「ウルトラミラクルラブストーリー」 [☆☆☆★]
Text by Matsuyama
監督の横浜聡子さん、私のイメージでは、非現実を超日常に描く山下淳弘監督と同系統の人かと思って観てみました。
さて、何やらハングルのような言語がラジカセから流れ、冒頭、主役の陽人(松山ケンイチ)の放ったセリフは…
以下、分かり難い人は声に出して読んでみましょう。
「カァゴワセェダジャ」
- 子
- ネェネェ父さんアレ何語?
どういう意味?
- 父
- マサユギ、こごでしゃべんの久しぶりでねが。
オメェ、保育所ば変わってがら、よぐネヅば出して、知恵ネヅがどもっでだら肺炎で入院ばしたはんでのぁ。
それでの、「カァゴワセェダジャ」って日本語だはんでな。
カゴば忘れだってごどなんだわ。
- 子
- 父さん、おジイちゃんとおんなじ話しかたになってるよ。
- 父
- んだな、父さんの父さんいづもこったらふにしゃべるがら、むがし、父さんがウヂのルーツばどごがって、どっからホッカイドさ来たんだがって父さんさ聞いだら「ウヂはもどもど青森の百姓だ」って言ってだごどあっで「だがらオレはズウズウ弁ばしゃべんだ」って。
母さんは標準語さちけがったと思うんだげどもな。
- 子
- ということは、ウチも苗字が松山だからマツケンと血がつながってたりするの?
- 父
- わがねぇな。
ホッカイドさいればチハルどシンセギがって聞がれで、ルーツが青森だってしゃべればマツケンどつながってんでねがって言われだら、ミヨジおんなじやづみんなシンセギだべな。
だげど、おジイちゃんの顔バダーくせがら、渡来人のマヅエイでねがって父さん思っでだんだ、大むがしのユダヤ人でねがってのぁ。
でもマヅヤマくんのこどばはかなりネーテンブだったのぁ。
ふづぅ、トオホグの人ははんずがしぐてズウズウ弁ばしゃべりたがんねぇのさ。
オオサガの人はどごでもかちゃましぐオオサガ弁ばくっちゃべるげどのぁ。
でも、ハラダヨスオどワダナベミサゴのはあんますぃネーテンブだ津軽弁でねがっだな。
よぐテレビドラマさ出でぐる、どごだがわがねぇイナガのこどばでしがねぇ。
- 子
- 陽人クンがいつもテンション高いのは病気だから?
- 父
- おそらぐ、んだべ?
ハヅイグ障害だがADHDだがなんだがわがんないけど。
だんたこの映画はそったらごどどんでもいいんでねぇがど思う。
陽人クンはどごまでも前向ぎだってごどがだいじなんだど思う。
純粋だがら思いが強ェのさ。
だがらスギなオナゴど死ぬまでいっしょにいられだんでねぇが。
- 子
- って言っても死ぬの早過ぎない?
- 父
- 人間、死ぬのにハエェもオセェもねぇ、シアワセのゼッチョーで死ぬのが理想でねぇがって父さん思うんだげどな。
周りの人もコゴロばヤメルごともすぐねんでねぇがな。
陽人クンがマチコ先生のデゴさ自分のデゴばツゲるどごは父さんは最高に好ぎだシーンだば。
- 子
- でも陽人クンってその前に一回死んで、心臓止まったままだよね。
心臓が止まったら脳波が止まるから死んでるはずだし、最近は心臓が動いてても脳波が止まれば死んでるっていうでしょ。
心臓止まってるのにどうして陽人クンは生きてるのサ?
- 父
- そったらごど父さんさもわがねぇな。
たんだカントグはサイギンの“脳トレ”だが“ブレイン”だがいう空前の「脳ブーム」みでぇのが好ぎでねんだどさ。
だがらヒニグみてぇなのも入ってんでねがなぁって父さんは思ってんだげどな。
カントグどはちょっと違うがもしらねぇけど、脳=キモヂって決めでかがんのはなんだが違うみでぇな気がすんだ。
父さんは心臓さもキモヂはあるし、細胞の一個一個さもキモヂがあるど思ってんだ。
だいたい脳死っていうのがおがしんでねぇがど思う。
脳死があるがら臓器のイショグがあるんでなぐ、イショグばすらたまぐさ脳死ってヤヅば無理矢理っこつぐったんでねぇの?
