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2009年02月28日(Sat)

チェンジリング ☆☆☆☆☆

Text by Matsuyama

「イーストウッドの新作があるらしい」と耳にしたのはほんの半年ほど前だったでしょうか。そのとき咄嗟に「アポロ11号のニール・アームストロング船長の映画ってもう撮ってたの?」って思ったら違ってました。6年も前からイーストウッドがアームストロングの伝記映画を製作・監督する計画をしているという話があったからです。けっきょく、その話は昨年春にユニバーサル・ピクチャーズが映画化権を所得しただけで、監督が誰になるかは未定だといいます。

そして、今までほとんどがワーナーから配給されていたイーストウッド作品が今回はユニバーサルということは何を意味するのでしょうか。さらに疑問なのはこの脚本をイーストウッドに持ちかけたのは、プロデューサーの一人である「アポロ13(ユニバーサル、1995)」の監督ロン・ハワードのパートナーであるブライアン・グレイザーということです。私はロン・ハワードはイーストウッドとは対極的な立場にいる監督だと思っていました。ほとんどがイーストウッド組で揃えられたスタッフにロン・ハワードとブライアン・グレイザーの名前があることはまったく不自然なことだと思ったのです。

── これよりウィキペディアからの引用 ──

取り替え子 (とりかえこ、英語:Changeling)とは、ヨーロッパの伝承で、フェアリー・エルフ・トロールなど伝承の生物の子と、人間の子供が秘密裡に取り替えられること、またその取り替えられた子のことをいう。明らかに取り替えられたと分かるような、木のかけらがたちまち弱って枯れてしまうこともあった。このようなことをする動機は、人間の子を召使いにしたい、人間の子を可愛がりたいという望み、また悪意からであるとされた。伝承であるにせよ、親から取り替え子だと疑われた罪のない子供たちにとっては、むごいことであった

── 引用ここまで ──

少し極端な発想かもしれませんが「チェンジリング」という映画作品そのものが“取り替え子”であるという考え方はどうでしょう。元パイロットの宇宙飛行士、ニール・アームストロングの伝記映画の製作企画を大切に持っていたイーストウッドでしたが、どういうわけかその映画化権の取得に問題が…。そしてユニバーサルがイーストウッドに監督を依頼してきました。しかし、それはニール・アームストロングの伝記とはまったく違う脚本でした。

ここまでが私の妄想です。以下、内容に触れますのでご注意ください。

主人公のクリスティン(アンジェリーナ・ジョリー)は休日、息子ウォルターと映画を観に行く約束をしていました。タイトルは「謎の飛行士」。しかしその母子の約束は果たされることはありませんでした。

さて、クリント・イーストウッドといえば“個人の自由を尊重せよ”という政治思想に基づくリバタリアンであり、その思想が作品に色濃く反映させていることは広く知られたところであります。
そして今回は珍しくイーストウッド本人は映画に出演していません。何故なら、その思想はすべて主人公であるクリスティンに委ねられているからだと思うのです。

クリスティンは腐敗した警察に対してヒステリックにはならず、何も求めず、全てを冷静に見つめます。息子がいなくなったのは警察のせいでもなく、また連続殺人鬼のせいでもないからです。
リバタリアンにとって自由を全うするということは、自分のことは自分で決め、自分の身(家族)は自分で守るという責任に基づいているからです。夫はその重い責任を背負いきれず家族を捨てました。

息子がいなくなった責任は自分にあると自覚しているクリスティンは、支援を申し出るブリーグレブ神父(ジョン・マルコヴィッチ)にも一線を置いています。それは批判ではなく、ただ息子を取戻したいというクリスティンと、警察の腐敗を暴き、市民に警鐘を鳴らす神父の戦いとでは目的が違うからです。それと、おそらくクリスティンにとって神に頼るという行為も信念に反するということもあるのでしょう。
ここで、はっきりと区別されていると思うのは、神父の私設ラジオ放送に扇動され、プラカードを掲げて警察に抗議する市民たちです。クリスティンはそこにひときわ冷たい視線を浴びせます。
通常のドラマなら「見ず知らずの私のために、こんなにも大勢の人が!」と言って、壮大なBGMも相まって涙や感動を誘うシーンなのですが、この場合は「あなたたちはいったい私の何を知っているの?」という疑問に答えるかのごとく不気味な群衆として描かれているようにみえます。

「自分がして欲しいと思うことを、人に対してしてあげなさい」というキリスト教的黄金律よりも、同じようでまったく意味が異なる「自分にして欲しくないことを人に対してもしてはならない」という儒教、ヒンズー教、イスラム教などの思想の方がリバタリ的であり、本来の日本人でも理解し易いところでもあると思います。
「人にして欲しいと思うこと」とは、アメリカのイラク侵略戦争のように解釈しだいでどうにでもなります。広島、長崎への原爆投下もそうです。

