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2005年12月22日(Thu)

SAYURI ☆☆★★

Text by BABA

 日本が嫉妬するJAPAN。ババーン! ベストセラー小説『さゆり(Memories of a Geisha)』をスティーヴン・スピルバーグ製作、『シカゴ』のロブ・マーシャル監督で映画化。

「日本が嫉妬するJAPAN」!! とはなかなか的を射た宣伝文句、観客・私も、つい、「なんちゅううらやましいことか!」とヤキモチ焼きまくる「焼きたて!! ジャぱん!!」が見事に描き出されておりました。

 まず大多数日本人が嫉妬するであろう第一は、「登場人物ほぼ全員、英語をしゃべっていること」。

 私など日本人庶民は、中学・高校、ひょっとしたら大学でも英語をえんえん学んだのにちっとも英語を話せやしないぢゃないか。この『SAYURI』ときたら、子供、庶民までもが流暢に英語を話しているのであった。まさしく日本人が嫉妬してやまないJAPAN。

 次に、京都を舞台にしながら味付けはコッテリ、なんたるうらやましいことでしょうか。

 素材本来の風味を生かし切る薄味が京料理の特徴ならば、庶民的にはもの足りず、餃子の王将、天下一品こってりラーメンが庶民・私の好みなのですけど、この『SAYURI』ときたら、めちゃくちゃバタ臭い!(ちなみに、「バタ臭い」とは「バター臭い」が語源だそうです) 洋食風味コテコテ、思わずコレステロール値がドカンと増大しそうな危険な味わい、結末のバタ臭さと言ったら、まるで『プリティ・ウーマン』。ゲイシャワールドを描きながらもこの洋食風味は特筆に値する! と私は胸やけしたのでした。

 おまけに! 主要なキャストにチャン・ツィイー、ミシェル・ヨー、コン・リーら中国系俳優を配し、中華風の味付けを加えているのにも軽く嫉妬しました。料理で例えれば、京野菜“賀茂茄子”を惜しげもなく使って“麻婆茄子”を作り、溶かしバターたっぷりかけて召し上がれ! …ではないか…? なんたる荒技でしょうか。

 そんなことはどうでもよい。どうでもよくないのは、戦前戦中の京都庶民が英語をしゃべっていなかったことや、祇園あたりがゴミゴミしていないこと、「眼鏡橋」は長崎にあること、日本軍による強制疎開なんてなかったこと(なかった、と思う)…などなど、ほんの少し調べれば即わかることを、適当に誤魔化しているのがどうにもこうにも。

「よくわからないところは、感性の声に従って好きなように描かせてもらいます!」的アメリカ帝国の腹の太さを、私は心底、嫉妬いたします。これくらい図々しくないと、世界中で大迷惑かけ続けられるはずもなく、異国・異文化に対する畏れと敬意の欠如、それこそ彼らの「開拓者精神(Frontier Spirit)」なのだ…と腹の中で私語しました。

 ロブ・マーシャル監督は、インタビューで「日本という世界を、(西洋人である)私自身の芸術的印象、ファンタジーとして描きたかった」とおっしゃってます。ファンタジー、すなわち「妄想」、心神耗弱状態なら犯罪が許されてしまうのはアメリカも同じ、ということでしょうか。

 もちろん、映画は妄想であればあるほど面白いと思うのですけれど、妄想なら、それが一体、誰の妄想なのか? という視点の設定が大切だと思うのです。たとえば、『キル・ビル』『ラスト・サムライ』も奇天烈な、誤解に充ちた日本でしたが、それらは、主人公がアメリカ人で、そのアメリカ人の見た/誤解した日本という設定なので、少々の誤解はしょうがない、というか、その誤解が映画の面白味だったわけです。

 しかるにこの『SAYURI』、主人公さゆりは(なぜか目が青いし英語を話しているけれど)日本人という設定で、語り手もさゆり自身、キミ、日本人なのに何故、日本のイメージがことごとく歪んでいるのかね? とお聞きしたいところです。ってそんな人は、私自身も含めたくさんいますね。失礼しました。

 また、先にあげた『キル・ビル』『ラスト・サムライ』では、作者は日本映画を腹の底から愛し、日本のサムライ(またはヤクザ?)に対する畏れとリスペクトの念を持っていたと見受けられます。

 しかるにこの『SAYURI』はどうか? ロブ・マーシャル監督、自身の「芸術的印象、ファンタジー」によって、一ヶの作品を成立させえると考え、それには芸者世界リアリズムは必要ない、という腹なのでしょうけれども、なぜ、私はロブ・マーシャルの妄想につきあわねばならぬのか? と、奇妙な感情に襲われました。いったい何様のつもりでしょうか?

