月30日 23:09
元店主さん
3回目を見てきました。
今回はゆったりと映像と音楽を楽しんでやるぞ、と映画館に向かいました。
しかしオープニングですでに半泣き。。。
後半の怒濤の展開には全く余裕がなく振り落とされないよう必死。。。
ほむらの「わたしね、知ってるんだよ」の場面は、まどかがほむらの髪を編んでるのが切なくて。
胸にグッグッグーときますよね。泣きますよ、そりゃ。
3度目で思ったのですが、円環の理のまどかを2つに引き裂き、ほむらが悪魔となった世界では、もはや魔法少女は存在しない。
さやかもほむらを憎むことは忘れないにしても、魔法少女だったという事実を忘れ去る。
これって一見、インキュベーターによって作られた魔法少女のシステム以前に戻ることになるんですよね。
ほむらが魔法少女の存在を消し去った。そのことの善し悪しは分からない。
でもほむらはTV版の時から一貫して魔法少女であることの悲惨さを訴えていて、インキュベーターによるシステムに抗ってきた。
ほむらが悪魔になることで全ての魔法少女が救われるとほむらは考えた。ほむらは全て分かって行動していたのではないのかと。いや、でもやっぱりまどかに対する愛の結果なのか?うーむ。
ほむらはインキュベーターを利用するようなことを言っていたし。。。
ほむらは「悪」になるのかどうなのか???
あとTV版のオープニング「コネクト」で2人のまどかが出てくるのが、映画版の2人のまどかに引き裂かれる場面とリンクするんですよね。色々と考えるのが面白い。
今回も映像と音楽に関するコメントをしてませんが、十分楽しんでますよ!
キュップイ!
投稿者 元店主 : 2013年11月30日 23:48
うのぴへ
おー、3回目観てきたか。よしよし。ところで・・・
ほむらちゃんが再編した世界に魔法少女が居ない?なんでぇ?(←杏子ちゃん風に)
私の記憶では確かさやかちゃんの指の爪に魔法少女の印がついていたぞ。
それにさやかちゃんが「あんたこの世界を壊すつもり!」とかなんとか言ってほむらちゃんを責めたのを受けて、ほむらちゃんは「全ての魔獣を消し去ったあとは、それもいいかもね。その時は改めてあなたたちの敵になってあげる」とか答えていたので、つまりこの世には魔獣が存在する。という事はそれに対抗する魔法少女が存在する、という事ではないか。さらにほむらちゃんが「あなたたちの敵になってあげる」と言っているので、やはりこれは魔法少女たちを指すのではないか?普通の女の子が魔獣や悪魔の敵になれる訳ないでしょ?
(キュゥべえの利用に関しては、魔獣を倒した後にできた呪いの塊ーテレビ版の最後でほむらちゃんがキュゥべえに餌付けしてたやつーをキュゥべえに処理させる、という事ではないか。つまり、誰かが魔獣を倒さないとねぇ)
うのぴはなんで、魔法少女が存在しない、と思ったの?
もしかして、さやかちゃんの記憶が消されたところかな?あそこは、単に再編前の世界の記憶を消し去っただけだと思うんだけど・・・。
投稿者 uno : 2013年12月01日 15:09
元店主さん
ほむらが再編した世界に魔法少女が存在しないと考えたのは以下の理由です。
さやかの記憶が消され、ほむらがさやかに「そんなんことだとあの子に嫌われるわよ」と言った後、そこに上条と仁美が現れて二人の姿を見たさやかが少し涙ぐむ場面で、さやかに魔法少女を感じなかったんですよ。さやかが魔法少女になる以前に戻ったと思ったんですよね。
ほむらが言った「あの子」がまどかなのか、上条なのかでも解釈が違ってくると思いますが。
それになぎさにも魔法少女を感じませんでした。
再編前の世界の魔法少女は再編後の世界でも魔法少女のままなのか?
ほむらが再編した世界で、さやかの爪に魔法少女の印が付いていました?完全に見落としてる。。。
今思っているのが、ほむら再編後の世界の映画エンディング地点では魔法少女のシステムは残っているが、さやか、マミ、杏子、なぎさはまだ魔法少女になっていない状態なのではないかと。但しまどかは当人は気づいてはいないが円環の理としての力を持っている。
ただし魔獣と戦えるのは魔法少女しかいない。そこでほむらはキュゥべえを利用してほむら再編前の世界で魔法少女だったメンバーを魔法少女にする。ただしまどかは魔法少女にはしない。
ところで再編後の世界にマミと杏子っていました?印象に残っていないんですが。この二人はTV版で死んでます。
そして、さやかとなぎさは円環の理で連れて行かれた二人なんですよね。
すみません。全く確信が持てなくて妄想が突っ走ってます!
キュップイ!
投稿者 元店主 : 2013年12月01日 16:19
うのぴへ
何だ、”魔法少女と感じなかった”のが理由か。それはちょっと・・・弱いと思うぞ。確かに、さやかの爪には魔法少女の印がついてたと思うよ。青い三日月ね。
あと、再編後の世界にはマミも杏子も思いっきり居たよ!まづ、マミさんの所にほむらちゃんは現れ(但しマミはほむらちゃんを見る事ができない。わざと落とした紅茶カップの割れる音と、手の中に残った黒い羽で、その存在を感知するのみ)、次に杏子の所に現れ(こちらも同じく、ほむらちゃんを見る事ができない。はっとしたら、消えてる)、次がさやかだ。
ちなみに、マミ&杏子はテレビ版ではいったん死んでるけど、まどかが再編した世界では生きてたよ。つまり、テレビ版の一番最後に生きてたのは、ほむらちゃん、マミさん、杏子ちゃんの3人。さやかちゃんは、まどかが円環の理として連れていってた。
私の理解では、今回のエンディング時では、ほむらちゃん、マミさん、杏子ちゃん、さやかちゃん、なぎさちゃんの5人が魔法少女で、まどかは凄い力を秘めてるけど魔法少女ではなく、普通の(?)少女、という、テレビ版に酷似した設定になってるんじゃないかと思う。あ、ほむらちゃんは悪魔だけどね。でも、テレビ版でも、ほむらちゃんの立ち位置は限りなく悪魔に近かったけどねぇ。ヒールだったし。(マミさん、杏子ちゃん、なぎさちゃんに関しては、魔法少女の印orソウルジェムを確認してない・覚えてないので、もしかしたら魔法少女でない可能性はある。)
うのぴ、もう一回は観にいった方がいいよ。
投稿者 uno : 2013年12月01日 17:10
元店主さん
黒い羽で思い出しました。ほむら再編後の世界にマミ、杏子(りんご齧ってた)はいましたね。
さやかの爪の青い三日月は覚えているのですが、それがどの場面(ほむらによる再編前ないし後)だったのかをはっきりと覚えていなくて。
ほむらによる再編後の世界だったら魔法少女ですよね。
マミと杏子が、まどかが再編した世界で生きているのは分かっています。
ほむら再編後の世界のまどかに関して、まどかは魔法少女ではないというのは元店主さんと同じ考え。
ほむら再編後の世界でも円環の理自体は残っており、一瞬ですがもの凄いオーラを出すことからみて、円環の理の力を受けているのではないかと考えています。
もう一回行くか。。。
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