って父さんは思うド。
脳死の患者さんがら臓器ば取るどぎに患者さん涙ば流しながら手ばバダバダさせるって聞いだごどあったはんでのぁ。
- 子
- えぇ、それ怖い。
- 父
- キンニグの反射だどが“ラザロ徴候”だどがむんずがすぃごどいろいろなセヅはあるみでぇだげども、なんも解明ばされでねぇんだ。
ヒトヅのハッキリしたコダエがねぇのは問題あるど思うのぁあだりめぇだべな。
- 子
- とっちゃはむったどむんずがしごどばがりくちゃべるきゃ。
- 父
- そうか?
それじゃぁそろそろ本題に移るよ。
まず、父さんはこれを観た直後は、あまり好きじゃないなって思ったんだ。
それはね、いつも映画を観るとその舞台になっている街や主人公たちの映画で描かれた部分の過去と未来が、時間のさざ波となってぼんやりと見えてくるんだけど、この作品はまったくそれを感じることができなかった。
陽人が生立ちを語っても、まったくそれを想像することができない。
まるで誰も成長しない漫画やアニメの世界みたいだと思ったんだよ。
でもな、マサユキ、あれは全て陽人の世界だって思えばよかったんだ。
陽人が見たもの聞いたたこと、思ったこと全てを彼は心で現実として理解しているんだ。
陽人には東京なんて何のことか分からないから、東京には行かないし、死んだはずのマチコ先生の元カレと出会ったのも陽人にとっての現実なんだ。
けっきょくマサユキや父さんにとっての現実とはそれぞれ違うってことなんだよ。
父さんに見えているものがもしかしたらマサユキに見えていないかもしれないし、その逆もあるかもしれない。
私たちはけっきょく人のためだ地球のためだ、平和のためだなどと言っているが、この世界が、いや宇宙が自分中心であることに気付いていながら、それを隠そうとしているだけじゃないのか。
私がどうして「この世界が、この宇宙が」と言うことができるのか?
それは私がここにいるからなのです。
まずは「世界の中心、宇宙の中心は自分である」ということを平然と言えなければならない。
あたりまえのことです。
これ以上話が遠くに行かないうちに正常に戻りますが… さて、身近な人が死んでしまうと「返ってきて欲しい」と思うのは普通かもしれませんが、実際に返ってきてしまうと、それはそれで不気味です。
そして再びアチラへ返ってしまうと何となくホッとするのではないでしょうか。
人が死んで悲しいのは、その人の死に様に対する哀れみと、暫しの別れの寂しさです。
陽人は人々にとって何かと面倒な存在で、しかも(彼の中では)幸せの頂点で逝ってしまいました。
さてさて、死者にとって「死というものは実際には体験できていない」というのが事実です。
たとえ死ぬ1秒前でも1000分の1秒前まででも意識があったとしても、本人は「死」そのものを確認できていないのです。
アロマテラピーで使用される精油に白檀というのがあります。
サンダルウッドともいいます。
これはインポテンツに効くことで有名な精油ですが、唯一「死別の悲しみを癒す」効果があるといわれる精油です。
要するにお香といわれるものは死者を弔うものではなく、残された人たちを癒すものであると思った今日この頃、またしてもわけのわからないことを書いてしまった私をどうかお許しください。
Comments
投稿者 通りすがり : 2009年06月25日 15:00
>何やらハングルのような言語がラジカセから流れ…
はよく誤解されているんですが
例えると日本に置き換えて言えば
>何やら漢字のような言語がラジカセから流れ…
となってしまいます。
「ハングル(한글)」は文字で、言語ではありません。言語は「朝鮮語」です。
投稿者 マツヤマ : 2009年06月26日 00:48
偶然か何か、通りすがりということですので、再び来ていただくことはないとは思いますが、どうもご親切にありがとうございます。知識に乏しいもので…。ところで映画には興味がない方なのですかね?
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