 さらに、これは「日本文化に対する誤解」ですらない。そもそも理解しようとする意志がなければ、誤解も生まれようがない。ロブ・マーシャル監督に「異文化を理解しようとする意志」が果たしてあったのかどうなのか? 極私的な「芸術的印象、ファンタジー」の垂れ流しでよいのか?

 とはいえ、アメリカ映画…だけではなく、「映画」の伝統として、コストパフォーマンスを最大化するため、リアリズムを犠牲にし、無茶が色々やられてきました。ですので、知名度に優れる中国系女優さんを配するのもオッケー、日本ロケなど金のかかることはせず、オープンセットで済ますのも有りでしょう。日本ロケしちゃうと日本経済がうるおってしまいますので、それを何としても避けたいアメリカさんの気持ちもわからんでもない。よくわかりません。

 例えば…例として適切なのか、よくわかりませんが、深作欣二監督『蒲田行進曲』という映画がありまして、「蒲田」というからには「蒲田」が舞台、しかるにこの作品、野外ロケは京都。「東映京都撮影所」周辺の風景で展開する「蒲田行進曲」、京都人・私にとっては違和感ありまくり! …なのですが、段々そんなことはどうでもよくなってくる。同じく深作欣二『仁義なき戦い』シリーズ、舞台設定は「広島」のはずなのに、これも京都ロケ。これまた、そんなことはどうでもよくなる傑作でした。

 では、『SAYURI』の場合、一向に「そんなことはどうでもよく」ならないのは何故か? というと、『蒲田行進曲』の場合は、蒲田映画人の魂、『仁義なき戦い』の場合は広島ヤクザの魂が、そこに描かれていた…というか、少なくとも作者たちにはそれを描き出したい! という強烈な意志が存在していた、と思うのです。

 しかるに『SAYURI』、「芸者の魂」に肉薄せず、ハリウッド的方法論と演出でファンタスティック・エンターテインメントにまとめただけ、やる気あるんでしょうか。

 しかし、見どころがないわけでなく、全編英語で描かれるゲイシャ物語は、なんと申しましょうか、「新春スター隠し芸大会、次の西軍の演し物は、なんと! あのアジアン・ビューティ中国スターが登場!(観客、どよめき) 英語劇です!(観客、拍手)」的な、頭の中がたいへん平和な映画なのは確かです。

 じゃなくて、チャン・ツィイーとミシェル・ヨーの名作『グリーン・デスティニー』タッグが、ヒール(悪役)=コン・リーを迎え撃つ図式はやっぱり見どころ、ミシェル・ヨーが徐々に倍賞美津子に見えてきて、「ゲイシャ道」をチャン・ツィイーに伝授するシーンは「なんだかさっぱりわからない!」と頭を抱えつつ、ジョン・ウィリアムスの音楽もあいまって少し盛り上がったのでした。

 長々と書いてまいりましたが、これは映画史に長く記憶されるべき珍なる映画、必見。映画本来の魅力=「見せ物」として見ごたえあり、また、アメリカ人に「ゲイシャは、セックスワーカーとちょっと違うのかしら?」くらいの認識を持っていただける教育効果も期待できると思います。バチグンのオススメ。

☆☆★★(☆= 20 点・★= 5 点)

公式サイト
http://www.movies.co.jp/sayuri/

Comments

投稿者 power : 2005年12月23日 13:32

BABAさんこんにちは。いつも楽しく読ませていただいています。

SAYURIのレビュー、「ステルス」のレビューに匹敵するくらい面白く読みました。(「ステルス」のレビューはバチグンでした)

このレビューを読んでSAYURIが予想していた通りの映画であることを確信致しました。京都人の端くれとして私も自転車に乗ってSAYURIを見に行って参ります。

投稿者 baba : 2005年12月24日 20:35

>powerさま

書き込みありがとうございます!
ネタバレですが『SAYURI』は、自転車映画としても大きな見どころがあります!
バチグンのオススメ

投稿者 power : 2005年12月25日 21:03

うわーBABAさん、そんなバレバレのネタバレはしないで下さいよ~!! 困りますったら困ります。

ますます見に行く気がアップしたじゃないですか!

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