クリスティンは理不尽な権力行使によって精神病院に収容されますが、そこで出会うのが同じように警察によって入院させられたキャロル(エイミー・ライアン)という娼婦です。
リバタリアンであるクリント・イーストウッドにとって、自分の身体を売ってお金を稼ぐという娼婦もまた象徴的な存在です。自分の身を売って生きるという自由を誰も侵害できないことが、逞しいキャロルという女性によって語られます。そしてクリスティンもまた、警察の言いなりで信念がなく、人が生きる権利を脅かす精神科医に対して罵声を浴びせます。

後半、物語は新たな展開を見せます。連続小児殺人事件の発覚です。母親として最も辛いことではありますが、ここでもクリスティンは静かです。
「真実を語りたい」という死刑執行前の犯人に接見したクリスティンは、一向に真実を話そうとせず「懺悔は済ませたのだから地獄に堕ちない」と言うその男に「地獄に堕ちるがいい!」と叫びます。それは「お前を裁くのは神ではない!」ということでしょうか。これは精神病院でキャロルに教わった「失う物がないときに使うべき言葉」として生きてきます。

“偽”のウォルターの正体も分かってきます。彼の背後には放任主義の母親の存在がありましたが、二人とも、どうも悪役には見えません。最初、息子がすり替えられた事件の裏に何か陰謀が隠されているのではないかと思っていたクリスティンは、純粋で人生に貪欲なその少年に対し、後に勇気ある行動をとったことを聞かされた息子、または自分の思想と重ね合わせ、頼もしさを感じたのではないでしょうか。母親どうしでは対照的ですが、クリスティンはあの少年に対してはシンパシーを抱いたのではないかと思います。

ブリーグレブ神父は息子ウォルターの死を受入れて自分の人生を生きるようにクリスティンに諭しますが“どう生きるか”それはクリスティン自身が決めることです。

P.S.
リバタリアニズムという政治思想を知ったのは当サイトの店主の日記が最初です。自分でもいろいろ調べたとはいえ、未だ浅薄な知識ですので誤りがあるかもしれません。
とにかく、終止アンジェリーナ・ジョリーが帽子の鍔越しに人の内面を見透かすような冷たい視線の奥には、イーストウッドの存在を感じずにはいられませんでした。これはアンジェリーナ・ジョリーの最高傑作であり、イーストウッド作品史上最高!と思ったのですが、それは毎年の暑さ、寒さを表現するようなもので、イーストウッドの新作を観る度に「今回は最高傑作!」と言っているような気もします。と、同時に夫婦揃って100点満点つけてしまうというように、当初からの私の採点の軽さも露呈してしまいました。
もうすぐ新作「グラン・トリノ」が公開されます。監督・主演です。ワーナーです。役名はウォルトです。ウォルターとは関係ないのかな?
ちなみに1988年のイーストウッド監督作品で、サックス奏者チャーリー・パーカーの伝記映画「バード」で主演を務めたフォレスト・ウィッテカーが“アームストロングの伝記”の監督・主演するそうです。アームストロングといっても、こちらはルイ・アームストロング、サッチモの方ですが。

Comments

投稿者 店主 : 2009年03月01日 01:19

私も観てきましたー!

いやー、またしても、緩みのない傑作でしたねー。イーストウッドが映画を撮り続けてゐる限り、映画を見続けよう!と、またまた強く思ひ返しましたー。

にしても、リバタリにせよ、暴き読みにせよ、もうマツヤマさんはすっかり自家薬籠中のものにしてゐますね。私はただただ感心するのみです。いまや私の出番などないです・・・・・・。

マツヤマさんの、クリスティンの行動・存在のリバタリ的読解は素晴らしいと思ひます。これに、パンフレットで黒沢清が行ってゐた読解を加へれば、相当深くこの映画を観る事ができますね。

次は「グラン・トリノ」。今年はなんと贅沢な年なんだー!

投稿者 uno : 2009年03月01日 14:29

こんにちは。私も観ました。
素晴らしい映画でしたね。
マツヤマさんのレビューに目から鱗です。
私は観終わった後に、アンジェリーナ・ジョリー個人としての存在感って無かったなぁとふと感じました。それってイーストウッドの目線から演じ、考えを具現化できていたことなのだろうと思っています。
ストーリー全体をイーストウッドが動かしている。
筋を通すって凄いことですね。
では!

投稿者 マツヤマ : 2009年03月02日 00:03

店主様
リバタリアニズムについて「自分でもいろいろと調べた」とは言ってますが、実はほとんどは店主の日記か店主との会話による知識でした。イーストウッドについてもそうです。過去の日記「ミリオンダラーベイビーについて」など読めば一目瞭然ですよね。
それを踏まえた上でイーストウッド作品では、いつものような思いつきの陰謀論では許されざるモノと思い、店主の芸風を拝借したしだいです。失礼しました。しかし相変わらず語彙に乏しいのが恥ずかしいところですが…。

uno様
ありがとうございます。
しかし、それを分かって演じられるアンジェリーナ・ジョリーはすごいと思いました。
床が畳であれば正座して観たい、と思わせる威厳というか風格には恐れ入りますね。

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