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2013年03月04日(Mon)

「レッド・ライト」 []

Text by Matsuyama

伝説の超能力者サイモン・シルバー役ににはロバート・デ・ニーロ。超常現象のトリックを解明する大学教授マーガレット・マシスン博士役にはシガニー・ウィーバー。そしてマシスン教授の助手トム・バックリー役にはキリアン・マーフィという、なんとも魅力的なキャスト。
冒頭、マシスン博士とバックリーの2人が訪れたのは、ポルターガイスト現象に悩まされる片田舎の一軒家。そこでトリックをクールに暴いてからの、タイトルバック。「007」パターンで掴みはオッケーだ。

超常現象や、見ず知らずの他人の名前や病気から家庭環境まで透視する霊媒師などを、ときには大がかりな装置を使用したりして、手品のタネ明かしをするようにバンバン暴いてくれるのが気持ちいい前半部分。そして30年ぶりに表舞台へとカムバックした伝説の超能力者サイモン・シルバーとの対決が最終の調査(暴き)として、この映画のクライマックスとなるのだろうか? しかしマシスンはシルバーに近づくことを頑に拒んでいた。ちなみに若き日のデ・ニーロの映像はCGか特殊メイクか知らないけど、日本の芸人がモノマネしているような不意打ちで爆笑。

「視点を変えてみましょう〜あなたの脳が試される」という「シャッター・アイランド」みたいな予告と「エンゼル・ハート」や「ファイトクラブ」、「シークレット・ウィンドウ」みたいな「えっ、オレ?!」なパターンも踏襲しているようで、しかしそれほど食傷する内容ではない。なぜなら、オチがこの映画にとってさほど重要ではないからだ。シルバーは本物か偽物か?ということにこだわっていては、陳腐な作品として消化されてしまうだろう。
監督は、棺に入れられたまま生き埋めにされ、脱出を試みる男を描く「リミット」が話題をさらったロドリゴ・コルテス。それこそ当時ソリッド(シチュエーション)スリラーに食傷気味だったオレは観ていなかったが「レッド・ライト」を観て、ついついアマゾンでスペシャル・プライス版をポチッてしまった。

さて、マシスン教授の息子は4歳のときに突然意識を失い、30年以上も病院の一室で植物状態のまま生かされている。若き日のマシスンが、シルバーと公開討論したとき、シルバーはマシスンの息子の件(おそらくシルバーが知るはずがないこと)に触れ「行かせて(死なせて)あげなさい」と言う。そこで返す言葉を失ったマシスンは後に「そのとき一瞬でもシルバーを信じた」と言う。そのときマシスンは何を信じたのか?それは自分の心の奥底にあったことだ。それは「行かせる」べきだということ。また、超常現象を疑い検証しながらも、実は本物の超能力者を探し続け“奇跡を期待する”ためでもあったことをシルバーに見透かされていたのである。結論からすると(最後までネタバレ無し)マシスン&バックリーの両者ともに本物探しをしていた、ということになる。

けっきょくシルバーは本物なのか偽物なのか?
かつて日本でもテレビに露出していた自称超能力者が何人かいたはずだ。何故か彼らは自らテレビに出演して、インチキが疑われたり、イカサマが見つかったりして「嘘つき」と罵られ、不名誉なまま姿を消して世間から忘れ去られる。本人たちの精神的なストレスは相当なものがあっただろうと思う。
2002年に出版された、ジャーナリストの森達也氏による「職業欄はエスパー」という本を読んだことがある。そこにはお茶の間を賑わせた幾人かの(元)自称超能力者も登場している。中でも、オカルト全否定の立場をとる早稲田大学名誉教授の大槻義彦氏が、森氏の仲介でマスメディアを介さないところで、かつてスプーン曲げで有名になったK氏の能力を検証したくだりが面白い。2人が対面した、とある喫茶店の他の座席には、様々な方向からK氏の手元を隠し撮りをするために複数の研究生が客に扮して配されたという。結果的にK氏の手元を眼前で見ていた大槻教授は、彼のスプーン曲げのメカニズムが解明できないことを認めたという。
森氏はだからK氏が本物だと決めつけず、この本の中では終止中立の立場をとっているところにオレは好感を持っている。そしてオレが示したのも、単なる信憑性にすぎない。
例えばK氏のような人物が悪意を持って「自分は不治の病も退治できる」と言い出すことがあるかもしれない。他者への依存が強い人間ほどそれを信じ、また何にでも洗脳されやすい。

シルバーが言った「真実を得るひとつの方法」とは「期待しないこと」だった。
K氏に出来るのはせいぜいスプーン曲げ程度かもしれない。となると、テレビで超能力の特番をたしなむにはスプーン曲げを見て喜ぶ以外にない。それ以上何も期待してはいけないのである。また、それを検証したところで何の意味もない。「疑う」ことは「求める」ことと表裏一体であり、視聴者にとって、それが本物でも偽物でも(画面上で)真実を知る瞬間に立ち会うことができればそれでいいのかもしれないが、たとえば本物の超能力者がその場の都合〜カメラの前や、ショーのステージなど〜でイカサマを使うことだってあり得るはずだ。

最終章へ向けて、マシスンの同僚、ジャクルトン博士(トビー・ジョーンズ)はシルバーを大学へ招き、彼の能力を科学的に検証することを発表する。マシスンチームは蚊帳の外だ。スプーン曲げや念写、透視など、あらゆる検証実験を行った後、ジャクルトンは、シルバーの能力は本物であるという公式発表の準備をする。マシスンチームは、ジャクルトンの発表前に、なんとかトリックを暴きたいという一心で、限りある映像資料を元に検証する。シルバーは復帰後最後のステージに立つ。客席からシルバーと対峙するバックリー。
思えば、オープニングからずっとこのテンポの良さで、オレは最後までふと我に返ることすらしていなかった。

「視点を変えてみましょう」
この映画は誰の視点で描かれているのか?そこが重要である。同時にそれは観客の視点でもある。ならばその視点の主がするように、つまりは視点を自分自身に移さなければならないのだ。
人は見たいものを見て、信じたいことを信じる、そして都合のいいように考える。そんな心にレッド・ライトは灯っている。深い。と独りごちる。

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