『シンデレラマン』の予告編 [評価外]
心で語り継がれる《奇跡の実話》。ババーン! ジム・ブラドックほど数奇な人生をたどったボクサーはいない…ということで、大恐慌の時代に実在したボクサー、奇跡の復活劇を描きます。
まず私が驚いたのは予告編、って私、予告編上映時は目をつむっているので見ていないのですけど、とーーっても感動的な音楽が流れるのです。おお! この音楽は『ドラゴン/ブルース・リー物語』(1993年)の音楽。さては『ドラゴン』リヴァイヴァルかー? と思いきや、『シンデレラマン』、って…。
本編と縁もゆかりもない映画の音楽を使っているわけで、これはやっちゃあアカンでしょ? そら『ドラゴン』見た人は少ないでしょうし、音楽をおぼえている人も少ないにしても、『シンデレラマン』本編を見て、「アレ? 予告編の音楽使われていましたっけ?」と疑問に感じる人もおられるはず。
音楽が、映画において重要な要素であることは論を待たず、音楽の方が主要キャストより重要な役割を果たす映画はなんぼでもありますよね。
本編と縁もゆかりもない曲を使った予告編は、ウソ・大げさ・まぎらわしい広告であります。ジュリア・ロバーツが予告編にたくさん登場しているのに、本編に出ていなかったら大暴動が起こるでしょう?
実は、本編と縁もゆかりもない『ドラゴン』の音楽を使った予告編は、これが初めてでなく、『フォレスト・ガンプ』予告編でも同じ曲が使われていました。そのときもどうなっているのか! と呆れかえったものですが、もーええ加減にしてほしいです。
「ひどい予告編」はこれだけでなく、…って、配給会社にとっては「興行収入アップに結びつく」のが「よい予告編」で、ウソ・大げさ・まぎらわしい予告編も儲かれば万事オーライなんでしょうが、善良なる市民・私にとっては、「映画の内容はまったくわからないけれども、なんだか見てみたい! と盛り上がってしまう」のが「よい予告編」、たとえばスタンリー・キューブリック『シャイニング』、エレヴェイターの扉が開くとドバー! とか、「クルーズ、キッドマン、キューブリック」と字幕が出て、トム・クルーズとニコール・キッドマンがイチャイチャするだけの『アイズ・ワイド・シャット』なんかが「よい予告編」の代表格であります。
閑話休題。「ひどい予告編」、すなわち本編に関係ない曲が使われる予告編は他にもたくさんあると思います。ていうか、ネタバレあり、ストーリーが全部わかってしまう、ありがとう浜村淳です状態の、目に余る予告編はなんぼでもあって、そんな予告編は、「映画を見て感動する可能性」を観客・私から強奪しているのです。
これこそ、「映画が盗まれている 感動が盗まれている 大切なものが汚されていく」であります。
そういうわけで、「私は(予告編を)見ない」という選択をしているわけですけど、『シンデレラマン』予告編の音楽は私の「感動の可能性」を確実に奪ったのであった。
そんな詐欺的な予告編であったとしても、本編が面白ければオッケーなのですけど、…って長くなったので続きは後日。
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