「ウッドストックがやってくる!」 []
1969年夏。ニューヨーク州のベセルという、地図からも歴史からも消されてしまいそうな過疎の街に、50万人ものヒッピーたちが津波のように押し寄せた。「愛と平和と音楽の伝説の3日間」と伝えられるフェスティバル「ウッドストック・フェスティバル」の知られざる舞台裏。「ブロークバック・マウンテン」「ラスト、コーション」のアン・リー監督による、同名の回想録(エリオット・タイバー、トム・モンテ著)の映画化である。
50万人という若者が愛と平和のために集まって、40年以上経った今、けっきょくアメリカという国は何にも変わらないどころか悪くなる一方だ。予想人数の倍以上も来場した会場には、充分な食料もトイレも準備が間に合わなかったという。ライブを観ていたのはほんの一部で、あとはドラッグ、マリファナ、フリーセックス、フリー脱糞、雨天による大量の泥とゴミの山という、平和だか地獄だかわからないような状況だったようだ。
ヒッピーたちが求めていたのは本当に「愛と平和」で包まれた世界だったのか? 安全で楽チンな場所にいて、自由にセックスとドラッグを愉しみながら、ひたすら「自分探し」に明け暮れていた若者にすぎないと筆者は思っている。しかしながら筆者とて20歳代の頃を振返れば当たらずといえども遠からず、かもしれない。
さて、両親が経営する借金まみれで破産寸前のモーテルを立て直すために、ニューヨークから帰って来たエリオット(回想録の著者)は、住民運動によって開催場所を失った状態のイベント「ウッドストック」の誘致を決意する。
戦時中ナチスの迫害から生き延びたユダヤ人の母親(イメルダ・スタウントン)は、底なしに貪欲な拝金主義へと人格が歪んでしまい、人生をあきらめてその母に仕える身となった父親(ヘンリー・グッドマン)はフェスティバルに関わることによって徐々に生気を取り戻してゆく。
エリオットの幼馴染で帰還兵のビリーは、ベトナム戦争によって心に深い傷を負ってしまっていた。ビリーがヒッピーたちに混じって、泥の斜面を何度も滑りながら、トラウマと戦うシーンは胸を打つ。
ビリー役は実力派のエミール・ハーシュ
どうしてここに来ているのか分からないのが元海兵隊のヴィルマだ。彼はなぜかエリオット一家の警護を買って出た。そしてもっと分からないのが、彼はゲイであって、おそらく女装は趣味ではないか(ここビミョウね)ということ。
ヴィルマ役はナオミ・ワッツの内縁の夫のリーヴ・シュレイバー
そして作品中もっとも魅力的な輝きを放っていたのが、ウッドストックのプロデューサー、マイケル・ラング役のジョナサン・グロフではなかったか。
裸にベストというルックスだけではなく、しゃべり方や、やや内股の歩き方までもが本人にソックリなことが、当時のドキュメンタリー映像で確認できる。
ジョナサン・グロフはオープン・ゲイとして知られているらしいが、マイケル・ラングもまたそのようであることが映像をみれば一目瞭然。ただしこれは筆者の憶測にすぎない。
終盤、フェスティバル終了後のゴミ山の中にたたずむエリオットのところに馬に乗って(って言うと笑えるが、なかなかキマっている)やってきたマイケルは「次はローリング・ストーンズのフリー・コンサートをやるよ」と言い、エリオットは「素晴しい」という。もちろんそれは1969年12月6日にサンフランシスコのオルタモント・スピードウェイで行なわれたフリー・コンサートのことである。殴り合いが止まず、殺人事件まで起こり、のちに「オルタモントの悲劇」と伝えられることは、当然この劇中の時間では知るはずもないという前程で、ゴミ山のひとコマはブラックではあるが、未来が読めないからこそ彼らの眼差しは希望に満ちている。素晴しい!
ジョナサン・グロフはこの作品でエリオット役のデミトリ・マーティン(右)と共に映画デビュー
こちらはマイケル・ラングご本人
無心にフェスティバル開催に奔走する主人公のエリオットもまたゲイであり、ある一夜のパーティーをきっかっけに、それまでオープンにしていなかった彼の性は解放されてゆく。それとともに田舎の閉塞感や母親の強欲からも解放され、それは、戦争のトラウマと必死に戦うビリーや、人目を気にせず頼りがいのあるヴィルマ。常に前向きなマイケル。そして生気を取り戻した父親らからの影響でもあり、自分の生きたいように生きるという道を選択するまでに至る。
ヒッピー文化やウッドストックの「伝説」に対しては否定的な目で見ている人も多いとは思うが、とりあえずはそんなことは忘れてこの映画を観てみるべきだ。永遠に自分を見つけられそうもない50万人のヒッピーや、「伝説」のステージにスポットは当てられることはないが、裏舞台の濃厚なキャラクターたちから何かを教わるかもしれない。
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