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2013年08月19日(Mon)

アイアン・フィスト []

Text by 元店主

ウータン・クランのRZAがカンフー映画を作った!
というだけで興奮しない奴は、ヒップホップ的にもぐりだと思うんだけど、もしかしたら今のヒップホップファンは、あんまりウータンの事を知らないかもしれない。もうほとんど活動してないし、メンバーの中でも活躍しているのはゴーストフェイス・キラーぐらいか?という寂しい状態だから・・・。
しかし!なんといっても、ウータンはヒップホップの世界にカンフーを持ち込み、ひとつの世界観を作り上げた偉大なグループなのである。その総帥がRZA。そしてRZAは、役者として(「ゴーストドッグ」や「アメリカンギャングスター」)、サウンドメイカーとして(「キルビル」「ジャンゴ」や「パシフィックリム」)、着々と映画の世界に進出を果たしていたのであった。
そのRZAが、とうとうカンフー映画を監督・主演!これはなにがなんでも観ない訳にはいきませんー!

むろん、こういった趣味爆発の映画は、危険な所があります。その趣味を共有する人には凄く面白くても、そうではない人にはあんまり面白くない、という。
しかし、この映画に関しては心配無用。タランティーノがプロデュースしてる故か、趣味を共有しない人にも十分楽しめる作品となっております。
もちろん、趣味を共有する人には感涙もの。また、そもそも映画を見る力のない人にはゴミの様な映画である事も、また真実でしょう。
この、趣味を共有しない人でも楽しめる、という事は、ある種の普遍性を作品が備えている、という事です。では、この作品の“ある種の普遍性”とは何でしょうか。

それは、虐げられた者への共感と共闘、それと、精神の高みを目指す、という事です。
RZA は、奴隷制のあるアメリカから逃げ出してきた黒人の役で、中国の地方村で武器を専門に作る鍛冶屋をやっている、という設定です。彼はアメリカから脱出した船が難破し、中国に打ち上げられた時、少林寺の人たちに助けられ、そこで修行を重ねます。が、なんらかの理由があって道を外れ、俗世で武器製造人となって生活しているのです。
少林寺で師(ゴードン・リュー!・・・RZAが最も影響を受けた映画は「少林寺三十六房」らしいので、その主役であるゴードン・リューは正にRZAの師、なのです)の説教を聴くRZA。ここから、RZAがカンフー映画の何に共感を覚えたか、が分かります。師はこう言っているのです。
心の目で観よ。心の目でみれば、服装や肌の色に惑わされず、その人の本質が見える。人間は本来、全ての人が仏性(悟りをひらく可能性)を持っている・・・と。
人種差別は徹底的に間違っていること、人は誰でも努力すれば高みに登れるということ。これです。これぞヒップホップの精神だ!

RZA演じるブラック・スミスは、両腕を切られ、義手をつけて闘います。これは身体障害者に対する共感です。実際、RZA は「座頭市」や「片腕ドラゴン」の様な障害者を主役にしたアジア映画にリスペクトを表明しています。
また、女性に対する共感。娼館を経営するルーシー・リューは、これまで男性に虐げられてきた我々女性が、次は力を握る!と宣言しています。単なる娼婦だと思っていた女性たちが、実は凄腕の武芸者で、次々と男を殺していくシーンは拍手喝采ものです。
RZAが、虐げられた者の闘いを共感を持って描き出しているのは明瞭でしょう。

ところで、何故RZAは修行の道を外れ、武器製造人に身を堕としているのでしょうか。武器製造人は外道の仕事です。自分は争いの外に身を置いて居る様なふりをしていますが、実際は敵・味方双方に武器を調達する事によって、争いはエスカレートし、悲惨さは増しています。
彼が何故こうなったかの詳しい説明はありませんが、理由の一端は説明できます。それは、愛、故です。ブラック・スミスは、愛した女性を娼館から身請けするためのカネを儲けるために、武器製造人をやっているのです。
しかし、仏教によれば、愛も煩悩なのです。愛も欲望のひとつ。金儲けのためならダメだけど、愛のためならいい、という事はありません。どちらも同じ。愛のために・・・と自分に言い聞かせて武器製造を行っていたブラック・スミスは、明らかに道を外れていたのです。
だから、最後、彼は自分の武器製造の看板を、自らのアイアン・フィストで叩き割ります。欲望と汚辱に塗れた俗世と決別し、精神の高みを目指すために。
私は個人的に、このシーンにRZAの今のヒップホップに対する批判を読み取りました。ヒップホップには、欲望肯定的なメッセージが溢れています。まだマイナーな音楽で、みんなが差別と貧困に喘いでいる中で生まれた当初は、「カネを儲けるぜ!」などの欲望肯定メッセージはメタファーとして有効に生きていたと思うのですが、現代の様に世界一メジャーな音楽となり、実際にラッパーの富豪が何人も出る様になった現状で、いまだ「カネを儲けるぜ!」といった欲望肯定メッセージを繰り返しているのは、堕落でもあると思うのです。これに対する批評を叩き付けた、と感じたのですが、どうでしょうか。

ところで、私がこの映画で最も印象に残ったのは、バイロン・マンやカン・リー、リック・ユーンなどのアジアの俳優陣の顔とファッションです。もう、どーみても、ド・ド・ド・ヤンキーにしか見えない!
なんでこんな臭み200%みたいなルックスなの???と思ったのですが、RZAはヒップホップの人です。ヒップホップの黒人たちは、白人の美意識に媚びる事をせず、黒人の美意識を前面に打ち出しています。つまり、民族としての美意識を尊重するのです。と、いう事は、RZAにとってアジア人の(白人の美意識に媚びない)真の美意識は・・・ヤンキーにこそある!という事なのではないのか!
確かに、ヤンキーのドメスティック度はハンパない。でも、なぁ・・・。

「アイアン・フィスト」はなかなかに難しい問題を突きつけます。

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